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 短い秋があっという間に通り過ぎて、外は冬の空気で満ちていた。厚手のショールで体を覆う。


「また降りそう」


 雪が薄く積もったバルコニーから視線を逸らして、支給された薪を暖炉にくべていると、物資輸送の魔法陣が光った。

 もう食糧は送られたのに、一体何が送られてきたんだろう。振り向いて、さっと視線を滑らせる。


「手紙……?」


 魔法陣の上には、ひとつの手紙が置かれていた。記憶の中で初めての手紙に嫌な予感がした。

 震える手で封筒を裏返す。封蝋印には、王家の家紋が入っていた。嫌な予感が当たってしまった。どう考えても厄介事の匂いしかしない。

 腹を括って、中を開ける。

 長々と書かれていたが、内容はリリーの縁談が決まったということだった。そこにリリーの意思はなく、帝国の王子と婚約したということ、そして一週間後、迎えの馬車が来ることが記されていた。


「父王や王妃も私のことを忘れていたはず……なんで急に縁談が……?」


 覚えていたならとっくに婚約者を宛てがわれたり、嫌がらせを受けているだろう。

 それにあの帝国に私みたいな教育も受けていない王女を送るなんて、帝国を馬鹿にしすぎだ。この国の国力ではいつ侵攻されて土地を奪われてもおかしくないのに。


「ついに頭がイかれたのかしら」


 時間差でまた魔法陣が光る。咄嗟に閉じた瞼を開けると、白地のまともなドレスが置かれていた。どう見ても迎えの時にこれを着ろということだろう。初めての外出用のまともなドレスが、ウエディングドレスとは。自嘲の笑みが零れる。

 服の上からドレスを合わせてみたけれど、一回りサイズが大きい。本当に私に興味が無いのね、いやこれが十八歳の平均のサイズなのか。


「はあ」


 大きな溜息をついて、頭を抱える。

 これからどうしよう。いやどうしようもないな。私にできることは何も無い。

 ルークに貰ったペンダントを握りしめる。

 いやあるじゃないか、たったひとつだけ、私がこの婚約から逃げ出す方法が。


「リリー!」


 鍵を閉めていたはずの窓が開いて、ルークが入ってきた。


「…………ルーク」


 険しい顔をしたルークが、ずんずんとリリーに迫ってくる。


「どうしたの? それに鍵は……」


 問いかけを遮るように、ルークはリリーの両肩を掴んで揺さぶった。


「街や王都で君の噂が広がっている! 一体どういうことか説明してくれ」

「え、噂? どういうこと? 何の話?」


 目を見開いたルークは少し怖くて、気後れする。そんなリリーの様子に気づいたルークは、ばつが悪そうに肩から手を離した。


「……吟遊詩人が君の話を広めたそうだ。この近くにも君を一目でも見ようとする見物客が大勢いる」


 吟遊詩人……? もしかして、アロンのこと?


「見物……私を? 何のために?」

「この塔に美しい王女が囚われていると広まっているんだ。知らないということは、外には出ていないのか?」

「……ええ。雪が降っていて寒いし、ルークが忙しくしてるから出ていないわ」

「ならいいが、これからも外に出るな」


 やはりアロンだ。私があの日彼と話してしまったから、話が広がって美化されて、王都から城まで届いてしまったんだ。

 急に来た縁談話は、リリーを体良く国から追い出すため。私は自分で自分の首を絞めたのか。


「……分かったわ。でもそれが本当なら、来た時にルークも見られてしまったかもしれない」

「俺は見えないように細工しておいたから平気だ。それより、顔色が悪いようだが大丈夫か?」


 ルークの冷たい手が頬を撫でた。心配そうな顔でリリーを覗き込んでいる。


「……平気よ、きっと気温が低いからそう見えるのね」


 ドレスを後ろに隠して、頬に添えられた端正な指を片手で握って微笑む。


「ルークこそ身体が冷えてるわ。今、温かい紅茶を淹れるわね」


 手の震えが止まらない。ルークを心配させてしまったかもしれない。出しっぱなしの手紙も隠さなきゃ。踵を返して、キッチンに向かおうとすると、「おい、それはなんだ?」ルークが目敏くウエディングドレスに気がついてしまった。


