IV
「いい天気ねえ」
バルコニーに出て、思い切り伸びをする。秋の水分を含まないからっとした風が全身を通り抜けていった。
最近ルークが来ない。原因は分かってる、社交界シーズンに入って忙しくしているんだろう。ルークはどう見ても貴族で、その地位についているからには社交が必須なんだ。分かってるけど、毎年この時期は訪問がパタリと途絶えて、退屈だ。
柵に肘を着いて、寄りかかる。見渡す限りの木々の中で、東の空が燃えるように光っていた。
青々しいこの森を抜けた先には、街があるのだろうか。ルークはこの辺りの地形を教えてくれなかった。ただ、ここが辺境伯の領地ということだけは問い詰めて教えて貰っていた。
「おーい」
人の声? 身を乗り出して、左右を見渡す。
「おーい!」
声は真下から聞こえていた。
「え?」
「あ、やっと見てくれた。おはよう、綺麗なお嬢さん」
バルコニーの真下、塔の入口付近にその男は手を伸ばして声を張上げていた。茶髪で、粗末な格好をしていた。多分旅人かなんかだろう。
地上何十メートルもあるここに声が聞こえるのは、魔力で声を飛ばしているからだと当たりをつける。同じように喉に魔力を覆って、そっと見下ろした。
「あなたは?」
返答が返ってきて嬉しいのか、男は満面の笑みで手を振った。
「僕はアロン。売れない吟遊詩人さ」
「吟遊詩人? じゃあ、なにか面白い話でもあるのかしら」
「もちろんだよ。面白い話を届けるのが僕の仕事だからね!」
確か螺旋階段にも小さな窓はあったはずだ。彼ともっと話をしたい。少しの間待っていてほしいと告げよう、落ちない程度まで身を乗り出すと、結っていない髪がぱらぱらと顔にかかった。邪魔な髪をサイドに追いやろうとするところに、アロンが声を張り上げた。
「君は?」
「……なあに?」
「君の名前は!」
ある映画のようなセリフに、くすりと笑みを零す。
「ふふっ……私はリリー。あなたみたいに言うのなら、そうね……忘れられた王女といったところかしら」
アロンは唖然とした顔で私を見ていた。
言っちゃった、でもこんなの周知の事実だろうし、まあいいか。
「それじゃあアロン。面白い話、聞かせてくれる?」
髪をかきあげて、子供みたいに笑って見せた。
◾︎◾︎◾︎
「ルーク様、この後のご予定は隣国の辺境伯との晩餐となっております」
「ああ、そうだったな」
馬車の中でも書類に目を通しながらルークは声を漏らした。
自国の貴族たちの挨拶回りが終わった瞬間、直ぐに隣国との外交か。
しかしペデュリアン王国には、バレてないとはいえ、かなり密入国してしまっている。面倒だが顔は出しておくべきだな。
書類を執事に渡して、窓の外を見る。灰色の雲が空を覆っていた。
「雪が降りそうだな」
「左様でございますね、もう冬ですから」
執事のつまらない返事に、ふんと鼻を鳴らして目を閉じた。
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「今日は足を運んでいただきありがとうございました、閣下」
「いや、美味しい晩餐だった伯爵」
長い耳を嫌悪の表情で見る夫人と、従者。もちろん顔には出てないが、無駄に性能の高い魔力は敏感に感じ取ってしまう。
全く意味の無い会話だったな、所詮伯爵はこの程度か。延々と続く伯爵のおべっかに表情筋もかなり疲れた。さっさと帰って休みたい。
「冬だというのに、リーガル辺境伯の領地は随分活気があるのだな。通常、国境付近は閑散とするものだが」
「ああ、王都で流行った詩歌の影響です。例の塔に美しい王女が囚われている、というね」
思わぬ話に、足が止まる。塔……王女……? 明らかにリリーのことだ!
「大公閣下? どうかなさいましたか?」
「…………すまない、靴紐が解けてしまったようだ」
視線を遮るように、しゃがみこんで解けていない靴紐を固く引っ張る。
「ところで伯爵、それはどこから出た噂だ?」
「私も詳しくは知らないのですが、目撃したという吟遊詩人が王都で話したようです」
「それは……荒唐無稽で面白い話だな」
「所詮噂ですからね。一目でも見ようと、多くの人が押し寄せて来まして、まあ我が領としても景気が良くてありがたいですが」
屋敷を出ると、来た時と同じ馬車が停められていた。さっさと瞬間移動で帰りたいが、貴族は体面を気にする。故に他国でさっと瞬間移動で帰る訳にもいかない。まあこの国は魔法が発展してないので、そんな技術もないだろうが。
「見送りはここで結構だ、伯爵。また会おう」
「ええ、閣下。またいらしてください」
馬車が出発して、長い森に入る。
「噂は一か月前の王都の集会にて、出処は一介の吟遊詩人のようです。いかがなさいますか、閣下」
「吟遊詩人は金を握らせて黙らせろ。情報屋も使って噂も改変しておけ」
「かしこまりました」
深い森の中、堅牢な石塔が現れる。リリー、君はこのことを知っているのだろうか。
雪がしんしんと降っていた。