第2話 自立の第一歩
翌朝。
俺が家の玄関を出ると、そこには超がつくほど可憐な美少女が立っていた。
セミロングの綺麗な亜麻色の髪をハーフアップにした、吊り目がちな双眸が特徴の美少女――彼女こそが、俺の幼なじみである藤咲恋歌である。
「おはよ、秋人」
「お、おう。おはよう、恋歌……」
そっけない挨拶。そのまま俺たちは、静かに通学路を歩きはじめた。
そんな恋歌の綺麗な横顔に……やはり俺は、どうしようもないくらいに見惚れてしまう。
恋歌の勝ち気そうなその顔立ちには、男なら誰もが見惚れてしまうだろう美貌と、年相応の幼げな可愛らしさが同居していた。その危うげなまでの魅力を秘めた容姿に、俺の意識は否応なしに奪われる。
(……改めて思うけど、こんな超絶美少女と俺なんかが付き合えるはずないよな……)
わかっていたことではあるが、一晩経ったくらいでは、昨日の傷は癒えてくれなかった。
恋歌が口にしていた「大嫌い」という言葉が、ふと俺の脳裏に蘇る。そして同時に、ずきりと俺の胸を締め付けてきた。
「ちょっと、秋人? どうしたのよ、ぼうっとして」
「いや……大丈夫だ。べつに、なんでもないよ」
「そ、そう? というか――ねえ、秋人。まずは私に何か言うことがあるんじゃないの?」
じとっとした目を向けてくる恋歌。……こいつ、やっぱりマジで可愛いな。
恋歌の容姿は、そこらのアイドルや女優なんかの何十倍も整っている。顔立ちだけではなく、スタイルまでもが抜群だ。ほどよい大きさの胸に、短いスカートから伸びる白くて艶っぽい美脚。それでいて優しい性格でもあるのだから、これで惚れるなというほうが無理な話だよな、と改めて思う。
「――ちょっと。なんで無視するのよ」
「え? わ、悪い。なんの話だっけ……?」
「昨日の放課後。私に何の連絡もせず、ひとりで勝手に帰ったでしょ」
あ……そうか、たしかにそうなるか。
失恋のショックで完全に忘れていたが、そういえば俺は昨日、恋歌を置いてけぼりにして下校してしまった。いわゆるドタキャンというやつだ。
「す、すまん! 悪気はなかったというか、それどころじゃなかったというか……っ!」
「……はあ、このバカ秋人。何か用事ができたなら、連絡くらいしなさいよ」
バカ秋人。
そうそう、これだ。こんな感じだ。
こうやって恋歌は口癖みたいに、いつも俺を罵倒してくるのである。
……恋歌の言うとおりだな。本当に、俺ってやつはバカだ。
昨日まで俺は、恋歌から放たれる辛辣な言葉の数々を“心を開いてくれている証拠”だなんてふうに考えていた。
実際は、ただ純粋に俺のことが嫌いで、正面からはっきりと悪口を言っているだけだったというのに。
「まったく。秋人ってば、ほんとにダメ人間なんだから。今日だって、また寝癖が――」
と、恋歌の綺麗な金色の瞳が、俺の髪のほうをちらっと見てきた。
そこで彼女は、ぴたりとその場で足を止めて、
「――え? な、ない。寝癖がない……?」
露骨に驚く恋歌。
その反応を見て、俺は――ぐっ、と内心でガッツポーズをしていた。
「あれ……ネクタイも曲がってないし、服にゴミも付いてない……! ちょっと秋人っ、どうしちゃったの!? 何か変なモノでも食べた!?」
「安心してくれ。朝はパンしか食べてないから」
はあ、と俺は息をついて、
「恋歌、いつも俺に言ってくれてただろ? 身だしなみくらいちゃんと整えろこのダメ人間、ってさ」
「え? えっと、それは……う、うん。そう、だけど……」
「だから、そうすることにしたんだよ。これからはもう、二度と恋歌に迷惑はかけないつもりだ」
だって恋歌、俺のことが嫌いなんだろ――その言葉は、心の奥底に沈めておく。
昨日のあの会話を俺に盗み聞きされていたことを知れば、恋歌も決して良い気はしないだろうし。
「……ふうん、そう。偉いじゃない、秋人」
そう言ってくる恋歌の横顔は、どういうわけか、ちょっと怒っているように見えた。
大嫌いな俺の世話を焼かずに済むのであれば、それに越したことはないと思うのだが……まあ、おそらくは俺の宣言を信じていないのだろう。そんな幼なじみの姿にムカついているとか、たぶんそんなところだ。
――よし。ならばここは、もう一押ししておこう。
「あとさ、恋歌。一緒に登校するのは、今日で最後にしないか?」
と、俺がそう提案すると。
「――――え?」
予想外の言葉だったのだろう。
恋歌の表情が、時でも止まったかのように固まって動かなくなる。
「昨日、よく考えてみたんだよ。俺たちももう高二だし、いくら幼なじみだからって、この歳の男女が一緒に登校するのはマズいんじゃないかと思ってさ」
「…………それはっ、でも……っ」
「まあ俺たち、小学校――いや、幼稚園のころからずっと、ほぼ毎朝一緒に家を出てたもんな。だから今さら、やめようって言い出せなかったんだろうけど……恋歌も本当は、俺なんかと登校するのは嫌だったんじゃないか?」
恋歌がいまだに俺との登下校を続けているのは、ある種の義務感のようなものがあったからなのだと思う。
でなければ、大嫌いな相手である俺と一緒に通学しようとなんてするはずがない。なんなら恋歌は、俺と言葉を交わすことすら不愉快に思っているかもしれないくらいだ。……自分で言っていて悲しいが。
「でも恋歌、安心してくれ。これからはもう二度と、俺とは一緒に登校しなくて済むからな。もちろん、下校もだ」
「…………っ。なによ、それ」
ぼそ、と小さく何かを呟いてから。
恋歌は足早に俺の隣から離れると、すぐさま俺の正面を歩きはじめた。
そして恋歌は、俺に背中を向けたまま、
「なら私、先に行くから。……秋人の、ばか」
いつもの罵倒。
恋歌の明るい茶髪が、さらりと風になびく。
そんな恋歌の後ろ姿が遠のいていくのを目で追いながら、俺は彼女の表情を想像した。
――きっと彼女は今、満面の笑顔を浮かべているはずだ。
だって、大嫌いな俺なんかとは、もう二度と一緒に登校せずに済むのだから。
「よし。今のところは順調だな」
もちろん、心は痛んだ。失恋の傷口が、じわじわと広がっていくような感触。
だけど……これも全ては、恋歌のため。
恋歌から“自立”し、距離を置くこと――それが、俺にできる唯一の償いなのだから。