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第75話 「またね」

 それから――あっという間に、時間は過ぎていった。

 鈴北さんと話をした、その翌朝。

 俺たちは瀬名と恋歌と合流し、朝食のバイキングを堪能した。

 なぜか……瀬名と恋歌の距離が、いつもより近かったような気がした。当たり前みたいに手を繋いだりしていて、なんというか、その、うん。目に優しい光景だった。


 そんなこんなで、チェックアウトの時間になる。

 飲み物を片手にロビーでだらだらと過ごしていると、そこで鈴北さんたちと再会した。

 鈴北さんは――いつもと変わらない明るい笑顔で、俺と接してくれた。

 ……強いな、と思った。鈴北さんの前向きさを、素直に俺は尊敬する。


「じゃっ、ウチらは先に帰るね〜っ! 綾田っち、また学校でねっ!」


 そう言うと鈴北さんは、ウィンクをしながら俺に投げキッスをしてきた。

 なんちゅうことするんだこのギャルは、と思った。それともやっぱり、このくらいは鈴北さんにとって当たり前のコミュニケーションなのだろうか。……だとしたら、ちょっと古臭い仕草な気もするが。

 それと――また学校で、か。

 そういえば鈴北さんは、八月には父方の実家に帰るのだと言っていた。通話しながらエンフィルをするくらいなら問題ないと言っていたが、「綾田っちと会えないなんて寂しくて泣いちゃうよ~っ」と冗談めかして言われたのを覚えている。



 そんな鈴北さんたちを見送ったあと、俺たちは勇利の父さんのところへと顔を出した。今回のお礼も兼ねて、軽く挨拶をさせてもらう。またいつでも来てくれて良いからな――そんな笑顔を勇利の父さんに返されて、懐の広いひとだなと改めて思った。

 その後、バスで駅まで向かってから、予約した特急列車に乗り込む。

 車窓から夕日の差し込む六人用のボックス席にて。俺の正面に座った瀬名が、にっこりとした笑みを浮かべて、


「――あーっ、楽しかったっ! また行きたいね、みんな?」


「……だな。ま、来年は受験でそれどころじゃなさそうだけど」


「ちょっと秋人くんっ、ヤなこと言わないでよっ! もうっ、テンション下がるなぁ」


 瀬名の隣。恋歌は――目を伏せたまま、何も言ってこなかった。

 ふと思い返せば、恋歌は今朝から口数が少なかった。瀬名とは何かいろいろと喋っている様子だったが、俺とは最低限の会話を交わすくらいで、なかなか目線すら合わなかった。鈴北さんたちと一緒にいるときは、ずっと瀬名の後ろに隠れていたような記憶がある。

 ……何かあったのだろうか。昨日のプールでの俺の謝罪がマズかったか? もしかして、余計に恋歌の心に負担をかけてしまったのか?

 考えても、わからない。わからないからこそ――ちゃんと向き合いたい、と思えた。

 漠然とした不安と、わずかな期待を抱えたまま。

 俺は、ぐらぐらと電車に揺られ続ける。

 ふいに、窓の外を見る。輝く夕陽を前にして、どうしてか俺の胸は痛んだ。


   ◇◇◇


 最寄り駅へと到着した。

 見慣れたホームの光景を目にして、旅行が終わったのだなと実感する。

 楽しかったねと笑い合いながら、俺たちは並んで帰路をたどった。途中の分岐で、「またな」と手を振って別れる。

 そして……俺は、恋歌とふたりきりになった。

 鈴虫の鳴く河川敷を、静かに歩き進める。


「………………、」


「………………、」


 俺たちのあいだに、会話らしき会話はひとつもなかった。

 妙に気まずい空気が流れていた。俺はいつも……恋歌と、どんな話をしていたんだっけ?


「あ、あのさ、恋歌……」


 話題が思いついたわけじゃないのに、俺は声を出していた。

 しまった、と思った。きょとんと首をかしげる恋歌の可愛らしい顔を横目で見ながら、どうにか話題を振り絞ろうとする。


「その……楽しかった、か?」


「……うん」


「そっか。なら、よかったよ……」


 それだけの会話を交わすだけ交わして、俺たちはふたたび、お互いに黙り込んだ。

 りんりんと虫の鳴く声だけが、夜の混じった夕焼け空に響いている。

 やがて――何の会話も切り出せないまま、恋歌の家の前まで着いてしまう。


「…………っ、」


 ――なんだろうな、この感覚は。

 寂しい、と俺は思った。ずっと楽しみにしていた旅行が終わってしまったのだから、そう思うのは当然なのかもしれない。

 でも……それ以上に、何もかもが物足りない感じがして。

 昨日の昼間。ウォータースライダーで遊んだときのことを、ふと俺は思い出す。


『――――秋人。大好きだよ?』 

 

 ぎゅっと俺の背中に抱きついた恋歌は、たしかに、俺の耳もとでそう囁いたのだ。

 あれは……そういう意味だと、思ってもいいのだろうか?

