第46話 いつもと違う横顔
それから俺は恋歌の隣を並び歩きながら、通学路を歩き続けた。
……俺、恋歌とふたりきりのときって、いつも何を話してたんだっけ。
どうもいつもの調子が出ない。恋歌にどんな話題を振ったらいいのか、まったくわからなかった。
「ね、秋人っ」
と、恋歌が俺の名前を呼んでくる。
弾むような声音だった。機嫌が良いときの喋り方。たとえば、そう、欲しがっていた服を買った直後みたいな。
「……な、なんだよ」
「ふふっ。ううん、嬉しいなって思って」
恋歌は歩きながら少しかがんで、俺の顔を下から覗き込んでくる。
彼女の整った顔に、じっと見つめられて……なんだよその、あざといポーズ。可愛すぎるだろ。
「秋人と一緒に登校できるのって、こんなに幸せだったんだなって思って。――ありがとね、秋人っ」
あぁ……本当に、俺はどうすればいいんだ。
今の恋歌は、まさに別人同様だ。今までのツンとした態度はどこへやら、デレとしか思えない言動を繰り返してくる。
こんなにもやわらかい態度を恋歌が俺に取ってくるのは、小学生以来だろう。少なくとも中学生になった直後くらいからは、ツンとした態度が多かったし。
教室に到着すると、やはり、クラスメイトたちから驚きの視線を向けられた。
……男子の誰かが「チッ」と舌打ちをしていたのを俺は聞き逃さなかった。これが完璧美少女と一緒に登校する重みか、なんてふうに思う。
「ね、秋人。物理の課題、やってきた?」
席に着くと同時に、恋歌は脇目も振らずにそんなことを聞いてくる。
恋歌の眩しい笑顔を、どうにも直視できそうになかった。だから俺は、頬杖をついて照れ隠しをしながら、
「……やったよ。まあ、解けない箇所は空白のままだけど……」
つい正直に答えてしまったが、恋歌は、どんな反応をするだろうか。
あの程度の課題も解けないなんて、と呆れられてしまうだろうか。そう思うと、少しだけ身体が強ばってくる。
「そっか。偉いね、秋人っ」
だけど。
恋歌は天使みたいに優しい声音で、そっと微笑むだけだった。
「秋人。どこが解けなかったの?」
「えっと、問4がぜんぜんわかんなくて……」
テキストをぺらぺらとめくりながら、そう返す。
と、恋歌は甘えるような上目遣いで、
「……そっち、行ってもいい?」
「え? い、いいけど……っ」
「ほんと? ありがと、秋人っ」
そう俺が言うと、恋歌は自分の椅子を運んで、俺のすぐ真横に移動してきた。
恋歌の吐息を、耳もとで感じてしまうくらいの距離感。……ヤバい、いくらなんでも近すぎだ。恋歌の綺麗に整った可愛らしい顔が、俺のすぐ真横にある。俺の心臓は、当然のように破裂寸前だった。
ついでに、クラスメイトの男子からの視線がめちゃくちゃ痛い。恋歌はこの視線たちに気づいてないのだろうか。
「あ、ここね。これは、こないだ習った法則を応用して――」
毎度のことだが、本当に顔が可愛すぎる。なんなんだこの美少女は、と思う。
それと、この甘い匂い。香水とか……って、わけじゃないよな。真面目な恋歌が、校則を破るとは思えないし。
「――秋人? 聞いてるの?」
「あっ……ご、ごめん! ぼうっとしてた、悪い……」
まずいな。せっかく恋歌が親切心で教えてくれていたというのに、聞き逃してしまった。
これはさすがに、怒らせてしまうだろうか。そう思って、ちらりと恋歌の表情を伺うと、
「ううん、いいの。じゃあ、秋人。もう一回教えるね?」
なんでだよ、と思う。
なんで……そんなに、嬉しそうに笑うんだよ。
恋歌のことが、ますますわからなくなる。幼なじみだというのに――俺は、彼女のことを何もわかっていないらしい。
授業中は、もっと異様だった。
一分に一回くらいのペースで、ちらちらと恋歌が俺のほうを見てくるのだ。
……こんなんじゃ、授業に集中できない。そう思って恋歌のほうへと目を向けると、ぴったり彼女と視線が重なった。
「あ……っ、ご、ごめん、秋人……」
俺が何かを言う前に、恋歌はしゅんと肩を落とした。
そのまま彼女はひそひそ声で、申し訳なさそうに言葉を続けてくる。
「……ごめんなさい。迷惑、だったよね……?」
「いや、そうじゃなくってさ……その、あんまり見られると気になるっていうか……もしかして、何か用事だったか?」
かつかつ。教師がチョークで、黒板に例題を書き進めていく。
静かな教室の隅で、俺は恋歌の返事を待つ。
「用事、というか、その……」
しかし恋歌は、もじもじと唇を動かすのみで、しばらく何も言ってこなかった。
教師が例題を書き終える。生徒たちはノートに向かい合い、かりかりとシャーペンを動かす音だけが響いていた。
そんな中で恋歌は、その口もとを手で覆うように隠しながら、俺の耳もとへと唇を近づけて、
「――――……真面目に勉強する秋人が、ね? その……か、カッコよかったから……」
囁き声が、俺の耳を撫でる。
くすぐったくて、甘ったるくて……あぁもう。なんなんだよ、これ。
彼女へと視線を戻す、と――恋歌はすでに、ほかの生徒と同様、黒板の例題を解きはじめていた。
だけど。ほんのりと朱に染まった、いつもと違う恋歌の横顔は。
言いようのないくらいに魅力的で、それでいて可愛らしくもあって。
なのに。
ずきり、と。……どうしてか、俺の胸の奥は激しく痛んでいた。




