第67話 私のせいで、
「――――瀬名ちゃんね。たぶん、綾田くんのことが好きだよ?」
……え?
頭の中が、一気に冷めていく。
「健気だよねぇ、瀬名ちゃんって。自分だってホントは綾田くんのことが好きなのに、親友のために、その気持ちを押し殺してるわけでしょ? 良い子だよねぇ、瀬名ちゃんは。――どこかの誰かさんと違って、さ」
瀬名が――秋人のことを、好き?
そう……だった、の?
「ほんっと、恋歌ちゃんは酷いよねぇ。綾田くんだけじゃなくて、瀬名ちゃんのことも無自覚に傷つけて」
「……ま、って……っ」
乾いた喉を動かすたびに、ずきずきと頭が痛んだ。
だけど。ちゃんと前田さんと話をしなきゃダメだってことくらいは、わかっていた。
「瀬名、は……ほんとに、秋人のことが好き、なの……?」
「そのくらい、自分で瀬名ちゃんに聞きなよ。親友なんでしょ? いちおうは、だけど」
くすり、と前田さんは笑った。
私のことを嘲笑うような、皮肉めいた笑顔。
「まあ、瀬名ちゃんは優しいから、恋歌ちゃんを恨んだりはしないんだろうけどね。でも――ほかの子たちは、どうだろうね?」
星空が、曇っていく。
前田さんの表情に、暗い影がかかる。
「ほら。恋歌ちゃんって、いろんな男子に告白されてるでしょ? でも、それをぜんぶ断っちゃってるわけで。フラれた男子たちは、恋歌ちゃんのことをどう思ってるだろうね? きっと中には、恋歌ちゃんのことを逆恨みしてる子もいるんじゃないかな」
それに、と。
そう言葉を挟んでから、前田さんは続ける。
「私が町田くんを取られたみたいに、瀬名ちゃんが綾田くんのことを諦めたみたいに。恋歌ちゃんのせいで失恋した女子、いっぱいいるんだよ? そういう子たちの気持ち、恋歌ちゃんにわかる? ……ううん、わからないよね。だって恋歌ちゃんは、完璧美少女だもん。失恋なんてしたことないに決まってるもん。だから恋歌ちゃんは、周りのひとの気持ちがわからないんだよね?」
「…………まっ……、わた、し……っ」
「顔が良くて、手足が長くて、肌とか髪が綺麗で、声すら抜群に可愛くて。でも――気づいてる? 恋歌ちゃんに告白する男子って、ほとんど身体目当てだからね? それか、学園一の美少女と付き合ってるっていう肩書きが欲しいだけ。少なくとも、恋歌ちゃんの中身を見てる男子なんか、ひとりもいないの。だから、調子にだけは乗らないで。わかる?」
吹き抜ける生温い夜の風が、なんだか、すごくうるさかった。
肌を風に撫でられるたびに、ぞくりと鳥肌が立つ。
まるで――世界が、私を責め立てているみたいな感覚。
「……な、んで……?」
涙が。
堪えきれなくて……頬を、流れ落ちていく。
「なんで……そんな、酷いこと、言うの……?」
「――やっとわかってくれたかな。綾田くんは、今までこういう気持ちだったんだよ?」
秋人、が?
ずっと……私のせいで、こんなに辛い想いをしてたの?
「この際だから、はっきり言っておくけど――恋歌ちゃんはね、生きているだけで周囲を不幸にさせてる疫病神なんだよ? 綾田くんのことを言葉で傷つけて。瀬名ちゃんの恋を親友だからって台無しにして。学校中の男子をその顔で誘惑して、恋心を振り回して、なのに最後は拒絶して。そのついでみたいに、私たち女子を何人も失恋させて。なのに――そんな恋歌ちゃんだけ、幸せになろうとしてさ。そんなの、ダメに決まってるじゃん」
……もう、やめてよ。
お願い……もう、苦しいよ。聞きたくないよ……、
「だからさ。せめて、それだけはやめてよ。美雪ちゃんの幸せまで奪うのは、絶対にやめて」
わかった、から……、
私が、酷い人間なんだってことくらい……わかってる、から。
だから……お願い。もう、やめて……っ、
「――わかってくれたかな、恋歌ちゃん。綾田くんのこと、ちゃんと諦めてくれるよね?」
そう吐き捨てるように告げて、前田さんは立ち上がる。
私のほうには、目線すら向けてないみたいだった。
「そろそろ、貸し切りの時間が終わっちゃうんだ。だから恋歌ちゃんも、早く上がってね。……それじゃ、また明日」
「ぁ…………」
浴室から、ひとの気配が消える。
私ひとりだけが、ここに取り残される。
誰も、いない。私は今、ひとりぼっちなんだ。
「……あき、と……せな……」
無意識のうちに、ふたりの幼なじみの名前を私はつぶやいていた。
だけど、そのつぶやきは、静寂の中に消え失せる。
私の中に残ったのは――前田さんから放たれた、言葉の数々。
「ぅ……ぁ、ごめ、な…………っ!」
私にとって、秋人たちは、何よりも大切な存在で。
なのに、私は。
そんな彼らのことを、何年間も傷つけ続けてきた。
みんなの幸せを、私が、奪ってきたんだ。
「わ……、わた、しっ……ごめっ、な、さっ……っ」
涙だけが、ずっとずっと、流れ続ける。
――そんな権利すら、きっと、私にはないはずなのに。
濡れたミサンガを、ただ、ひらすらに握りしめる。




