第74話 全力で、真剣に
「――――俺は、鈴北さんの想いには応えられない」
あの日。夕焼けの中の、教室で。
鈴北さんに、好きだと言ってもらえて――告白されたのなんて、生まれて初めてだったから。 嬉しかったし、それと同じくらい戸惑ったりもした。どうすればいいのかと考えて、頭の中が真っ白になったのを覚えている。
でも。あの告白から、すでに一ヶ月ほどが経過している。
もう、これ以上は――きっと、逃げてはいけないのだと思う。
「……あはは。綾田っち、忘れちゃったの? 返事はまだいらないって、ウチ、言ったと思うんだけどっ」
鈴北さんは、さっきまでの笑顔を崩さなかった。
いや――本人は、そのつもりなのだろう。だけど俺からすれば、それは笑顔とは呼べない何かだった。引きつった頬が、痛ましい。
「いつまでも、曖昧にしてるままじゃダメだと思ったんだ。そんなことをしても、きっと鈴北さんの為にはならない」
「もーっ、せっかちだな綾田っちは。ウチは、いつまでも待つつもりだったんだけどっ」
「俺は、それが間違ってると思うんだ。……ごめん、うまく言えなくて」
だって。
俺は。綾田秋人という人間は、やはり――、
「――――……俺さ。やっぱり、恋歌のことが好きなんだ」
あの日。幼いころの、彼女に惚れたときの記憶を。
何も持ち得なかった俺に、生きがいを与えてくれた彼女の笑顔を。
何者にもなれなかった俺を、綾田秋人にしてくれた恋歌の温もりを。
俺は――どうしても、忘れられなかった。
いろんなことがあったけれど、俺は今でも、恋歌のことが好きなのだと思う。
「……ふうん、そっか。答え、出ちゃったんだ……」
力のない声。鈴北さんの視線が、わずかに伏せる。
「あーあ……チャンスかなぁって思ったんだけどなぁ。レンレンと喧嘩してたみたいだったからさっ、狙うなら今のうちだ~っ! って感じだったんだけどっ」
少しずつ、鈴北さんの声音は明るくなっていく。
取り繕っているのだと、すぐにわかった。胸が痛む、けれど――これは、俺が抱いていい傷じゃない。俺には、この選択の責任を果たす義務がある。感傷なんかに逃げていいはずがない。
「ま……しょうがないかっ。最近のレンレン、綾田っちに一途で、でろっでろに甘々な感じだったし? それに焦って、ウチも告っちゃったワケだし――うん、ホントはわかってたんだっ。ウチに、勝ち目なんかなかったよね」
「……そういうわけじゃ、ないよ。でも……ごめん」
「もーっ。謝るのはナシだよ、綾田っち? 綾田っちに勝手に惚れて、勝手にフラれたのはウチなんだしっ」
くるり。鈴北さんは、俺に背を向けてきた。
その理由を問い詰めるほど、俺は鈍感じゃない。黙ったまま、鈴北さんからの次の言葉に耳を傾ける。
「――――ウチね。綾田っちには、一目惚れだったの」
やがて。
背中越しに聞こえてきたのは、そんな独白だった。
「じつはウチ、一年生のころから綾田っちのことが気になってたんだよ? ほらっ、レンレンせなりんヒデキチはせやんっていう、学年の有名人たちに囲まれててさっ。でも、なんていうの? 綾田っちだけ、良い意味で場違いだったっていうか」
あれ……なんか、急に悪口を言われたような気がする。
しかも、ちゃんと俺のコンプレックスの部分を的確にえぐってくる悪口だ。もしかして俺は今、告白を断った恨みを鈴北さんに晴らされているのだろうか。
「でもね? ――あのキラキラした輪の中心にいたのは、いつも、綾田っちだった」
鈴北さんの声音が、明るく弾んだような気がした。
彼女はいまだに、俺に背中を向けたままだ。だから表情はわからない、けれど――今度は、取り繕っているわけじゃないんだろうなと思う。
「だから、思ったの。きっと綾田っちは、すごく優しいひとなんだろうなって」
くすっ、と。
小さな笑い声が、鈴北さんの口から漏れる。
「ほら、ウチって見た目がこんな感じじゃん? ま、好きでやってるわけだからしょうがないんだけど……このせいで、ウチに寄ってくる男のひとって、みんな外見の話ばっかりでさっ。チャラチャラしたひとにばっかり告られてきて、それを断ったら舌打ちとかされたりして」
