表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

45/89

第44話 そっと、寄りかかる

「――――……秋人っ! よかった、やっと会えた……っ!」


 目の前の少女――藤咲恋歌は、にへら、と嬉しそうに笑った。

 一方の俺は、ぱちくり、と、まばたきをするのみ。


「ふ、藤咲? なんでここに……」


「探したの。もしかしたら秋人、ここにいるのかもって」


 そう言うと藤咲は、俺のほうへと歩み寄ってくる。

 彼女はなぜか、俺と同じで、いまだにユニフォーム姿のままだった。……どういうことだよ、と思う。

 だけど、考えてもわからない。

 藤咲が――俺のことを、探してた?


「……そうか。閉会式の前だから、俺を探してこいって先生にでも……」


「ううん、違う。私と秋人は先に帰ったって伝えてもらうように、もう瀬名にメッセージしちゃったし」


「は? いや、なんで……っ」


「秋人と、ふたりきりになりたかったから。――えへへっ。私、悪い子になっちゃった」


 やがて彼女は、俺の正面まで近づいてきて。

 その可憐な顔が、じっと俺のことを見上げてきて……、


「汗。拭いてあげるから、座って?」


「……え?」


「ね、いいでしょ? ……風邪、引いちゃうよ?」


 藤咲は幸せそうに笑った。

 昨日の夜も、どこか彼女は様子がおかしかった。だけど今は……昨日よりもさらに、距離感が近いような気がして。

 そんな藤咲に言われるがままに、ぺたん、と俺は腰を下ろしてしまう。


「ふふっ、いい子。それじゃあ、髪から拭いてくね?」


「お、おう……?」


 藤咲は俺の首にかかっていたタオルを手に取って、そのまま俺の髪をよしよしと拭いはじめた。

 ……なんだか撫でられてるような感覚だ。気恥ずかしくて蒸発してしまいそうになる。


「ね、秋人」


「えっ!? な、なんだよ……」


「私ね。秋人に、言いたいことがあるんだ」


 撫でるような手つきは、そのままに。

 ふだんよりもずっと明るい声音で、藤咲は言ってくる。



「今日の秋人は、ね――すごく、カッコよかったよ?」



 ――え、と思った。

 想像もしていない言葉だった。思わず、表情が固まる。


「ううん、今日だけじゃない。秋人はいつだって、すごくカッコよかった。いつも誰かのために一生懸命になれて、ほかの誰よりも頑張れて。陰でいっぱい努力したりして。そんな秋人のことを、私はすごく尊敬してるんだ」


 藤咲の、穏やかな声が。

 俺の全身に、ゆっくりと染み渡っていく。


「あのときだって、同じことを思ったの。秋人、私のために、年上の先輩に立ち向かってくれたでしょ? ああいう危ないのは、もう絶対に辞めてほしいけど……でも私、すごくカッコいいなって思っちゃった」


 俺の髪を拭う、タオルの感触が。

 よし、よし、という藤咲の手の動きが心地良くて。

 ……あぁ、ダメだと思った。これ以上は、もう、俺は。



「私は、ね――秋人の、そんなところが好き。大好きなの」



 ぎゅっ、と。

 少女の華奢な身体が、俺を抱擁してきた。

 あったかい彼女の体温に、そっと優しく包まれる。


「っ……!? 藤咲っ、なにを……っ」


「秋人、泣きたいんだよね? 幼なじみだもん、そのくらいわかるよ」


 むぎゅう。さっきよりも、ほのかに強い抱擁。

 とく、とく……という、少女の穏やかな鼓動が伝わってくる。


「ほら、いいんだよ? 秋人のカッコいいところは、もういっぱい見せてもらった。だから――」


 優しくて、甘い声音に。

 彼女の温もりに、俺は抗えなくて。

 

