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第5話 変わっていく日々

 ホームルームを終えて、一限目は物理の授業だった。

 教師が一通り喋り終えたあと、教科書の設問をそれぞれ解く時間になったのだが。


(……ヤバイな。ぜんっぜんわからん)


 俺の通う公立鷹ヶ丘高校は、地元ではかなり有名な進学校だ。

 恋歌は完璧美少女の呼び名にふさわしく、とてつもなく成績が良い。そんな彼女と同じ学校に通うべく、俺も中学のころは死ぬほど勉強したのだが……その貯金も、高校入学してすぐに尽きた。今ではすっかり、落ちこぼれ生徒の一員である。


(力学的エネルギーってなんなんだよ、無駄にカッコイイ名前しやがって……ッ!)


 教科書やノートと睨めっこしながら思考をフルで回転させるが、情けないことに何ひとつわからない。

 ちらり、と隣の席の恋歌を見る……と、彼女はやはりというか、すらすらと問題を解けている様子だった。


「ね、ねえ……」


 と――恋歌の薄い唇が、ぼそっと可憐な声を落とした。

 どうやら、こちらの視線に気づかれてしまったらしい。気まずくなって、俺は教科書へと意識を戻す。


「……解き方。わからないなら、教えてあげよっか?」


 囁くような声音で、恋歌はそう言ってきた。

 やっぱり恋歌は優しいな、と思う。彼女のそういうところに、俺は恋してしまったのだ。


 だけど――同時に、情けないなとも思った。

 俺は私生活だけでなく、勉強面でも恋歌に頼りきりだった。俺のことが大嫌いだという彼女の気持ちに気づかないまま、だ。

 でも俺は、二度と恋歌の優しさに甘えないと決めた。自立すると誓ったんだ。だから――、


「大丈夫だ。自分で考えてみるよ」


 そう短く言葉を返して、ノートと向かい合う。

 ……これからはもう、恋歌には頼れない。なら勉強も、自分で何とかしなければ。

 今日は家に帰ったら、まずは一年生の授業の復習だな――頑張りどころだぞ、綾田秋人。


「……そ、そう。わかった……」


 恋歌もまた、俺から目線を切った。

 その後も時折、ちらちらと恋歌が俺のことを見てきていたような気もしたが……まあ、きっと勘違いだろう。


   ◇◇◇


 午前中の授業が全て終わり、昼休み。

 俺たち幼なじみ()()()はふだん、食堂のテラス席に集まって昼食を取っている。

 ……そう。五人組、である。

 恋歌、英樹、瀬名のほかに、俺にはもうひとり――長谷川勇利という幼なじみがいる。まあ勇利は、俺たちとは別のクラスになってしまったんだけどな。

 と、勇利はすでに円形のテラス席に座り、食事をはじめていた。

 そんな勇利へと、英樹が気さくに声をかける。


「よっ、勇利。待たせて……は、ないみたいだな。なんならもう半分くらい食い終わってるし……」


「悪いな英樹。腹が減っていたんでな」


 黒縁の眼鏡をクイっと持ち上げながら、からあげ定食を食べ進める勇利。

 勇利は、いわゆるガリ勉だ。成績は不動の学年トップ。

 しかし……なんというか、こいつには天然な一面がある。良く言えば自由人、悪く言えば空気が読めないのだ。


「お前ら、とりあえず座ったらどうだ。俺は食い終わったら勉強に戻るがな」


「ったく、ほんとマイペースだよなお前……」


 と、ため息をつく英樹。

 俺たちが着席すると同時、瀬名が「そうそう!」と切り出して、


「ねえねえ、聞いてよ勇利っ! 今日の秋人くんと恋歌、おかしいんだよっ!?」


「おかしい? 秋人はともかく、恋歌はいつもおかしいだろ」


 しれっと毒を吐いた勇利へと、恋歌が不満げに睨みを利かせる。


「ちょっと勇利っ、どういう意味よそれっ!?」


