第53話 ふたりの美少女
「……れ、恋歌?」
ごしごし、と俺は目を擦った。
だけど目の前の美少女がいなくならないので、今度は頬を強くつねった。
……痛い。痛すぎる。最近の夢は、ついに痛みまで再現するようになったのか。
「あ。秋人、また寝癖がぴょんってなってる。ふふっ、可愛い」
その恋歌にそっくりな美少女は、天使みたいに優しく笑って、
「秋人、どうする? 私が直してもいい? それとも、自分で直してくる?」
「い、いや……その前に、確認したんだけど――」
はあ。重く、ため息をつく。
……これが夢だと思い込むほど、俺もバカじゃない。
目の前に広がる光景は、まず間違いなく、夢でも幻でもなくて。
つまり。
この制服エプロン姿の超絶美少女――藤咲恋歌も、現実の存在なのだろう。
「――恋歌。なんで、お前が家にいるんだよ……?」
「合鍵、預けてもらったままだったから。……ごめんね、秋人。勝手に入っちゃって」
じゅーじゅー。フライパンの上のベーコンをひっくり返しながら、恋歌は申し訳なさそうに微笑んで、
「で、でもっ、大丈夫だよ? 私、ちゃんと秋人のお母様の許可は取ったからっ。食材も好きに使っていいよって言ってもらっちゃったし。……メッセージ、見せたほうがいい?」
「あー……いや、大丈夫。なんとなく想像はできるし……」
俺の両親は共働きで、かなり忙しそうにしている。
そんな中で俺の母さんは、昔からしょっちゅう「秋人をよろしくね」などという無責任極まりないことを恋歌に言い続けているのだ。合鍵を恋歌に渡したのも、その一環なのだろう。……恋歌にとっては、とてつもない迷惑だったに違いないが。
まあ、ともかく。そういう関係なのだから、母さんが恋歌の来訪を許可すること事態は、何の違和感もない。
が、問題は……、
「恋歌、その……朝飯、作ってくれてるのか?」
そう。そうなのだ。
制服エプロン姿の恋歌は、どこからどう見ても料理中。
その魅力的すぎる後ろ姿に、つい見惚れてしまう――が、ぶんぶんと首を左右に振って、俺はどうにか意識を会話に引き戻す。
「うんっ。……大丈夫だよ、秋人。いらなかったら、ぜんぶ私が食べるから」
「いやっ、そんなことは絶対しないって! しない、けど……っ」
恋歌はたしかに今までも、俺に弁当を作ったりと、だらしない俺の世話を甲斐甲斐しく焼いてくれていた。
だが、こうして家の中に上がり込んで、朝食を振る舞ってくれたことはなかったはず。
しかも彼女は――俺のことを嫌いだと、以前に、そう言ってきたはずなのに。
……ダメだ。混乱するあまり、思考がまったく回らない。ずきずきと頭痛が激しくなる。
「うんっ、できた」
フライパンの火を止めると、恋歌は俺のほうを見てきた。
そのまま恋歌は、天使みたいな……いや、天使もびっくりの可愛らしい微笑みを浮かべて、
「ね、秋人。――朝ごはん、一緒に食べよ?」
まあ……うん。これ以上はもう、考えるのはやめておこう。
もしかしたら、本当に夢を見ているのかもしれないしな。だったらせめて、この時間を堪能してやろうじゃないかと開き直る。
◇◇◇
恋歌の手料理は……それはもう、抜群に美味かった。
かりっかりのベーコンに、半熟の目玉焼き。油揚げの入った味噌汁。ほっかほかの白いご飯。
それを食べ終えるころには、すっかり頭痛は引いていた。鎮痛剤に勝る美食であり。凄まじいな、なんて思う。
「――ごちそうさま、恋歌。うまかったよ」
そう感謝を告げると、恋歌はにこっと幼げに笑って、
「うんっ。えへへ、ありがとっ」
……いやいや。いくらなんでも、その笑顔は反則だろ。
これ以上の直視は、いろいろとマズいことになってしまいそうだった。だから俺は恋歌から視線を逸らして、食器を片付けるために立ち上がる。と、
「あっ、待って! 大丈夫、私がやるからっ」
ちょうど食べ終えた恋歌が、そんなことを言ってきた。
「いや、さすがに悪いって。食器洗いくらい、俺にやらせてくれ」
ここで恋歌に任せてしまうようじゃ、あのころの俺と何も変わらない。
世話焼きな恋歌に頼りっぱなしの、自分じゃ何もできないダメ人間のままだ。
だけど……恋歌は、不安げな上目遣いを俺に向けてきて。
「私が、してあげたいの。……ダメ、かな?」
うぐ。なんだよ、その可愛すぎる表情は。
制服エプロンというだけで俺への効果は抜群だというのに、そんな庇護欲をそそられる顔をされてしまったら、断れるはずがないじゃないか。
「わ、わかったよ。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな……」
「ほんとっ? えへへ、ありがとっ」
幸せそうな、恋歌の笑顔。
そんな彼女の可憐な顔立ちを、俺はちらっと眺めて――あぁ、やっぱりかと思う。
昨日。鈴北さんに告白をされたとき、俺はつい、恋歌のことを考えてしまった。
だけど……困ったことに、今、俺の脳裏には。
恋歌と、鈴北さん。
ふたりの美少女の笑顔が、同時に思い浮かんでいた。