一年生のころは、鈴北さんとは別のクラスだった。
だから知らなかった、が……まあ、想像の範囲内の話だった。鈴北さんのような美少女が、モテていないはずがないと思う。
「それでね。そんなだから、ウチは性格の良いひとを探してたの。そんなときに出会ったのが、優しい優しい綾田っちだったってワケっ」
優しい……か。
俺は俺のことを、そんなふうに思ったことなど一度もない。誰かに優しくしようとしたことなどないし、むしろ俺は、いつも恋歌たちに支えてもらってばかりだ。
「ウチ、知ってるんだよ? 綾田っちはいつも、めんどくさがりみたいに振る舞ってるけどさっ。ほんとは、誰よりも友達想いなんだもんね? ……ずっと見てたから、知ってるの」
――そんなことはない、と言おうとした。
だって……俺は、恋歌を傷つけてしまったから。そんな俺には、友達想いだなんて言葉はふさわしくないと思う。
けれど。鈴北さんは、そんなふうに俺のことを見ていてくれていた。その気持ちを否定する権利など、俺にはないだろう。
「そんな綾田っちのことが、好き……だったん、だけどねっ」
そう言いながら、鈴北さんは俺のほうへと身体を向けてくれた。
目もとが、赤く腫れている。
だけど。彼女は、いつもの太陽みたいな笑顔を浮かべていて。
「でも、でもね? ごめんね、綾田っち」
どうしてだろう、と思う。
鈴北さんは――どこか、この状況を楽しむような笑みを浮かべていて。
「――――ウチはまだ、綾田っちのことを諦めないよ?」
え……?
俺の思考は、一瞬のうちに停止した。
「だって、そうじゃんっ。綾田っち、まだレンレンと付き合うって決まったわけじゃないでしょ? だったら――ウチは、いつまでも狙い続けるよ? 綾田っちがレンレンのことを忘れて、ウチのことを好きになってくれる日をっ」
金髪を揺らしながら笑う、鈴北さんのその瞳の奥には。
バチバチと火花の散るような、熱意のような何かが宿っていて。
「だから、ウチはアプローチし続けるからね? それでいつか、綾田っちと結ばれてみせちゃうからっ」
「……っ、でも、俺は――」
「いいよ。――ウチのことを、レンレンを忘れるための女にしても」
なんで……なんで、そんなことを言えるのだろうか。
俺は鈴北さんの想いを、ばっさりと切り捨ててしまった。俺のことを好きだと言ってくれた彼女の気持ちを、裏切ってしまったも同然だった。
なのに、どうしてなのだろう。
彼女の笑顔は――どうして、こんなにも眩しいのだろうか。
「――今日はごめんねっ、綾田っち。でも、ウチは本気だから。本気で、綾田っちのことが好きなの」
「っ、だから……俺は、恋歌のことが好きで――」
「い、い、の! ウチはまだ、負けてない――可能性が1パーセントでも残ってるなら、最後まで戦い続けたいのっ! このあいだの、綾田っちみたいにね?」
あぁ……なんだよ、それ。
ずるいな、と思う。その笑顔で、その言葉で――俺なんかじゃ、彼女の覚悟に太刀打ちできそうになくて。
だから、俺は。
「……はあ、わかったよ。そこまで言うなら、俺はもう、何も言わない」
認めるしかないな、と思った。
俺は、恋歌のことが好きだ。彼女の恋人になりたい――この気持ちは、紛れもない俺の願いだ。
それを曲げるつもりは毛頭ない。ない、けれど……、
「その、なんて言うかさ……ありがとう、鈴北さん。正直さ、すげえ嬉しいよ」
「んふふっ。それはこっちの台詞だよ、綾田っち。――ありがとね。ウチの想いに、ちゃんと向き合ってくれてさっ」
それじゃあ、またね――そう言って、鈴北さんは俺に手を振ってきた。
そのまま、俺は鈴北さんに背を向ける。ドアを開いて、この部屋を後にする。
背中には、鈴北さんからもらった言葉の余熱が残っていて。
――――頑張らないとな、と思った。
俺も鈴北さんみたいに、自分の想いと全力で向き合いたい。
俺は俺の“本音”に、真剣に挑んでみたいのだ。
もう、二度と逃げたくない。恋歌から、目を逸らしたくない。
自室へと繋がる廊下を歩きながら、ふと、スマホのカレンダーアプリを開く。
八月三十一日、夏休みの最終日。
俺は――その日に、恋歌へと想いを告げるつもりだ。




