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第72話 私は――、

「前田さんは、ね……私のことを、疫病神だって言ってきたの」


 瀬名はすでに私への抱擁を解いていた。

 だけど手だけは、ぎゅっと絡め合ったまま。あったかい瀬名の肌に触れていると、ちゃんと話さなきゃって気持ちになれた。


「最初は、どうしてそんなに酷いことを言うんだろうって思った。けど……前田さんの言ってることは、正しいなって思っちゃった。だって――私はずっと、自分の幸せを守るために、秋人のことを何度も傷つけてきたから。しかも、秋人だけじゃなくて……たくさんのひとを傷つけて、不幸にしてきたんだと思う。自分でも、知らないうちに……」


「…………、恋歌……」


「なのに、私――秋人のことが好きだなんて、今さら言い出して。ちょっと前までは、あんなに酷いことばっかり言ってたのに。このあいだは、大嫌いなんて言っちゃったのに。きっと……秋人、すごく傷ついたよね」


 何度も、私は夢に見ていた。

 あの日――秋人が、色のない瞳で呆然と私を見てきたときのことを。

 それを思い出すたびに、私の胸は激しく痛んだ。

 だけど、きっとこの痛みの何百倍も、秋人は辛い思いをしたはずだ。


「そんな私には……秋人のことを好きでいる権利なんて、きっと、ないんだと思う」


 私は、微笑んだ。

 微笑むことができた、と思う。

 頬に、何かが冷たいものが垂れたような気がしたけど――きっと、うまく笑えているはずだ。

 こうやって強がってみせることだけが、私の特技だから。


「だから……ごめんね、瀬名。瀬名のお願いは、私には、叶えてあげられないと思う……」


 だって。

 私は――前田さんの言うとおりの、疫病神だから。


「……私じゃ、秋人のことを、幸せにできないと思うから。だから……ごめんね、瀬名。本当に、ごめん……」


「………………」


 瀬名は、何も言葉を返してこなかった。

 ただ、ぎゅっと私と手を繋いだまま、じっと私の横顔を眺めるように見つめてくる。


「――――ね、恋歌」


 やがて。

 瀬名の手が、私の手から離れていく。

 やっぱり、失望させちゃったかな――そう考えていると、瀬名は笑顔でマイクを手に取って、


「せっかく予約したんだもんっ。カラオケ、一緒に歌お?」


 ずっと無限にループ再生されていたミュージシャンの広告が、唐突に切り替わる。

 モニターには、さっきと同じ、『恋するビターチョコレート』の文字列だ。

 つんつん。瀬名の持つマイクが、私の胸を突っついてきた。


「ほら。曲、始まっちゃうよ?」


「え……で、でも――」


「いいからっ! ほら、立って立って!」


 瀬名は強引に私の腕を掴んで、座ったままだった私の身体を引っ張りあげてきた。

 そんな瀬名の誘導に身を任せて、思わず立ち上がってしまう。そのまま無意識のうちに、突き出されていたマイクを私は受け取っていて、


「それじゃあ、行きます! 瀬名アンド恋歌のラブラブ親友ユニットでお送りする、『恋するビターチョコレート』っ!」


「え? あっ、えっと――――」


 もう……なるようになれ、って感じだった。

 私はマイクを握りしめる。それを口もとに引き寄せて、精いっぱい歌うことにした。

 途中、何度も瀬名の熱意バッチリな歌声につられてしまいかけたけど――なんとか最後まで、正しい音程で歌い切れたと思う。

 ぜえぜえ、と息を切らせる瀬名。私もいきなり大きめの声を出したから、少し疲れてしまった。

 モニターには――75点、の表示。なんとも言えない微妙な点数。

 それを見て、私は瀬名と顔を見合わせて。

 どちらからともなく、私たちはくすくすと笑い出していた。


「ふふっ、あははっ! やっぱり恋歌は上手だねっ、プロになれるんじゃない?」


「……ふふっ、大袈裟だなぁ瀬名は。プロの方に失礼だよ?」


「でも恋歌って、顔良しスタイル良し歌声良しの逸材じゃん? はっ……あたしがプロデューサーで、アイドル藤咲恋歌――くっくっくっ、お金の匂いがしてきましたなぁ」


「もーっ。瀬名、悪い顔してる」


「んふふっ。恋歌は可愛い顔してるよ? ほっぺだって、こんなにモチモチしてるしっ」


 そう言って、つんつんと指で私の頬をむにむにと触ってくる瀬名。

 彼女の無邪気な笑みに当てられて――さっきみたいな強がりじゃなくて、私は笑顔になれていた。


「あ。そういえば――小六の運動会の打ち上げで、みんなでカラオケに行ったよね。恋歌、覚えてる?」


「うん、覚えてるよ。楽しかった、よね」


 結局――あの年の赤組は、最下位になってしまった。

 だけど。私たち六年一組は、応援賞を取ることができた。

 ダブル受賞という目標は果たせなかったけど、瀬名は嬉しそうに笑っていた。そのあと、たくさん泣いてもいた。つられて、私もたくさん泣いた。あとから聞いた話によると、ボイコットを主導していた男の子もこっそり陰で泣いていたんじゃなかったっけ。


