第48話 そばにいたい、けど
今日は――朝から、秋人の顔を見ることができた。
何日かぶりに、彼と一緒に登校した。クラスの子たちに驚かれた。からかわれたりもしたけど……どうしてか、嫌な感じはしなかった。
ホームルーム前に、秋人に勉強を教えてあげた。ひさしぶりに、彼が私のことを頼ってくれた。期待に応えてあげたいなって思って、できるだけ優しく教えようとした。うまくできてたらいいなって思った。
お昼には、私のお弁当を食べてくれた。秋人の好きなお肉料理を詰め込んだ。野菜もできるだけ美味しく食べて欲しかったら、食べやすいサイズにカットしたり、味付けをしたりして工夫した。そしたら秋人は、「美味しかった」って言ってくれた。心の奥が、すごくぽかぽかとした。
嬉しかった。楽しかった。幸せだった。
明日も、今日みたいに過ごせたらいいな――そんなふうに、願わずにはいられなかった。
その日の放課後。
クラシックギター部の練習終わりに、佐々木先輩と目が合った。
ぺこり、と私は小さくお辞儀をしてから、
「佐々木先輩、お先に失礼します。お疲れさまですっ」
「うん、お疲れさま。そういえば藤咲さん、ようやく調子を戻せたみたいね」
「……すみません。今まで、ご迷惑をおかけしてしまって」
二ヶ月くらい前からかな。秋人との距離ができてしまったと感じたあの日から、私は部活に集中できなくて悩んでいた。
だけど今日は、自分でもびっくりするくらいに集中できた。
頭の中は、秋人のことでいっぱいだったけど――むしろ、そのおかげで上手に演奏できたような気がする。
(……今度の発表会。秋人を誘ったら、来てくれるかな……?)
もし、秋人が来てくれるってなったら……嬉しいな、って思う。
だけどやっぱり、いきなり誘ったりしたら迷惑かな。最近の秋人は、すごく勉強を頑張ってる。その邪魔だけは、絶対にしたくない。
今日の授業中も、つい彼の横顔に見惚れてしまった。そのせいで、きっと彼の集中を遮ってしまったのだと思う。……ごめんね、秋人。
だけど、そのくらい、カッコよかったんだもん。
大好きなひとの、あんな真剣な顔……見惚れちゃうに、決まってるじゃん。
「ふふっ。藤咲さん、なにか良いことでもあった?」
「え? ど、どうしてですか……?」
「今日の藤咲さんの演奏、前よりも弾んでたからさ。幸せですって雰囲気が、私にまで伝わってきちゃった」
そんなことまでわかっちゃうんだ。佐々木先輩、すごいな。
なんだか心を読まれてるみたいで、恥ずかしくなってくる。せめてもの抵抗として、私は横髪をくるくるといじりながら、
「……はい。最近、すごく学校が楽しいんです」
「そっか、それは良いことだ。次の発表会、頼りにしてるよ?」
「はいっ」
私はもう一度だけ先輩にお辞儀をして、空き教室を後にする。
時刻は18時半過ぎ。窓から差し込む夕焼けに彩られた廊下を、私はゆっくりと歩き出した。
(……そういえば、教室にハンドクリーム置きっぱなしにしちゃったんだっけ)
校舎中に、吹奏楽部の演奏が響いている。コンテストの直前で、特別に活動時間を延長してるんだっけ。
だけど、そんな音に負けないくらい――私の心臓は、うるさい音を鳴らしていた。
こうしてひとりになるたびに、私は彼の顔が思い浮かべてしまう。そして決まって、どきどきと胸が高鳴るのだ。
(……秋人。えへへ、秋人、秋人……)
あぁ――幸せだな、って思った。
今日は秋人とたくさん喋ることができた。一緒に登校することができた。彼の寝癖やネクタイを直したりと、お世話をしてあげることができた。
お昼は誘わないことにした。……それだと、鈴北さんに悪いと思ったから。
でも。私は今日だけで、何十分も彼と話せた。彼の声をいっぱい聞けた。
そのことが、どうしようもないくらいに嬉しくて。
にへら。つい、ほっぺが緩んでしまう。
(秋人……昔みたいに、私を待ってくれてたりしてくれないかな……?)
……わかってる。これはぜんぶ、私のわがままだ。
今朝だって、私が強引に秋人の家に押しかけただけ。秋人は優しいから、そんな私のわがままを聞いてくれただけなんだと思う。
本当は――私なんかが、秋人と一緒にいちゃダメなんだと思う。
だって私は今まで、秋人のことを何度も傷つけてきたから。素直になれないだなんて言い訳をして、秋人にたくさん酷いことを言ってきた。
私は、彼の幼なじみとして、失格だ。
だけど……、
(……お願い、秋人。私、ちゃんと良い子でいるから。だから……、)
――もう少しだけ、私を見捨てないでほしい。
もしかしたら彼は、私のことなんか、とっくに嫌いになってしまったのかもしれない。
私と一緒にいる時間なんて、本当は苦痛で苦痛で仕方ないのかもしれない。
でも……ごめんね、秋人。
私はこれから先も、秋人と一緒にいたい。秋人と離れ離れになんて、私には耐えられない。
もう二度と、秋人に酷いことを言わないって約束するから。素直な私でいるって誓うから。
だから、お願い。
私――ずっと、秋人のそばにいたいよ。
(……大丈夫、だよね。きっと、今日みたいな日が続くよね……?)
ぎゅっと、胸が苦しくなる。
いつだったかな。私は秋人に、こんなことを言ってしまったことがある。
『――まったく。秋人ってば、ほんっと私がいないとダメなんだから』
でも、それは違った。
本当は、その逆だったんだ。
秋人がいないとダメなのは、私のほう。
なのに……そんな彼に、酷いことばかり言い続けて。
自分の本音を隠すためにって、彼のことをたくさん傷つけて。
だから。
きっと――――これは、その罰なんだと思う。
やがて辿り着いた、教室の中から。
聞き覚えのある明るい声音が、私の立つ廊下にまで聞こえてきて。
「ね、綾田っち――」
窓の外の夕陽は、いつの間にか灰色の雲に覆われていた。
私の足もとが、薄暗い陰に塗りつぶされていく。そして、
「――――好きです。ウチと、付き合ってください」