第10話 癒えていく傷
放課後。
俺がひとりで下校の準備をしていると、隣の席の恋歌が声をかけてきた。
「ね、ねえ。秋人……」
小さな声だった。……風邪でも引いたのかだろうか。
「なんだよ、恋歌。元気がないな」
「え? そ、それは、だって……」
「体調でも悪いなら、今日の部活は休んだほうがいいんじゃないか?」
「そ、そういうのじゃないからっ。というか今日は、もともと休みだし……」
「ん、そうか。悪いな、余計なこと言って。じゃ、また来週な」
明日は土曜日。つまり休みだ。
俺としては一刻も早く復習を終えて、今の授業に追いつきたいところだった。……まあ息抜きと称してエンフィルをやるのも楽しみだけど。
「ま、待って!」
と――恋歌が、ぎゅ、と、俺の袖を掴んできた。
振り向くと、彼女は不安げな上目遣いで俺を見つめている。……直視できないくらいに可愛い。天使かよ、と本気で思う。
「そのっ、秋人……」
「お、おう。何だよ……?」
「あ、あのね? 私、秋人と――」
恋歌の桜色の唇が、何かを告げようとしたところで。
「――綾田っち! ね、一緒に帰ろっ!」
脳天気な声音。金髪サイドテールの美少女――鈴北美雪が、ぶんぶんとこちらに手を振ってきた。
同時。恋歌は俺から目を逸らし、俺の袖を掴んでいた手も離した。
「あれ。もしかしてレンレン、綾田っちに用事?」
「え? わ、私?」
「そ、レンレンっ。もしかしてだけど、綾田っちと一緒に帰ろうとしてた?」
「なっ……そ、そんなわけないでしょ! なんで私が、バカ秋人なんかを誘わなきゃなんないのよ……っ!」
顔を赤くして、ぷくっと頬を膨らませる恋歌。……可愛いのオンパレードだな、マジで。
まあでも、やっぱり恋歌は俺と一緒に登下校なんてしたくなかったんだな。俺の選択が正解だったみたいで、とりあえず安心する。
と、鈴北さんは眩しすぎるくらいの笑顔を浮かべたまま、
「じゃあ綾田っちは、ウチがもらってくから! またね、レンレンっ!」
そう鈴北さんが言うと、恋歌は呆然とした様子で、
「……え?」
クラスメイトの美少女ギャルが俺の友達になっていたことが、よほど驚きだったのだろう。恋歌は口もとを引きつらせて、額には汗すら浮かばせていた。
そんな恋歌へと、俺は軽く手を振って、
「そういうわけだから。またな来週な、恋歌」
「…………っ、」
恋歌は、何も言葉を返してこなかった。
……俺なんかとは、もう喋りたくもないのかもな。だとしたら俺も、今以上に恋歌と距離を取るべきだろうか。
そんなことを考えながら、俺は鈴北さんとふたりで学校を後にした。
恋歌が最後に、何かを言っていたような気もしたけど……まあ、そんなわけないか。
◇◇◇
夜。夕食と風呂を終えた俺は、柄にもなく自習に取り組んでいた。
二時間ほど勉強をしたところで、ピロン、とスマホが鳴る。
見ると、RING――有名なメッセージアプリだ――に、一件の通知が届いていた。
「……あ、鈴北さんか」
彼女とは今日、フレンド登録のタイミングで連絡先も交換していた。
そんな鈴北さんが、さっそくメッセージを送ってきたらしい。
その内容は、エンフィルのガチャ結果のスクショだった。「見て」という簡素な二文字と、ピースの絵文字が添えられている。
「お、鈴北さん、ガリューシアのガチャ引いたのか。まあ伯爵推しだって言ってたし、こういうイケオジ系のキャラが好きなんだろうな」
俺は鈴北さんに「いいね」とだけ返信し、それっぽいスタンプを一緒に送った。
と、すぐに鈴北さんから、さらに返信が。
『(美雪)そういえば』
『(美雪)綾田っちに言いたいことあるんだった』
言いたいこと? ……なんだろう、ちょっと怖いな。
これで突然、『お前みたいな陰キャとウチが友達になるわけないじゃ~んギャハハw』とか言われたら、たぶん俺はしばらく立ち直れないだろう。
『(秋人)何?』
『(美雪)綾田っちってサーナちゃん推しじゃん?』
『(美雪)それでふと、思ったんだけど』
本当に何なんだろう。どんどん怖くなっていく。
これで突然、『お前みたいな陰キャがサーナちゃん推しなの童貞丸出しでキモいんだけど~ギャハハw』とか言われたら、たぶん俺はしばらく学校に行けないだろう。
『(美雪)サーナちゃんってさ』
『(美雪)ちょっと、というか、めっちゃ』
『(美雪)レンレンにさ、似てない?』
う――とんでもない角度から責めてくるな、このギャル。
サーナは美少女だ。茶髪で、セミロングで、優しい性格で、面倒見が良くて。
しかも、主人公の幼なじみと来た。
今まで意識してなかったが……言われてみれば、共通点だらけじゃないか。
だけど、俺からしてみれば――、
『(秋人)似てない』
『(美雪)え? そう?』
『(秋人)サーナの最大の魅力はツンデレなところだ』
『(秋人)だけど恋歌は、そういうのじゃないだろ?』
そう。そうなのだ。
サーナは、いわゆるツンデレキャラ。主人公に対してキツく当たっているように見えるが、じつは主人公のことが大好きで、たまに可愛らしいデレを見せてくるのがたまらないのである。
しかし一方の恋歌は、ツンデレとはほど遠い。
彼女は誰に対しても優しいから、そもそもツンツンなどしていない。まあたしかに、俺に対してだけは辛辣だが……かといって、俺には一切デレたりしない。
だって恋歌は、ただシンプルに俺のことが嫌いなだけだしな。
『(美雪)ふーん』
『(美雪)綾田っちって、鈍感系主人公なの?』
『(秋人)なんの話だよ』
『(美雪)ところでさ、次のイベントなんだけど』
と、鈴北さんは意味のわからないメッセージを挟んでから、何気なくエンフィルの話題に戻してきた。
……結局、俺は勉強には戻れず、夜遅くまで鈴北さんとのトークに熱中してしまった。
夜十時ごろになると、鈴北さんは『寝るね』と唐突に会話を切ってきた。さすがはギャル、美容とかのために睡眠時間には気を遣っているのだろう。
(なんか……鈴北さんとは、意外と仲良くなれるかもな)
彼女とこうして接点が出来るだなんて、以前までの俺は想像すらしていなかった。
恋歌への失恋で傷ついたはずの俺の心は、気がつけば、少しだけマシになっていて。
『(美雪)また話そうね』
『(美雪)おやすみ、綾田っち』
『(秋人)了解。おやすみ』
俺はスマホの電源を消し、ベッドに背中を預ける。たまには俺も、早寝早起きをしてみるか。
ところどころにシミのある自室の白い天井を見上げながら、俺は――、
(……これでいいんだよな、俺)
目を、瞑る。
この瞬間だけは、どうしても……まぶたの裏側に、恋歌の笑顔が浮かんでしまう。
眠気に身を任せて目を瞑り続けたけれど、実際に俺が寝れたのは数時間後だった。