「どういうも何も、恋歌は今日も秋人に弁当を作ってきているのだろう? それが俺には、幼なじみの関係を越えた過干渉に見えるという話だ」


「だっ、だからこれは、バカ秋人がいっつも不健康なものばっかり食べるから……!」


「あぁ、そうだな。恋歌が正しい」


 ……出たよ、勇利のマイペース。

 こいつはいつも、言いたいことだけを自由に言って、かと思えば唐突に会話を打ち切ってくるのだ。俺たちはとっくに慣れているから気にならないが、クラスではちゃんと打ち解けられているのか不安だ。

 と、そこで恋歌が、可愛らしいデザインの布に包まれた弁当箱を俺へと突き出してくる。


「……はい、秋人。あんたのために早起きして作ってきてあげてるんだから、ちゃんと残さず食べなさいよね」


「もちろんだ。ありがとな、恋歌」


 その弁当箱を受け取りながら、俺は恋歌にお礼を告げる。

 料理上手な恋歌の作る弁当は、購買の惣菜や食堂の定食よりもずっと美味しい。それでいて健康面も考えてくれているというのだから、まさに最高の昼食である。

 そういうのを抜きにしても、これは片想いしている美少女の手料理だ。俺はなんて幸せ者なのだろう、と思う。

 でも、一方の恋歌は、きっと――、


「……悪いな、恋歌。いつも大変だろ」


「え? そ、それは……えぇ、もちろん大変よ。まったく、あんたなんかの幼なじみになったことが、私の運の尽きよね」


「…………」


「あんたが栄養バランスすら考えられないダメ人間にさえ生まれてこなければ、あたしはこんな無駄なことしなくて済んだのに。どう責任取ってくれるのよ、このバカ秋人」


 つらつらと、流れるように俺を罵倒する恋歌。

 そんな彼女は今、とても楽しげな笑みの形を浮かべていて。

 俺へと吐いてくる辛辣な言葉の数々から、恋歌の“幸せだ”という感情がひしひしと伝わってくる。


(……俺の悪口を堂々と言えることが、よっぽと気持ちいいんだろうな)


 昨日までの俺は、恋歌のこういう発言を、とくに何とも思っていなかった。照れ隠しか何かだったりして……なんてふうに脳天気なことを考えたりもしていた。

 ――そんなはず、あるわけないのに。

 昨日の放課後、俺は恋歌の本音を聞いた。俺のことが大嫌い、という彼女の想いを。

 だったら今のこの辛辣な言葉こそが、彼女の本音なのだろう。

 だとしたら、やはり俺のするべきことは、ただひとつ。


「だよな。だからさ、恋歌。明日からはもう、俺のぶんは作らなくて大丈夫だ」


「――――え?」


 恋歌の笑顔が、固まった。

 同時。英樹と瀬名が、からん、と持っていた箸を落とす。


「どっ……、どうしちまったんだよ、秋人っ!?」


「そうだよ、ホントにっ!! やっぱり反抗期なの!? ねえっ、ねえ!?」


「違うっての。いつまでも恋歌に迷惑かけたくないんだよ、俺は」


 俺は恋歌の手作り弁当を開き、箸を進める。

 手作りのミニハンバーグは、まさに俺好みの味付けがされていた。……うまい。うますぎる。

 正直、この味を二度と食べられないのは、かなり口惜しい。だが恋歌のためを思えば、それも仕方のないことだ。

 と、すでにからあげ定食を食べ終えていたらしい勇利は、いつの間にか勉強に取り組みはじめていた。彼はこちらに視線すら向けずに、


「らしいぞ、恋歌。よかったな」


 しかし恋歌は、何も言葉を返さなかった。

 彼女はただじっと、俺のことを見つめてくるのみ。

 ……俺の世話から解放されたことが、呆然としてしまうくらいに嬉しいのだろう。

 今までありがとな、恋歌。そんなふうに、俺は内心で微笑んだ。

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