表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/89

第36話 幸せそうな笑顔

(――いやいやっ、勘違いするなって俺! そんなわけないだろ……)


 だって俺は、大嫌いだと藤咲に告げられてるのだから。

 今は、なんというか……そう、きっと舞い上がっているのだ。まったくそんなふうには見えないが、藤咲は意外と明日の球技大会を楽しみにしているのかもしれない。だからテンションが高くなって、つい思ってもないようなことを言ってしまったのだろう。

 だとしたら、俺はラッキーだな。ふだんの藤咲なら、彼女の胸を直視してしまった時点で罵倒1時間コースだったはずである。


「秋人、どうしたの? 顔、赤いよ?」


「えっ!? わっ、悪い……」


 くそ……困ったな、めちゃくちゃ調子が狂う。

 藤咲とは十年以上の付き合いだが、悪口ひとつ言われないのは幼稚園のとき以来だと思う。小学校に入るころにはすでに、彼女は俺にだけ辛辣になっていたし。

 それが今日は、そういうのが一切ない。

 むしろなんというか、俺にすごく優しくしてくれているような感じがして……ヤバいな、これ。このままじゃ俺は、あっさり藤咲に惚れ直すぞ。


「……体調、悪かったりはしない? ちょっと休憩する?」


「いやっ、しないしない。ほんとに大丈夫だから……」 


「ほんとに? 熱とか、ないよね?」


 そう言うと藤咲は、俺のほうへと近寄ってくる。

 またしても距離が近くなる。至近距離で見る彼女の整った顔立ち、そしてスポーツウェア越しにわかる身体のラインを直視してしまい、俺は慌てて目を逸らした。

 しかし――ぺたん、と。

 藤咲の白くて細い手が、俺の額に触れてきた。


「っ!? ふ、藤咲……?」


「……うん、大丈夫みたいね。えへへ、よかった」


 ほっとしたように笑顔を見せて、俺から離れる藤咲。

 いや、本当に……いくらなんでも、可愛すぎるだろ。

 というか藤咲の手は、すごく小さかった。しかもすべすべで、やわらかくて。女の子の手の感触って、あんな感じなんだな。


「じゃあ秋人、続き、できる?」


「え? お、おう……」


 俺は頬をぺしぺしと叩いて、バスケに集中する。

 そうだ、落ち着くんだ俺――藤咲はただ、明日に向けて練習がしたいだけ。俺のことが大嫌いだという気持ちを、今だって我慢しているに違いない。

 それにしては距離感が近すぎるような気もするが、そんなもの、どうせ俺の思い込みに決まっている。


「よし。じゃあ、行くぞ藤咲」


「うんっ」


 俺は今度こそドリブルの体勢を構え、オフェンスを開始させる。

 左側に藤咲のデフェンスを引き寄せてから、即座に方向転換をして右側から切り込もうとして、


「――――やべっ、」


 結局……集中など、できるはずがなくて。

 俺は思いっきりドリブルをミスして、カバーしようと強引に身体を動かすが、足が絡まって前に倒れてしまう。

 そして俺の正面には、当然、ディフェンスをしていた藤咲がいて……、


「――――きゃあっ!?」


 どてんっ。藤咲の華奢な身体に、うっかり激突してしまう。

 そのまま俺たちは、バスケコートを背にして倒れ込んだ。

 俺が……藤咲を、押し倒すような姿勢で。


「っ!! 悪い藤咲っ、怪我は――」

  

 と、そう声をかけようとしたのと同時に。

 俺は、手の中の感触に気づく。

 むにゅ……という、その至福の触り心地に。


「んっ……ねえ、秋人。そこ、手……っ」


 藤咲の嬌声と、ほのかに赤らんだ可憐な顔立ち。

 お互いの吐息を感じるくらいの距離で、俺たちは見つめ合って。

 俺は何が起きているのかすら理解できないまま、数秒が経ち――ふと、唐突に気づく。


「あっ――ご、ごめん……っ!!」


 慌てて俺は、飛び上がるようにして彼女の身体から離れる。

 だが、いまだに手の中には、藤咲の胸の感触が残ってしまっていた。人生で初めて触れた異性の胸は、想像よりもずっとやわらかくて……あんなにも触り心地がいいものなのか、と思う。

 って――今はそんなこと考えてる場合じゃないだろ、俺。

 今回ばかりは、言い逃れなどできない。する気にもなれなかった。

 俺は今、そのくらい最低な行為を藤咲に働いてしまったのだ。

 

「そのっ……本当にごめん、藤咲。でも俺、わざとじゃなくて……」


「うん、わかってるよ。秋人は、そんなことするひとじゃないもん」


 なのに。

 藤咲はゆっくりと立ち上がりながら、そっと優しく微笑んだ。

 月明かりに照らされた亜麻色の髪が、まるで天使の羽のように見えてくる。


「でも……えへへ。私、生まれて初めて、男の子に触られちゃった」


「う……わかったよ。俺、警察に自首してくる……」


「ふふっ、何それっ。私、べつに怒ってないよ?」


 にひ、と。

 なぜか藤咲は、どこか無邪気に笑って。


「だって、私――秋人にだったら、嫌じゃないもん」


 藤咲の綺麗な瞳に、見つめられて。

 ――俺の心臓のあたりが、何かに撃ち抜かれたような感覚があった。

 どくどく、と。弾けるような鼓動が、身体の隅から隅へと広がりはじめる。


「ッ……あのさ、藤咲……」


「うん? どうしたの、秋人?」


「今日は……もう、帰ろうぜ。あんまり遅いと、明日に支障が出るしさ……」


 ――これ以上は限界だった。

 今日のこの藤咲と話していると、つい勘違いしてしまいそうになる。

 もう、すべては終わったはずなのに。


「……そうだね。わかった、帰ろっか」


 少しだけ悲しそうに、藤咲は頷いてから、


「ね、秋人。……途中まで、秋人と一緒に帰りたい。ダメ……?」


 甘えるような、可愛らしい上目遣い。

 学園一の美少女からのそれを受けて、俺のようなモブ生徒が断れるはずもなく。


「まあ、どうせ近所だしな。わかった、送っていくよ」


「いいの? ……えへへっ。ありがとね、秋人」


 藤咲は、幸せそうな笑顔を俺に見せてきた。


 ……なんでそんな顔するんだよ、藤咲。

 ……俺のことが、大嫌いなんじゃなかったのかよ。


 桜の木が鳴らす葉擦れの音が、いつもよりも騒がしいような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