Ⅲ
「十五歳の誕生日おめでとう、リリー」
フード付きの外套を羽織り、特段大きな花束を抱えたルークが、バルコニーに現れる。リリーは作業の手を止めて、駆け足でバルコニーへ向かった。
サイドに流した黒髪、ルビーのような赤い瞳。一ヶ月ぶりに見た彼はちっとも変わらず、リリーを慈愛に満ちた眼差しで見つめていた。
「来てくれてありがとう! 外は寒かったでしょう」
ルークに駆け寄って、厚手のショールを被せる。外は雪がちらついていて、彼の黒い外套にも多くの結晶が付いていた。
「これくらいの寒さは余裕だ。それよりリリー、また背が伸びたんじゃないか?」
ルークは寒さに気にした様子もなくそう言って、リリーのされるがままにショールをぐるぐる巻きにされた。
「ふふ、多分十センチくらい伸びたかも」
「五年前は腰にも届かないくらいだったのに」
リリーの冗談に、ルークは大袈裟な手振りでリリーの身長を表して、微笑んだ。
美形が笑うと画になるな、としみじみと思う。初対面の時と比べて、ルークはかなり丸くなっただろう。
無事リリーにも第一次成長期が来て、ルークの肩に届くくらいまで身長が伸びた。見上げる首の痛みが少し楽になったのは嬉しい。それでも見上げることには変わりないけど。
「成長期だもの、すぐルークも追い越しちゃうわ」
「そりゃ大変だ。俺の腕が届くうちにプレゼントをあげないとな」
ルークが悪戯げに笑うと、外套の下の胸のポケットから小さな小包を取り出して、片膝ついてリリーを見上げた。
「ル……ルーク!?」
「どうぞ、お姫様」
小包はどうやらアクセサリーの入った箱のようだった。
突然の片膝立ちに慌てた私を無視したルークは、うやうやしく箱を開けると、薄く笑った。
「わあ……!」
箱の中身は、銀色のチェーンにアクアマリンがトップに飾られたペンダントだった。宝石が、雲間から漏れた月光できらりと輝く。
「……気に入るといいが」
ルークはリリーの反応を伺うように、上目遣いに見た。
意識的にハーフアップに留めたバレッタに手を添える。
「もしかして、揃えてくれたの?」
「その方が使いやすいかと思って」
ペンダントは昨年貰ったバレッタの意匠と同じものだった。アクセサリーなどちっとも興味なさげな彼が自分のために選んで、贈ってくれた……。ルークの気遣いに自然と口角が上がる。
「ありがとう、ルーク!」
──ちゅ
滝のような喜びの勢いのまま、ルークに抱きついて、頬にキスをした。
リリーの色彩を考えて、バレッタもペンダントも同じ色の宝石をあしらってくれていた。瞳と似た色のアクアマリンがとても綺麗で、その場でふわりと回転して喜ぶ。
「とっても気に入ったわ!」
再度お礼を言おうとルークの方を見ると、箱を渡した格好のまま、額に手を当てて頭を抱えていた。
「……どうしたの?」
首を傾げて尋ねると、ルークは同じ姿勢のまま器用に私をじっと睨んだ。
「リリー……軽率に男に近づくのはやめろ」
ルークは睨んだまま、唸るように呟いた。
「外には危ないやつも多いんだぞ。未成年とはいえ、警戒心がなさすぎる」
お説教に、むっとリリーの唇が出る。
栄養不足で痩せぎすの体も、ほとんどルークの差し入れのおかげで成長した。今の体は十三歳に見られるレベルには達していると思う。今の年齢に見合う成長ではないけれど、それでも人種の違いからか、前世よりも圧倒的に発育もいい。
確かにルークの言うとおり、ずっと塔で暮らしてきたから警戒心が足りていないかもしれない。
──でも、私は外に出る気はさらさらないから。
「他はそうかもしれないけれど……ルークは平気でしょう?」
無邪気な笑みを浮かべて、小首を傾げる。これでルークはきっと、何も言えないはずだ。純粋培養にリリーを育てたのは他でもない彼自身なのだから。
ルークは虚をつかれたような表情になった後、ため息をついた。
「まったく……」
渋々といった様子で呟いたルークの口角は上がっていた。
──本当は真っ黒なお腹をしているのを隠してる、不純な王女なんだけどね。
予想通りの結末に、にこにこと彼を見ていたら、ふと忘れていた今日の思い出した。
「そうだった! ついさっきケーキを焼いたの。もってくるから窓を閉めてくれる?」
開いたままだった窓を彼に頼んで、キッチンに舞い戻ろうと踵を返す。甘さ控えめに作ったシフォンケーキはきっとルークの口に合うだろう。早く反応が見たい。
キッチンに向かう道中、未だに手に持ったままの箱に気がつく。その前に、キッチンに向かう前に、プレゼントをしまっておかなくちゃ。
貰ったペンダントを鏡台に置く。髪型が崩れていないかしら、ルークに撫でられた髪を確認しようとちらっと鏡を覗いた瞬間。
突風が部屋の中に吹き込んだ──
雪を含んだ冷たい風は、ちょうど窓を閉めようとしたルークに襲いかかった。彼が深く被っていたフードは、はらりと脱げて、白く長い耳が顕になる。
「……あっ」
ばっと振り返ったルークと鏡越しに目が合う。
「リリー、これは……」
彼の長くて尖った耳は、明白なエルフの特徴だった。ぱちぱちと目を瞬かせて驚くふりをする。
私に見られたと悟ると、ルークの表情は一瞬で翳り、目を伏せて気まずそうに視線を逸らした。
こんなはずじゃなかったのに、密かに唇を噛む。
ルークのフードが脱げてしまった。それもあのような事故の形で。私もこんな形だとは思ってなかったのに。
つい開いてしまったと見えるような口を、そっと閉じる。
ルークは視線を逸らしたまま、リリーの方を向かない。
ごめんなさい、ルーク。
あなたがエルフだって、とっくに知ってた! だって、五年も一緒にいたのよ、たまに耳がちらりと見えていたし。あなたが隠しているようだったから触れなかっただけなの。
ルークが言い出すのを待つはずだったのに、予定が狂ってしまった。
どうやって見てないと言い訳しようか、頭をフル回転させていた間、ルークはなにか決意したようで歩みを進めて近づいてきた。
遅れて気づいて、ルークを見上げる。
「言い出せなくてすまない…………俺は、エルフなんだ」
壮絶なカミングアウトをするように、ルークは自分がエルフだと告げた。そんなに苦し紛れに言わなくても、少したじたじになる。
もしかしてエルフだとなにか都合が悪い風潮でもあるのかしら。
どうしましょえ、ルークが口を開いてから間が空いてしまう。何を言えばいいのかしら、ええと、どうしよう……ええいままよ!