「――今度はさ、秋人のカッコ悪いところ、いっぱい私に見せてよ。ね?」


「……っ! なんで、そんなこと……ッ!」


 視界が、霞んでいく。

 喉と目尻が、焼けるように熱い。

 胸が苦しい。痛い。今すぐにでも張り裂けてしまいそうだった。


「だって……恋歌は、俺のことが――」


「あ。名前、呼んでくれた」


 耳もとで、穏やかな少女の声が囁かれる。

 ぽん、ぽん……と、背中に触られる。まるで赤子をあやすかのような、繊細な手つき。


「ふふっ。嬉しい。秋人、秋人っ」


「……なあ、恋歌……っ」


「うん。いいよ、何でも言って?」


「なんで……なんで、こんな優しくするんだよ……っ」


 ――俺はダメだな、と改めて思う。

 恋歌に抱きしめられて、小さな子供みたいに涙を流して。

 この感情を、もう、我慢できそうになくて。


「俺は……恋歌の、言うとおりの人間だ。面倒くさがりで、だらしなくて、不真面目で、勉強も運動もいまいちで……っ」


 喉が、動く。

 激情に流された言葉が、こぼれていく。


「だから……っ、恋歌に嫌われて、当然だって思った。なのに……なんで、恋歌は、こんな俺なんかに……っ」


「……ごめんね。私のせいで、いっぱい辛い目に遭わせちゃったよね」


「っ、違う! 俺は、ただ……っ、こんな、自分が嫌で――」


「ね、秋人。私の本当の気持ち、聞いてくれる?」

 

 とくん、とくん、と。

 俺と恋歌。ふたりぶんの心音が、混ざり合っていく。

 やがて。恋歌は、そっと俺の耳もとに唇を寄せて――、



「私、ほんとはね――秋人の、そういうダメなところも好きなんだよ?」



 なんだよ……なんだよ、それ。

 どうして今になって、そんなこと言うんだよ。


「……秋人。今まで、本当にごめんね。私、ずっと強がってたの。秋人に、私の本当の気持ちを知られるのが怖くて……もし知られたら、今まで通りの関係でいられないかもって思っちゃって。そうやって、この気持ちと向き合うことから逃げ続けてたんだと思う」


 それは。

 どういう……意味、なんだろうか。


「でも、そのせいで私、秋人をたくさん傷つけて……ごめんね、秋人。ほんと、私って酷い幼なじみだよね……」


「っ、そんなこと、俺はっ……」


「だから――そのお詫び、ってわけじゃないけど。今度こそ、ちゃんと伝えさせて?」


 恋歌の声が。

 心地良いソプラノボイスが、俺の意識を奪い続ける。


「私はずっと前から、秋人のことが大好きだった。カッコいいとこも、そうじゃないとこも、ぜんぶ。秋人のぜんぶが、私は大好きなの」


「…………、恋歌……っ」


 恋歌の抱擁は、あったかくて、やわらかくて。甘い香りがして。

 とん、とん。俺の背中を叩く手つきは、すごく優しくて。

 なんだか……安らかな心地に、なってくる。


「だからね、秋人。たまには、私に甘えてほしいな。いっぱい泣いて、秋人の情けなくてカッコ悪いところ、いっぱい私に見せて?」


「……っ、だからっ、なんで……」


「秋人は今日まで、あんなに頑張ってきたんだもん。だから幼なじみの私が、偉いねって褒めてあげなきゃ。ね、そうでしょ?」


「…………ははっ。なんだよ、それ……っ」


 ――やがて、夕焼けが沈んでいく。

 空の色が、ゆっくりと闇色に染まっていく。


 思い出すのは、あの日の夜の、静まり返った河川敷。

 秋人なんて、大嫌い――あのときの恋歌の声音を、今だって、俺は鮮明に思い出せる。

 そして俺はこの場所で、恋歌から自立すると決意した。ぺしん、と強く自分の頬を叩いたのだ。

 あの痛みを、忘れてしまったわけじゃない。そう簡単に、忘れられるはずもない。


 だけど――今、この瞬間の恋歌の温もりも。

 きっと、いつまでも忘れないと思う。

 だから、俺は。


「――――あのさ、恋歌」


「うん。どうしたの?」


「もうちょっとだけ……強く、抱きしめてほしい」


「うん。わかった――」


 まあ、今日くらいは。

 ダサくてカッコ悪い自分のままでも、いいかなと思った。

 恋歌に、そっと寄りかかって。彼女の手に導かれるようにして、その胸へと顔を埋めて。

 それから俺は、彼女の胸の中で涙を流し続けた。

 あの日みたいに、どこの誰よりも情けなく。


 ……でも、あの日とは違って。

 そんな情けない自分のことが、ほんのちょっとだけ、誇らしく思えたような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