「あのときさ。あたしがいちばんに歌ったあと、秋人くん、何て言ってきたと思う?」


 瀬名は、じとっとした半眼を作って、不満げに息を吐いた。


「――『瀬名って運動神経は良いけど、めちゃくちゃ音痴だよな』って言ってきたんだよ? ね、酷くない?」


 あぁ……そういえば、そうだったような記憶がある。

 ぷんぷんと怒ってみせる瀬名。だけど、やっぱり瀬名は嘘が下手だなって思った――その横顔は、とても幸せそうで。


「ほんっと秋人くんって、デリカシーがないよねぇ。恋歌の言うとおり、まさにダメ人間って感じだよっ。ね、恋歌?」


「ぁ……それは、その……」


「ふふっ。違うの、恋歌。あたしは、そういうことが言いたいんじゃないんだ――」


 穏やかな口調で、瀬名は続けてくる。

 さっきの抱擁を思い出すような、私の心を優しく包み込んでくれるような声音だった。


「――あたしはあのとき、秋人くんに傷つけられた。だけど、ほら! あたしは今でも、秋人くんのことが大好きなんだよ?」


「……え?」


「きっと秋人くんも、あたしと同じなんじゃないかなっ。そりゃあ秋人くんだって、恋歌のツンツンで傷ついたこともあったと思うけど――でも、だったらさ。そんなことを忘れちゃうくらい、恋歌が秋人を幸せにしてあげればいいだけじゃない? あたしは、そう思うなっ」


 純粋な笑顔だった。

 きっと瀬名は心から、そういうふうに言ってくれているんだろう。

 私の、幸せのために。


「……でも、私は、やっぱり……」


「うん。聞かせて?」


「……自信がない、よ。私……また、秋人を傷つけちゃうかもって、思うと……っ」


 それだけは、絶対に嫌だった。

 せめて……もう二度と、秋人のことを傷つけたくない。 

 そのためだったら、恋人になれなくたっていい。私が秋人のそばにいるせいで、彼のことを苦しめてしまうくらいなら――いっそのこと、彼と距離を置いてしまいたいくらいだ。


「そっか。恋歌は、優しいね?」


 だけど、瀬名は。

 どこまでもまっすぐな瞳で、にっこりと微笑んだ。


「でも、だったらさっ。もうちょっとだけ、ゆっくり考えてみない?」


「……ゆっくり?」


「そ、ゆっくり。もっと秋人くんと喋って、遊んで、一緒に過ごしてさ。そうやって、いつか恋歌の中で、答えを出してみよ? 秋人くんとどうなりたいのかを、さ」


「っ、そんなの……秋人は、迷惑じゃないかな……?」


「どうだろっ。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない――やってみないとわかんない。ね、そうでしょ?」


 ぱちくり。瀬名は快活に、ウィンクをしてきた。

 あぁ――瀬名には、敵わないなぁ。

 これ以上は、もう、我慢の限界だった。

 ふと気づけば、私の身体は勝手に動いて――むぎゅう、と。瀬名の身体に、全力で抱きついていた。


「――――瀬名っ!」


「ちょっ、恋歌!? ……もう。どうしたの?」


「瀬名っ。私も――瀬名が、大好きっ」


 さっきは言えなかったコトバを、はっきりと伝えることができた。

 目の前にあった瀬名の首が、一気に赤く染まっていく。可愛いな、って思った。

 

 ――前田さんの言うとおりだ。私は今まで、何十人って数のひとを不幸にしてきたんだと思う。

 秋人のことだって、瀬名のことだって。英樹や勇利、お父さんにお母さん……いろんなひとを、きっと傷つけてきた。

 でも。私には、瀬名がいる。

 瀬名はいつも、私のことを親友って呼んでくれて。明るい笑顔と一緒に、幸せだよって言ってくれて。


 そんな私の親友が、私の恋を、こんなにも応援してくれているんだ。

 だったら――せめて、真剣に向き合いたいなって思った。

 秋人の気持ちを、もっと知りたい。

 秋人にとって何がいちばん幸せなのかを私の目で確かめてみたい。


「うんっ。あたしも大好きだよ、恋歌っ」


 瀬名の優しさを温もりを、全身で感じながら。

 ――頑張ろう、と思った。私を優しく支えてくれる瀬名のためにも、もう、絶対に逃げたりしたくない。

 私の頬に流れた最後の涙は、ちょっぴり苦くて、そしてほのかに甘かった。 

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