「そうなんだね!」
こちらを伺うルークに、にっこりと屈託のない笑みを向けた。
ルークは目を見開いて驚いたような表情をしている。流石に彼の決心を流しすぎたかもしれない。でもこれしか思いつかなかったの。取り繕うように腕を伸ばして、彼の艶やかな黒髪を手に取って笑う。
「初めてルークがどんな髪型をしてるのか分かって嬉しいわ」
ルークは背まである髪を三つ編みにして、後ろに流していた。
「ずっと短髪かと思ってた、似合ってる」
手に取った三つ編みをルークの前に流して微笑むと、ルークはむず痒そうに唇を歪めて、リリーを見つめた。
「ふふ、ルーク、照れてるの?」
「……照れてない!」
食ってかかるように否定するルークに、あははと声を出して笑う。普段冷静で余裕のあるルークしか見ていなかったので、珍しい。
「本来亜人と聞くと、嫌な顔をされるのだがなあ」
ルークはぐしゃりとサイドの髪を握りこんで呟いた。
なるほど、ルークがずっと私に隠して、言いにくそうにしていた謎が解けた。これは……いいチャンスかもしれない。
「世間知らずの私が、そんなこと思うはずないじゃない」
そっとルークの頬に両頬に手を添えて、はにかむ。
「それに、ルークはルーク、私の大好きな人よ」
……直球で言いすぎたかもしれない。後にもひけずに言い切ると、ルークは破顔して、頬に触れてるリリーの手を包むように大きな手を添えた。
何がしたいんだろう。きょとんと見上げると、ルビーの瞳に、今まで見なかった類の熱が篭っているように見えた。
ばっと俯いて、視線を外す。なんだか、絶対ありえないと分かっているのだけど、でもあれは、あのルークの瞳は……まるで愛しいものを見るような視線だった。
急いで頬に添えた手を抜き取って、後ろ手に貰ったペンダントの箱をルークの目の前に差し出す。
「せっかくだから、ルークがつけてくれない?」
ルークの顔を見ないで、押し付けて、背を向ける。
「ああ、そこに座れ」
言う通りに、鏡台の椅子に座る。
なんだか、いつもより声が優しい気がした。全然一ヶ月ぶりだけど、きっとさっきのは私の見間違えで勘違いだろう。うん絶対、そうだ。
「髪あげといてくれ」
「……うん」
ハーフアップの髪を前に持ってくるついでに、後ろにいるルークを鏡越しに盗み見る。
ルークは、優しげな眼差し、壊れ物を扱うように丁寧な手つきで私に接していた。本当にリリーのことを大切に思っていると伝わってくる態度に、顔がじんわりと熱くなってくる。
目の前にペンダントを持った手が伸びる。
留め具を留めようとする、ルークの少し冷えた手が首にあたって肩がびくっと上がった。
「すまない」
「ううん、平気」
「リリーは体温が高いんだな」
真面目くさった顔で呟くルークに、誰のせいかと言いたくなるのをぐっと堪えた。
「……そうかな」
誤魔化すように微笑んで、睫毛を伏せる。
あの日から、ルークにばかり足を運ばせてもう五年が経った。その間私は成長らしい成長もしないで、ただ怠惰に生きていただけだ。
「私、ルークから貰ってばかりね」
ぽつりと呟いた声はルークには届かなかったようで、上機嫌にリリーの耳元に口を寄せて「綺麗だ、似合ってるぞ」と笑った。
その笑みはいつもより妖艶で、思わずどきりとする。
「ほら見ろ」
彼が指さした鏡に映りこんだ私は、ルークが与えてくれた室内着、ストール、アクセサリーを身につけて微笑んでいた。
──まるで、ルークをパトロンにしている悪女の様ね。
浮かんだ考えに否定ができなくて、自嘲する。
「ありがとう、最高の誕生日になったわ」
「毎年それ言ってないか」
ルークはふっと頬を緩めて微笑んだ。
「……それは毎年更新されるからよ」
笑みを浮かべて振り向いて、ルークに向き合う形にする。
「ありがとう、ルーク」
ぎゅっと抱きついて、外套を脱いだ彼の肩に顔埋める。ルークは片手をぽんとリリーの頭に乗せて撫でてくれた。幼子にするような優しい振る舞いに、少し涙が出そうになる。
「私がルークのこと大好きなの、ちゃんと伝わってる?」
頭をぐりぐりとルークの肩に押し付けて、呟いた。
私にはまだ彼が必要だった。
「ああ、ちゃんと伝わってるよ」
ルークはリリーを安心させるように、髪を撫でた。
リリーは瞼を閉じていたから、知らなかった。
ルークが腕の中のリリーに翳りを帯びた視線を向けていたことを。