第3話 置き去りになった心
出会った頃から綾葉の様子は変だった。それはただの個性なんだろうか?モロコシは彼の事が気になった。
今から聖丘区に向かう所だったが私はある事が気になっていた。タクシーの運転手の事だ。彼は中学時代の旧友、田浦茂中なのだ。昔はとても明るく気さくな奴で、やんちゃだったあの頃はお互いに悪ふざけをし合ったほどの仲だった。理想を追って遠い高校に行く事になった時はまるで生涯の別れの様に涙を流した。
私が社会人になってから随分と彼の面影によく似た青年を見かけて声をかけて見ると本当に田浦だった。しかし久しぶりに会った彼はすっかり変わり果てていて鋭く冷たい目をしていた。再会して一言、二言話す間にあの頃の彼はもう存在しないのだと分かった。それきり一言も話していない。
何があったのかは知らないが、彼が地元に戻ってきていると言う事は夢に敗れてしまったのだろう。まさかタクシードライバーをやっているとは思わなかった。もう元の関係に戻れない事はもうどうする事もできない。ならば目的地まで他人行儀を貫くだけだ。
田浦はバックミラーで何やら綾葉さんを見ている事に気が付いた。やがて何か機械を数度ほどいじると急に声をかけて来た。
「知加良…なんでお前がここにいる」
「………?」
綾葉さんは首を傾げる。
「俺を忘れたか?」
田浦は帽子を取って赤信号で振り返ってその顔を見せた。綾葉さんはそれでもピンと来ていない様子だ。
「どちら様です?」
「クソ、覚えてねえのかよ。腹立つな。白妙高校の同級生だっただろうが」
しばらくしてから綾葉さんは手をポンと叩いた。どうやら本当に今まで忘れていたらしい。それがますます気に食わない様子で不満そうな顔になる。逆に綾葉さんの表情は何の感情も帯びない冷たい物だった。
「お前、平臣大学に行って夢を叶えるんじゃなかったのかよ。そのために平大に行ったんじゃなかったのかよ」
「君には関係ない事だ」
「関係なくねえよ!!俺はお前がいなければ…」
「やめろ田浦!2人に何があったか知らないが、もう過ぎた事だろう??あまりしつこいようなら君の会社に電話させてもらう」
「…モロコシ、お前には分からねえよ。向かって行く大きな夢もなくて、夢がないから挫折もなくて、親が金持ちだからクラゲみたいにプカプカ浮いて流されてりゃ何一つ苦労なく生きて行ける。そんなお前には…」
田浦は帽子を深くかぶってそれ以降何も言わなくなった。自身に関して言われた事に言い返す事はなかった。全くその通りだからだ。大きな夢を持って生きた事はなかった。民宿の経営も絵描きも全て何となくやってるだけだから、売れなくても業績が悪くても何も思わない。こっちに引っ越す際に親からもらった金を毎年減らしながら何となく生きてる。彼の言う事は間違っていない。
綾葉さんが途中でお手洗いに寄るとの事でコンビニに寄った。田浦は気まずそうに窓の外を眺めている。
「すまん。言い過ぎた」
「いや、私に関してはお前の言う通りだよ」
「俺だって大して変わらねえ。理想の大学に行けなくなって、地元に帰らなきゃならなくて。ショックでしばらく自宅に引きこもって、社会復帰のためと嘘言って資格取得のために数年は無職やって親の脛をかじってたんだ。結局自分が何してえのか分からねえまま何となく働いて何となく生きてる…」
「田浦…」
「しかし知加良の奴一体どうしたんだ?抜け殻みてえになっちまって」
「綾葉さんは初めて会った時からあんな感じだったんだけど…」
「お前があいつといつ知り合ったか知らねえが学生時代はあんなじゃなかったんだよ。もうちょっと覇気があって…クラスの人気者だった」
覇気があってクラスで人気者??今の綾葉さんの人物像からは全く想像できない。やがて綾葉さんが戻って来ると再びタクシーは私の実家に向かって走り出した。田浦との間に何があったのか気にはなるが、その事についてあまり踏み込むべきではない気がした。
やがて聖丘区の実家に到着すると綾葉さんと連絡先を交換して先に兄山に向かう様に伝え実家に向かった。私は後から綾葉さんに追いつくつもりだ。
両親に挨拶を済ませて綾葉さんに会いに兄山に向かった。歌叫岩は頂上付近にあるがロープウェイを利用すればすぐに向かう事ができる。山は決して高い方ではないのが綾葉さんはどちから登ったんだろうか。麓の川の橋を渡る。
「……?」
橋を渡っている途中で急に足に力が入らなくなった。橋の手すりに手をやってその場に膝をついてしまう。ザザ…ザ…。モノクロが激しく入りもだれる様な砂嵐が視界を覆い、全てが遠くから聞こえる様な…くぐもった音に変わる。これは一体何なんだろう。辛うじて体の感覚がまだある。
「~~~~~、~~~~~」
何か聞こえる。
「うあ…あ…」
声を出そうにも上手く言葉が出て来ない。私の体は急に何かに抱えられた。私は悪い夢でも見ている様な曖昧な意識のままどこかに運ばれていく。そして椅子の上らしい所に下ろされた。
