第41話 「頑張れ」
――幼なじみの声が聞こえた。
不慣れそうな、ちょっと掠れた声音だった。ふだん大きな声を出さない彼女なりの、精いっぱいの声援だったのだと思う。
その声に、俺は突き動かされていた。
パスを受け取った。最高としか言いようのないタイミングだった。
ボールを顔の前で構える。ふわりと自然に身体を浮かす。
スリーポイントのラインから、俺は気づけば、シュートを撃っていて。
(…………そっか。頑張れ、か)
ふと、応援席のほうを見る。
落下防止の柵と手すり。そこから身を乗り出した俺の幼なじみと、視線が重なる。
彼女は、目をきらきらと輝かせていて。ちょっとだけ心配そうに唇を噛みながら、優しい眼差しで俺を見守ってくれていて。
「――――――ありがとな、恋歌」
すぽん。気持ちのいい音とともに、得点のホイッスルが鳴り響く。
同時――応援席のクラスメイトたちが、一斉に湧き上がった。逆転でもしたかのような、大げさすぎる歓声が響く。
「――――いいぞっ、秋人ッ!! ナイスシュートだっ!!」
英樹の声だった。
爽やかだけど、熱い声音。いつも俺の背中を押してくれる、優しくて強い親友の顔が思い浮かぶ。
「秋人くんっ、ナイスっ! ほら次っ、早くディフェンスしてっ!!」
続けざまに、瀬名の声が響く。
手厳しいな、と思った。だけど瀬名らしい、前向きな声援だった。
「綾田っち、ファイトっ! さっきのシュート、またウチらに見せてっ!!」
鈴北さんの、明るい声。
彼女はいつも、俺に元気を分けてくれる。試合中でも、その効力は絶大らしい。
「がんばって、九条くんっ! あと寺西くんも、さっきはナイスディフェンスだったよっ!」
「中島くんナイスパスっ! あと五分だよっ、頑張って!!」
「大久保ぉ!! ダンクしろっ、ダンク!!」
やがて、次々と。応援席のクラスメイトたちの声援が、体育館を響かせていく。
コートの中では、中島くんが笑顔で俺へと親指を立てて、
「綾田、ナイスっ! ここ守って、次も取るぞっ!」
さっきまでよりも、熱の篭った声音。
彼だけじゃない。寺西くん、九条くん、大久保くん……チームメイト全員の顔つきが、今までとは異なるものになっていた。
そんな中で、相手のスローインから試合が再開。素早いパス回しを駆使してくるA組――だが、それを察した寺西くんが見事にパスカット。そのまま相手ゴールまでドリブルで駆け抜け、レイアップシュートで得点してみせた。
沸き立つ応戦席、ハイタッチで喜び合う寺西くんと中島くん。
とはいえ得点は23-117。残り時間は五分弱。とても今から追いつけるような状況じゃないことくらい、この場にいる全員がわかっている。だけど――、
「綾田っ!」
中島くんはダッシュで自陣へと戻りながら、強気な笑みを浮かべていた。
優しい彼の性格には似つかわしくないはずなのに、今の中島くんには、とてもその表情が似合っているように俺は感じた。
「この試合っ、最後まで戦い抜くぞっ!!」
熱血な台詞。これもまた、彼らしくない。
いや……らしくないのは、俺も一緒だな。
「……っ、あぁ!!」
なんだろうな、この感覚は。
今なら何でもできると錯覚してしまいそうな、そんな全能感。
ふと俺は、もう一度だけ応援席へと視線を向ける。
柵の前に立っている少女の綺麗な瞳と、ふたたび目線が重なった。
(――――――……やっぱり、恋歌はすごいな)
全てのキッカケを作ったのは、彼女だった。
あの一言が、クラスの……いや、この体育館中の空気を塗り替えたのだ。
きっと、とてつもない勇気が必要だったに違いない。
それでも彼女は、この長い沈黙を破るために、一歩を踏み出してくれた。
そんな彼女の勇気に、俺は――応えたいな、と思う。
「ちっ、たった五点でうるせえな……」
試合が再開し、町田くんがそう呟いたのを俺は聞き逃さなかった。
彼はすぐにボールを受け取ると、猛スピードのドリブルでこちらに突っ込んできた。中島くんは追いつけず、強引に抜き去られしまう。
そのままゴールに向かおうとする町田くんの前方へと、今度は俺がディフェンスを仕掛ける。
「どけよ、雑魚っ!!」
……なんだそりゃ、と思った。
町田くんらしくない、乱雑なプレイだった。いつも通りのドリブルをすれば、俺なんか相手にならなかっただろうに。
なのに彼は、タックルじみたドリブルで俺に突っ込んできた。
俺はあえてそれを避けない。直後、町田くんは俺を突き飛ばして――当然、ファールを取られて俺たちのスローインに。
「ちっ、くそ……っ!」
あ……そうだ、思い出した。
どこかで見覚えのある顔だなと思ったけれど、今の忌々しそうな表情で完全に記憶が蘇った。
あれはたしか、ちょうど去年の今ごろ。町田くんは恋歌を校舎裏に呼び出して、告白し――見事なまでに、撃沈していた。
まあつまり、町田くんは、恋歌のことが好きなのだ。
俺と同じく、あの心優しい完璧美少女に惚れてしまったわけである。
「町田くんだっけ。君さ、恋歌の得意料理が何かって知ってる?」
「……はァ?」
「ま、そりゃ知らないよな。一生バカみたいにバスケだけやってろよ、雑魚なんだからさ」
……おっと。ちょっと今のは、さすがに言葉が強すぎたか。
俺もまだまだ子供だなと反省する。少し遅れて、ものすごく恥ずかしくなってくる。
ともかく、試合は再開。寺西くんの鋭いスローインから、中島くんのドリブルに繋った。そこにディフェンスが食いついた隙を狙って、俺がパスを受け取る。
目の前には、苛立った町田くん。……スリーポイントを警戒したのか、かなり距離が近い。
この至近距離なら、俺でもドリブルで切り込めるだろうか――と、そう思考を回しはじめたのと同時に、
「――――――秋人っ!! お願いっ、頑張って……っ!!」
恋歌の声援に、背中を押されるがままに。
瞬間。俺は町田くんのディフェンスを抜き去って、レイアップシュートを決めてみせた。
これで俺たちの三連続得点だ。応援席から、さっきよりも大きな歓声が上がる。
だけど……、
「秋人っ! ナイスシュート……っ!!」
俺の耳には、恋歌の声しか届かなかった。
――彼女が、俺の名前を呼んでくれている。
――こんな俺のことを、全力で応援してくれている。
あぁ、やっぱりダメだな、俺は。
試合中だというのに……思わず、笑みがこぼれてしまいそうだった。
残り時間は四分。点差は、およそ90点。
勝ち目はゼロだ。そんなこと、最初からわかっている。
だけど、必死に戦い抜こうと思う。
俺なんかを応援してくれる、幼なじみのために。
そして、何よりも――そんな彼女に恋心を抱いてしまってる、身の程知らずな俺自身のために。




