第40話 私の本音
男子バスケが始まって、ついに第四クォーターに突入した。
スコアは、18-111。開始直後にスリーポイントシュートを決められて、また差が広がってしまった。
そんな試合の行く末を、私たちは体育館二階の応援席から見守っている。
だけど……誰もが言葉を発せないくらい、すごく空気が重かった。ムードメーカーの瀬名や英樹も、ほとんど無言で試合をじっと見ているだけ。
「…………、秋人……」
私はずっと、彼から目を離せなかった。
あの場で唯一、秋人だけがバスケ部じゃない。それでも秋人は一生懸命プレイして、試合に食らいついている。後半からは自分がフリーになりがちだということに気づいたのか、積極的にパスをもらってシュートを撃つようにしていた。
思い出すのは、昨日の夜のこと。
秋人と、ひさしぶりに話すことができて。それだけじゃなくて、一緒にバスケをしたり、家まで送ってもらったり……なんだか、すごく幸せな時間だったな。
(……どうしちゃったんだろ、私。今までは、秋人に話しかけられなかったのに)
不思議な感覚だった。
昨日はどうしてか、素直な気持ちで彼に接することができた。いつもみたいに強がって、酷いことを言ったりもしなかったはず。
きっと――私は、怖かったんだと思う。
このまま秋人と離れ離れになっちゃうのが嫌だったから。それで昨日は、いっぱい勇気を出せたんだと思う。そうしないと、もう一生、秋人と話せないような予感がしたから。
「……ねえ、恋歌」
ふと。
隣に座っていた瀬名が、私の名前を呼んできた。
いつもの元気は感じられない、しぼんだような声。
「あたし……秋人くんに、悪いことしちゃったかな……」
「……え?」
「あたし、秋人くんが目立つの嫌いだって知ってたのに、バスケ組を任せちゃったから。そのせいで、こんな感じになっちゃって……」
下を向いて、瀬名は唇を噛んだ。
「……恋歌もごめんね。あたしのために頑張ってくれたのに、結局、負けちゃったね」
「………………」
どうしてよ、と思った。
どうして……瀬名は、そんなこと言うの?
「そう落ち込むなって、瀬名。秋人はべつに、そんなこと気にするようなヤツじゃないって」
瀬名のさらに隣から、英樹の優しげな声。
「ま、結果は残念だったけどさ。体育祭もあるんだし、それで取り返そうぜ」
……英樹も、そうなんだ。
秋人の親友だって、自称してるくせに。
「そうだよせなりんっ、元気出してっ!」
遠くの席に座っていたはずの鈴北さんが、瀬名の近くまで歩いてくる。
「綾田っちのことは、ぜんぶウチのせいだもん。それにほらっ、来年はクラス替えがないから、ウチらは同じクラスのままなワケじゃん? だからさっ、来年こそ頑張ろうよっ! ね?」
……鈴北さんまで、そう言うんだ。
どうしてみんな、そんなふうになっちゃうの?
得点は18-117。もう一点でも取られたら、ついに100点の差ができてしまう。
応援席のみんなの中には、もはや試合を見てない子もいた。くすくすという笑い声すら聞こえてくる。
試合に出ている中島くんたちも、明らかに全力を出していないように見えた。
だけど――だけど、彼だけは。
秋人だけは、必死に、諦めずに戦っている。だから、
(……みんな、秋人のことを、ちゃんと見てよ……っ!)
秋人がパスを受け取り、ドリブルでゴール下に切り込んでいった。
だけどディフェンスを抜けなくて、仕方なく大久保くんへとパス。慎重にパスを回して再展開を狙いつつ、秋人は素早く走ってマークを振りほどこうとしていた。
……秋人は、まだ、全力でプレイしている。
あの場の誰よりも、得点を取るために頑張っているんだ。
(…………秋人、っ……)
昨日も。もっと遡れば、あの河川敷でのときも。
……ううん、違う。
私はずっと前から、この気持ちを知っていた。
秋人は面倒くさがりで、だらしなくて、不真面目で、勉強も運動もいまいちで。
寝癖とかネクタイとか、身だしなみを気にもしようとしないし。ご飯のときは好き嫌いばっかりで、栄養のことは考えようとしないし。
それに、遅くまでゲームをしてばっかりで、いつも目の下にクマがあって。
そして――本気で頑張るときの姿が、誰よりもカッコよくて。
誰かのために一生懸命になれる彼の横顔は、どんな光よりも眩しくて。
「…………っ、れ」
あぁ――なんだ、そうなんだ。
身体の底から湧き上がってくる衝動に、私はもう逆らえない。逆らうつもりもない。
いつの間にか私は、応援席の前にある柵へと飛びついていた。その手すりから身を乗り出して、ぱっと目を見開く。すう、と思いっきり息を吸う。
ちょっとでも近くから、彼のことが見たかったから。
ちょっとでも大きな声で、この気持ちを彼に伝えたかったから。
だから、私は。
彼のことを――大好きな幼なじみの姿を、まっすぐに見つめて、
「――――――――――頑張れっ、秋人……っ!!」
気づけば、そう全力で叫んでいた。
私の振り絞った声が、体育館の天井に響く。A組の黄色い歓声が、ぴたりと止まる。
同時――秋人のバスケットシューズが床を踏む音だけが、その沈黙の中に鳴り渡って。
遠く、白いラインの外側。
スリーポイントの位置から、彼が静かにシュートを放つ。
(……そっか。私、そうだったんだ――)
瞬間。
彼と、目線が重なった。
その横顔は――うん、やっぱり。
世界でいちばん、誰よりもカッコいいなって思う。
「――――私、秋人のことが好き、なんだ……」
すぽん。心地のいい、綺麗で美しい音。
得点を告げるホイッスルは、私の耳には届かない。
だって……それくらい、心臓の音がうるさかったから。