「ああ……これは」


 手紙に気を取られて、ドレスの注意が散漫になってしまった。どうやって誤魔化そう、視線が右往左往する。


「どういうことか、説明してくれ」


 鋭いルビーの瞳に覗き込まれる。


「どういうことって? ただの服よ。寒くなるから送ってくれたみたい」

「俺の知る限り、そんなことは一度もなかったはずだ。リリーの着ている服は全て、俺が買い与えたものだろう?」

「そうだけど……」

「頼むから嘘はつかないでくれ、リリーのこと信じたいんだ」


 信じたいって? じゃあずっと信じてなかったってこと? 急に襲い掛かる悩みの種にイライラして、ルークを睨む。


「信じたいって何? アロンのこと、あなたに話していなかったから怒ってるの?」

「アロン? あの吟遊詩人のことか。やっぱり関わりがあったんだな」

「やっぱりって……私のこと疑ってたの?」


 ルークが深々とため息を吐いた。その様子に、なぜか傷ついてぎゅっと胸が苦しくなった。


「今は言い争いをしている場合じゃない。……リリー、正直に答えてくれ。そのドレスは婚礼衣装だろう?」


 当たっている指摘に、思わず下を向く。


「嘘だろう……縁談話が持ち上がった、ということか」


 否定しないリリーに、ルークは呆然と呟いた。


「ルークの想像通り。私、結婚するんだって。それで一週間後ここに迎えが来るみたい」


 淡々と手紙の内容を告げると、ルークは定まらない考えを振り切るように、沈痛な表情でリリーを見た。


「なんでそんなに平気でいられるんだ」

「全然平気じゃない! でも、ルークが教えてくれたじゃない。帝国には逆らうな、と」


 叫ぶように言うと、ルークが目を見開いた。


「それじゃあ、相手は帝国の王子なのか」


 肯定の意を示すように、こくりと頷く。


「前に教えてくれたよね。この国の国力では帝国の軍事力には敵わない、と」


 場に沈黙が満ちる。

 ルークに全て打ち明けて安心したのか、急に力が抜けて、そのままぺたん、と座り込んでしまった。ドレスもそのまま放り出す。


 ルークは寄り添うようにしゃがみこむと、リリーの背を撫でながらそっと耳元で呟いた。


「リリー。君の国の国力では帝国には逆らえないだろう。でも、我が国ならばそれは可能だ」


 振り向いて、ルークの顔を見る。

 ルークは言っているのだ。この国を捨てて、ルークの住む国へと亡命するのなら、縁談から逃げられる、と。

 とてつもなく魅力的な話だ。


「俺なら逃がすことができる。リリーはどうしたい?」


 ルークがいつになく優しげな視線で、私にお伺いを立ててくれる。


 縋りたい、頼りたい。今すぐルークに抱きついて、ここから逃げてしまいたい。

 でも私という厄介者を抱えてしまうルークとルークの国は、帝国と余計な軋轢を生んでしまうだろう。馬鹿になって、ルークの手を取ろうとしても、それが頭をよぎってしまう。

 これ以上ルークに迷惑をかける訳にはいかない。


 そっとルークの手を外して、泣かないように目に力を込めて、顔を上げた。


「ルーク、今までありがとう。すごく楽しかった」

「リリー……?」

「ごめんなさい。私は、ルークと一緒には行けない」

「なぜ、そんなこと言うんだ。あんな縁談嫌だろう?」

「嫌だよ。それでも、ルークに迷惑かけるよりずっとマシだから」


 ルークは泣きそうに眉をひそめて、まっすぐ私を見つめる。

 なんで、そんな目で私を見るんだろう。泣きそうな顔をしないで。ルークの頬に手を伸ばすと、私の目から生暖かい水がつうと伝っていった。


「……え」

「泣くくらいなら、俺に縋ればいいものを!」


 ルークの両腕が伸びて、私を掻き抱いた。


 私が、泣いてる? ああ、泣いてる。涙が堰を切ったように止めどなく溢れていた。


 それでも、けじめをつけなきゃ、彼のために。

 乱暴に涙を拭って、微笑む。


「忘れないでね、私のこと」


 消え入るような声で呟いて、ルークを見上げる。彼はぐっと眉間に皺を寄せて、苦しそうな表情で私を見ていた。

 視界が滲んで、ルークも認識できなくなって、心臓の音だけが耳に響く。


 そういえば、私は今、どんな顔をしているんだろうか。






 ◾︎◾︎◾︎






 ── 一週間後。

 入ってきた窓を振り返る。塔から見下ろした夜の外は、一面が雪に覆われて、ただただ白く続いている。伯爵領は本格的に冬に入り、外にいる人の気配は一切無くなっていた。

 

