第61話 プールにて
瀬名に言われて準備運動をしてから、ざぷんとプールに飛び込んだ。
冷たい。が、それがたまらなく身体に嬉しい。さっきまでじりじりと日に焼かれていた肌が、急激に冷えていく。たったそれだけで、なんだかとても気持ちがよかった。
「よおし、秋人! あっちのプールでさっ、ひさびさにオレと勝負しようぜっ」
と、きらっきらの笑顔で親指を立ててくる英樹。
「勝負? なんのだよ?」
「そりゃクロール対決だろっ。フッ、このオレに挑むとは良い度胸だな秋人」
「挑んでないんだけど……ま、いいけどさ」
こうしてみんなでプールで遊ぶのなんて、いつぶりだろうか。少なくとも、中三の受験期以降は行っていないはず。
だからなのか、英樹はわかりやすくテンションが上がっている様子だ。そんな彼のことを見ていると、今日くらいは負け戦に付き合ってやるか、という気分になれた。
(まあ――ぶっちゃけ、俺もけっこうテンション上がってるんだけどな……っ!)
あまり顔には出さないようにしているが、なんたって俺たちは、親友たちと泊まりで遊びに来ているんだ。楽しみじゃなかったはずがない。
正直……考えなきゃいけないことはいくつもある。恋歌の本当の気持ちとか、様子がおかしい理由とか。
そして、何より――鈴北さんの想いに、どう応えるか。
いくら「返事はまだ大丈夫」と言われたからって、いつまでも中途半端にしておくべきではないだろう。そのくらい、俺だってわかっている。
だけど……それでも、今は。
英樹たちの楽しそうな笑みを見ていると、心の中のモヤモヤが晴れていくような感じがした。
「んじゃ決まりなっ、秋人! なあ瀬名、審判頼んでいいか?」
「え? ヤダけど」
「なっ、なんでだよ! オレたちがお互いの熱い友情を確かめ合う瞬間、見届けたくないのか!?」
「うん、ない。それにあたし、今から恋歌とウォータースライダー行くもん。ねー、恋歌?」
「う、うん。ごめんね、英樹。瀬名は借りてくね?」
と言って、いたずらっぽく微笑む水着姿の天使……じゃなくて、恋歌。
それにしても、さっきから周囲の視線が痛いな。まあ、俺たちは今、三人の水着姿の美少女と一緒にいるわけだしな。羨ましいと思う気持ちも無理はないだろう。うむ、なかなかの優越感だ。
「ちぇー、冷てぇの。じゃ、勇利。お前が審判やってくれ」
「お断りだ。なぜなら英樹、お前は今から俺と秋人の真剣勝負の審判をするのだからな」
「はあ、しねえけど!? 秋人は俺と対決すんだよっ!」
「黙れ、この下等親友が。お前じゃ秋人とは勝負にならん。泳げない俺に圧勝したほうが、秋人だって気持ちが良いはずだ」
「そっちのほうがつまんねぇだろっ! なあ、秋人!?」
ぐいぐいと迫ってくる英樹に、浮き輪でぷかぷかと浮かびながら俺の顔を見てくる勇利。
ちなみにだが、俺たちに視線を向けてきているのは、男だけじゃない。英樹も勇利というイケメンふたりは、明らかに周囲の女性たちからの注目を集めていた。
そんなふたりに、俺は今、必死に求められているわけで――おいおい、なんだこれ。悪くないじゃないか……。
と、くだらない気分に俺が浸っていると、
「――――あーやたっちぃ!!」
ざぶん!! と、激しい水しぶきが上がったかと思えば。
背中に……むにゅっ、と、やわらかくてあったかい何かが押し当てられた。
「綾田っち、いぇーい! どうどう、楽しんでる~?」
すぐ耳もとで、明るい声が炸裂する。
その声の主は……言うまでもなく、鈴北さんで。
しかも彼女は、あろうことか、俺の背中にぎゅうっと強く抱きついてきていた。
「ちょっ、鈴北さん……っ! 当たってる、当たってるからっ!」
「んふふっ。当ててんのよっ、えっち!」
いやいや。当ててんのよ、どころじゃないんだよこっちは。
これがギャルのノリというやつなのだろうか。だとしたら怖すぎる。あまり童貞を舐めないでほしい……落ち着け、落ち着くんだ俺。とりあえず深呼吸をして、この至福の感触を受け入れる努力をしなくては。
というか鈴北さんは、いつもこうやって、当然のように異性に抱きつくのだろうか。
それとも――やっぱり、俺だから?
「ねっ、綾田っち! ウチもウォータースライダー行きたいなぁ」
「そ、そっか。じゃ、せっかくだし瀬名たちと一緒に行ってきたら……?」
「む、綾田っちの鈍感。ウチは綾田っちと行きたいって言ってるのっ!」
ぷんぷん、と、わざとらしく怒ってくる鈴北さん。
……なんだそれ、と思った。可愛いかよ。
「わ、わかったよ。……悪いな英樹、勇利。勝負はまたあとでだ」
「えーっ、なんだよ秋人のケチっ!」
英樹がぐぬぬと歯を食いしばる。
が、一方の勇利はクイっと度入りのゴーグルを持ち上げて、
「まあ、俺たちのことなら気にするな。このあたりでてきとうに遊んでおくから、秋人は恋歌たちとウォータースライダーを楽しんできてくれ」
勇利にそう言われて、俺はちらり、と恋歌のほうへ視線を送る。
すると彼女は、なぜか不安げな上目遣いを俺のほうへと向けていた。その隣の瀬名が、気まずそうに苦笑いを浮かべている。
「秋人。……私も、秋人と一緒に行きたい。ね、行こ?」
「お、おう……」
背後からは、鈴北さんにむぎゅっと抱きつかれて。
正面の恋歌は、その可憐すぎる顔でじっと俺を見つめていて。
当然のように……俺の心臓は、ばくばくと鳴りっぱなしだった。
「あ――そういえば、鈴北さん。あの前田さんって子は?」
「ん? マエちゃんなら漫画コーナーにいるってさ。人前で肌を見せるのイヤみたいなんだよね~」
しれっと言ってくる鈴北さん。
……なんだそりゃ、と思った。だったら前田さんは、何のためにプール付きのホテルを選んだのだろう。ただ旅行がしたいだけなら、もっと安いところを探せば良いのに。




