第26話 ハリネズミ
とくに何が起こるわけでもなく、俺は放課後を迎えていた。
不思議なもので、今日のほうがGW前よりも授業に集中できたような気がする。今までは、ふとした拍子に恋歌のことを考えてしまっていたが……あんなことがあったのに、思考はスッキリしていた。隣の席の彼女に視線を向けたりもしなかったし、もちろん、声をかけたりもしていない。
そういえば昼休みに、やっぱり鈴北さんに謝られた。自分が余計なことをしたせいで、レンレンと喧嘩しちゃったんだよね……と、そんなふうに。
だから俺は、鈴北さんは悪くないと伝えた。むしろその逆で、鈴北さんのおかげで体調がすぐに回復できた。感謝こそすれど、責めるわけがないじゃないか。そう言うと鈴北さんは、「そっか」とだけ言って微笑んだ。
あとは、瀬名と英樹。彼らにはドタキャンの件で謝罪した。ふたりとも「いいよ」「気にすんな」と許してくれたが、それとは別で、何度か俺を心配そうな目で見てきたような気がした。
……まあ、俺と恋歌に何かあったのだと察しているのだろう。俺たちの仲がここまで拗れてしまった以上、さすがにあとで事情を説明しないとな。
そして、残りのひとり。
勇利に関しては、放課後に一緒に勉強をする約束をしていた。
集合場所の図書室に向かうと、彼はすでに教科書とじっと睨み合っていた。
「悪い。遅くなった、勇利」
「気にするな。お前がいたところで、俺の勉強効率が上がるわけではないからな」
「思っても言うなよ、そんなこと……」
勇利は成績が良い。学年一位を常にキープしているくらいに、だ。
しかし一方の俺は、順位は三桁常連。そんな俺と一緒に勉強をするメリットが皆無なのは事実である。悲しいが。
「冗談だ。秋人、お前と過ごす時間は心地いい。でなければ呼び出しに応じたりはしないさ」
「お、おう。そうか……」
なんだよこいつ、急にデレやがって。
勇利は英樹に負けず劣らずのイケメンだ。性格に難ありと思っていたが、意外とこいつみたいなのが女子にモテたりするのだろうか。成績も抜群だし。
「あのさ、勇利。昨日はごめん、急に行けなくなって」
「そのことなら気にするな。体調不良は誰にでもあることだ」
と、勇利は教科書から目線を動かし、俺の顔を見てくる。
「それより、秋人。昨日、恋歌とは会えたのか?」
「……ま、一応な」
「そうか。どうだった?」
いや、どうだったって。
そう聞かれて、少し考える……俺はこれから、今まで以上に恋歌と距離を取ることに決めた。そうなれば必然的に、勇利や英樹とも距離が生まれるだろう。
だったらここは正直に話すべきだ、と俺は判断して、
「……大嫌いだって、はっきり言われたよ」
「大嫌い? 恋歌が、秋人をか?」
「ま、悪いのは俺なんだけどな。じつは昨日の朝、鈴北さんが俺の看病をしに来てくれてたんだ。で、おかげで夜には回復してて。それで鈴北さんへのお礼として、エンフィルの素材周回を手伝ってたんだけど……」
「なるほどな。そこを恋歌に見られてしまった、と」
そうだ、と俺は首肯して、
「そういうわけだから俺、今後は恋歌と距離を取るつもりだ。あいつだって大嫌いな俺に付きまとわれるのは嫌だろうし、俺だって昨日のことを何度も思い出したくはないしな」
「了解した。秋人がそう考えるのなら、俺はそれを肯定しよう」
珍しく勇利は、真剣な眼差しを俺に向けていた。
彼はくいっと眼鏡を正しながら、
「恋歌には俺からもキツく言っておく。感情任せになってしまいがちなところは、恋歌の昔からの悪癖だ。秋人の怒りはもっともだと思うぞ」
「いや……べつに、俺は怒ってるわけじゃ……」
自分でもよくわからない。が、怒りというのは、あまりしっくりこなかった。
べつに恋歌をどうこうしたいとか、そういうふうには一切思っていない。俺はただ、彼女と二度と関わり合いになりたくないだけだ。
と、そう考えていると、ふと――、
「――そうか。俺はもう、傷つくのが嫌になったのか」
昨日のことを思い出すと、さすがに胸が痛む。
それだけじゃない。俺は今まで、彼女に辛辣なことを言われ続けた。それが少なからず、俺の心にダメージを与え続けていたのではないだろうか。
その結果、昨日の一件の影響もあり、俺のメンタルが耐久値の限界を迎えのかもしれない。
だから今後は自衛のために、俺は彼女と距離を置こうと考えたのだろう。これ以上、恋歌に嫌われたり、罵倒されたりでもすれば……今度こそ、もう立ち直れないような気がするから。
「ということは、秋人。お前はまだ、恋歌のことが好きなんだな?」
勇利も英樹と同じく、長い付き合いだ。
俺の恋歌への好意は、だいぶ前からバレている。……冷静に考えると、かなり恥ずかしいが。
「まあ……そういうことになる、よな」
本当に無関心なら、恋歌の言動のひとつひとつで傷ついたりはしない。
つまり――俺はまだ、彼女のことが好きなのだ。
好きだからこそ、嫌われたくない。だから俺は、恋歌を避けたいと強く思うようになったというわけだ。
「今の秋人と恋歌は、まさにハリネズミだな」
「あぁ。……って、ん? ハリネズミ?」
「ハリネズミには針がある。そんな彼らが同種と仲を深めるために接触を試みようとすると、互いの針が刺さって傷つけ合うことになってしまうだろう? だから彼らは、仲良くなりたい相手と距離を置くしかないんだ。その葛藤や矛盾のこと、ハリネズミのジレンマと言う」
なるほどな、と思った。
たしかに今の俺は、自衛のために、好きな相手と距離を置こうとしている。それにこれ以上、俺のせいで恋歌に嫌な思いをさせたくないもない。まさにハリネズミ状態である。
「……あれ。その話って、ハリネズミじゃなくてヤマアラシじゃなかったか……?」
「そうだ。だがハリネズミのほうが可愛いだろう」
「お、おう……?」
勇利はたまに、こういうヘンなことを言う。
まあ……それが、こいつの面白いところなんだけどな。
俺は軽く笑って、それから勇利とふたりで勉強をはじめた。
と、その数十分後。俺のスマホが、ぶるっと通知音を鳴らす。
「やべっ。通知、切り忘れてた……」
マナーモードにしていなかったことを内心で周囲に謝りつつ、俺はこっそりスマホを見る。
そこには、瀬名からのメッセージが届いていて――、