「ん……ルーク?」


 吹き込んだ冷たい風に気づいたのか、眠っていたリリーがくぐもった声で俺の名前を呼んだ。


「起こしたか」

「最後の見送りに来てくれたの……?」


 リリーは、頬を撫でると気弱そうな、縋るような笑みを浮かべて、重そうな瞼を押し上げた。


「ああ、それと少し話でもしようかと思ってな」

「ふふ……いいね。飲み物でも出すわ」

「大丈夫だ。そのまま横になっていてくれ」


 近くにあった椅子を、ベッドの横につけて座ると、起き上がろうとしたリリーは、ゆっくりと再びベッドに沈んでいった。


「夜が明けたら、もうここを発つのか?」

「うん。馬車が来るはずだから、昼前までは時間はあると思うけどね」


 リリーは寝返りを打って、俺の方へ身体を向けた。


「雪はどのくらい積もってる?」

「だいたい二十センチほどだった」

「……そう、きっと予定より遅くなるわね」


 リリーは嬉しそうに口角を上げた。嫁に行きたくなくて、その馬車が遅れることを喜んでいる。

 馬鹿な女だ。何度言っても考えを曲げず、逃げることを拒んでもうタイムリミットが迫っていた。


「もうルークは来てくれないかもって思ってた……ありがとうね」


 月明かりが青白くこぼれ落ちて、リリーを照らす。リリーは眩しそうに目を細めると、細い腕を伸ばして月光を遮った。


「リリー……俺になにか、言いたいことはあるか?」


 俺の内心の考えを含んだ言葉に、リリーは目を見開いて気がついたけれど、すぐに笑みを浮かべて壁を作った。


「そうだなぁ…………ね、ルークの耳、触ってもいい? ずっと触ってみたかったの!」

「ああ、いいよ」


 リリーは溶けだしそうな笑みを浮かべて、光を遮っていた手で俺の耳を包むように触れた。


「……あったかいね」


 耳に触れていた手は脱力して、音を立ててベッドの上に転がった。


 あと何時間かしたら、名残惜しいこの時間は消えて、リリーは連れ去られてしまうのだ。


 ──俺が、何もしなかったら。


「リリーは何かしたいことがあるか?」

「え?」

「夢の話だ。他意は無い」


 リリーはうんうんと唸って天井を見つめた。


「うーんそうねぇ、したいこと……したいこと…………あっ、海!」

「海?」

「そう、海に行きたい。私はまだ、見たことなかったから」

「……海、見たことなかったんだな」

「うん。あと、走ってみたい。草原がいいな、裸足で駆けるの」

「いいな、きっと気持ちいいだろう」

「ふふ、でしょ?」


 二人で何時間もしたいことを語った。夜通し話すのは初めてだった。


 リリーは頭を撫でているうちに眠り、暖炉の日が爆ぜる音だけが聞こえた。


 夜空はほんのりと薄灰色になり、永遠と続いてほしかった夜ももうすぐ明けてしまうのだろう。

 リリーは目尻に涙を溜めて、寝息をたてている。


「……ルーク」


 ばっと振り返ると、リリーの瞼は閉じられていた。寝言、か。

 目の縁に溜まっていた涙は静かに流れて、アクアマリンのペンダントに落ちてきらりと反射した。


 もう、いいんじゃないか。


 起こさないように、そっとリリーを抱き上げる。彼女の長い髪が腕の隙間からカーテンのように垂れ下がって靡く。


 リリーは怒るかな、それとも泣いて、その後笑ってくれるだろうか。


「すまない。俺は、悪い魔法使いだから」


 薄い桃色の唇に自分のを重ねて、無骨な石の塔を後にした。




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