 それとも、また俺の勘違いなのか? あのときと同様に、ただの俺の早とちり?


『私は、ね――秋人の、そんなところが好き。大好きなの』


『私、ほんとはね――秋人の、そういうダメなところも好きなんだよ?』


 球技大会の終了直後。河川敷に逃げ出した俺を、恋歌はそうやって慰めてくれた。

 悔しさを堪えきれなかった俺のことを、そっと抱きしめながら。恋歌は優しい声音で、俺にそう告げてくれた。


 ――知りたい、と思った。

 あの言葉に込められた、恋歌の、もっと深い“本音”を。

 だから俺は、すぅと息を吸い込んでから、

 

「――――あのさっ、恋歌」


「――――ねえ、秋人っ」


 声と同時に。

 俺たちの目線が、ぴったり重なった。

 驚いて……思わず、俺は続けるはずだった言葉を失ってしまう。


「あ……わ、悪い、恋歌」


「う、ううん……私こそ、ごめんね……」


 お互いに、目線を逸らす。

 俯き合って、言葉のない時間が流れていく。


「――――……あの、さ」


 その静寂を――俺は、どうにか破ることができた。

 一方の恋歌は、いつもの不安げな上目遣いを俺へと向けてくる。


「……八月三十一日。夏休み最後の日に、花火大会があるみたいなんだ」


 心臓の鼓動が、早まった。

 恐怖と緊張。そして、少しの期待を込めて――俺は、恋歌へと言葉を続ける。


「だから、もし恋歌さえ良かったら……一緒に、行かないか? できれば……ふたりで、さ」


 そう告げた俺の声は、緊張で震えていて。

 ……情けないな、と思う。だけど、今はこれでいい。伝えることが、何よりも大事だから。


 だけど、恋歌は。

 その、綺麗な瞳に――涙を、にじませていて。


「っ、恋歌……?」


「あっ……ご、ごめんねっ。なんでもない、から……大丈夫、だから」


 恋歌は微笑んだ。

 下手くそな、作り笑いだった。ずきり、と胸が痛む。


「……ごめん。そりゃ、嫌に決まってるよな。いくら幼なじみだからって、男女ふたりで花火大会なんて……そんなの、デートになっちゃうし」


「っ、違うの! 私っ、そうじゃ、なくて……っ」


 恋歌の細くて白い指先が、ぎゅっ、と俺の服の袖をつまんでくる。

 やがて彼女は、その薄い唇を小刻みに震わせて、


「……私も、ね? その花火大会に、秋人のことを、誘うつもりだったから……っ」


 え――思わず、言葉を失う。

 しかし、そんな俺に追い打ちをかけるかのように。

 恋歌はその紅潮した顔を隠すように、空いたほうの手の服の袖で口もとを覆って、


「私も……花火、見に行きたい。秋人と、デート、したい……っ」


 そしてそのまま、ちらっと俺へと上目遣いを向けてくる恋歌。

 そんな彼女の可愛いらしさ満載な仕草を浴びて……危うく、心臓が止まってしまうところだった。大きく深呼吸をして、どうにか肺へと酸素を送り込む。


「……秋人。あとで……メッセージ、送ってもいい……?」


「お、おう。頼む」


「うん、ありがと。……またね、秋人」


「……おう。またな、恋歌」


 それだけの挨拶を交わして、恋歌の姿は扉の中へと消えていく。

 ひとりきりになってから……約束をした、その日へと想いを馳せる。


 俺は――確かめたいな、と思ったのだ。

 恋歌の、俺へと向けた「大好き」という言葉には――どんな想いが、込められていたのだろうか?

 彼女は俺に対して、どんな“本音”を秘めているのだろうか?


 それと、もうひとつ。

 俺の心は――なぜ、こんなにも痛むのだろうか?

 恋歌の。ずっと昔から恋をしていた相手の、幸せそうな笑顔を見るたびに。

 どうして俺は……苦しい、と思ってしまうのだろうか?


(――――後悔だけは、したくないな……)


 繰り返す――俺は、確かめたいと思っている。

 恋歌の“本音”を。俺自身の“本音”を。

 そして、全てをこの目で確かめて……そのうえで、彼女へと想いを伝えたい。


 そうしなければ――この痛みを、一生、抱え続けてしまうような気がするから。

 何かを、致命的に間違えたままにしてしまうような予感がするから。



 果たして、俺は――――この想いを、肯定してもいいのだろうか?

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