「ちょ……てて。…を…るから」
「う…」
声だ。聞こえていたのは声だった。という事は私はどこかに運ばれたんだ。少しずつ意識がはっきりして来る。ぼやけた視界は少しずつ色を取り戻し、砂嵐は収まって行き、音はクリアに近く聞こえて来る。まだぼんやりしたまま辺りを見回していると誰かが小走りでやって来た。目をやるとそこには綾葉さんがいた。手には水の入ったペットボトルがある。
綾葉さんは私の隣に座るとペットボトルのキャップを開けて私に飲ませると伝えた。私はうなずき少しずつ彼の飲ませる水を口に含んで喉に流し込んだ。まだ充分に力が入らず半分彼の方にもたれかかった。
「救急車を呼ばないと…」
「私はもう…大丈夫です、綾葉さん」
「大丈夫じゃないですよ。顔色も悪いし…」
「…もう少しだけこのままでいさせてください」
そう言うと彼は少し迷った様子だったが「わかりました」と答えてくれた。…温かい。いい匂いだ。落ち着く。このまま眠ってしまいたい。まるで日向ぼっこするのにちょうど良い場所を見つけた様な気分だ。
やがて体調が良くなってくると現状を冷静に把握できるようになり、今自分が何をやっているのか自覚する。
「わあっ!!」
私は急いで綾葉さんから離れた。彼は心配そうに立ち上がる。
「モロコシさん?!」
「いや…あの、その…すみません。えっと…」
恥ずかしくなってあたふたする。綾葉さんはそんな私を見てきょとんとし、やがて笑い出した。とりあえずさっきのが何だったのか分からないがとにかく体調は良くなった。綾葉さんに話を聞くと彼は既に兄山に登って歌叫岩を見て、ロープウェイで戻って来た所だったらしい。それで鉢合わせになったのだ。
狐岩の時と違って今回はちゃんと案内もしっかりしていたため兄山の名前の由来も歌叫岩の話も聞けたらしい。豊玉区には兄山と言う山があるが、伊多区には妹山と言う山がある。妹山にも歌叫岩がある。
それぞれの岩は元々兄妹の神様だった。その関係は家族愛に留まらずお互いを異性として意識していた。彼らはお互いを想うばかりに任された土地にじっとしている事ができずしばしば密かに会っていた。その密会を知った両親は怒って彼らを岩に変えてしまい、離れ離れの山に捨てて関係を引き裂いてしまった。そして2つの歌叫岩は毎夜毎夜、お互いに会えない悲しみを嘆いているのだと言う。それは歌の様でもあったし、叫ぶようだったともいう。そのためその岩は歌叫岩と言われているのだ。
綾葉さんはお土産屋で売っていた兄山の歌叫岩キーホルダーを取り出した。
「売店にた人が物凄い商売上手だったんですよね。見て来たばかりで歌叫岩の話は知ってたんですけど物凄い熱量で語られるもので引き込まれて。で、キーホルダーを買う際には『妹山の売店には歌叫岩キーホルダーがありますよ!私の実妹もいます!』って言われました。ちょっと買いに行きたくなりましたね」
中津町の若人の多くは都会に引っ越してしまうが、地元愛の強い若人は地元に残って町おこしをしようと頑張っている。売店で働くその人もきっとそうなんだろう。私もその活動に参加している訳ではないが、たまにクラウドファンディングで新しい企画を見かけるとそれに少額程度支援したりしている。
「ふふっ、楽しんでもらえた様で何よりです」
「戻って来た時は驚きましたよ。モロコシさんが顔を真っ青にしながら橋の手すりに手をかけて膝をついてるもんですから…。本当にもう大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですって。でも、綾葉さんも倒れるたびに誰かが心配するんですからちゃんと体調管理してくださいね」
「うっ…そう言われると弱いなあ」
そんな会話をしてお互いに笑った。私達は帰るのに先程の橋を渡る。綾葉さんは川の流れを眺める。
「魚だ。あっちにもいる。風景も綺麗だし、ここで魚釣りしたら楽しいだろうな…」
「ふふふ。この辺で魚釣りなんてしたら海河童に連れて行かれちゃいますよ?」
「う…海河童?」
綾葉さんは首を傾げる。それもそうだろう。私も子供の頃はその名前と漢字を見ておかしく思ったのだ。河童なのに海。海河童なのに現れる先は川。おかしな名前の妖怪で、それも豊玉区でもそこまで有名ではない。私は綾葉さんに海河童について説明してあげる事にした。
「兄山に流れる川は黒淵川と呼ばれていて、海河童と呼ばれる妖怪が出るそうなんです。普通、河童は尻子玉を抜く妖怪と知られていますが海河童は人をさらって海に浮かぶ黒崎島と言う所で一生働かせ、弱れば魂をすすられ食べられ酒の肴にされるそうですよ。何でもその河童は肌が隅の様に黒く嘴には歪な牙が付いていると言う…」
「さ、魚釣りはやめときます…」
「あはは。でも私も子供の頃はこの川で遊んでましたけど河童なんて出ませんでしたよ。子供だけで川に遊びに行かない様に作られたこわーいお話ですよ」
「にしてはやけに具体的ですよ」
「まあデティールがしっかりしてる方が話に厚みがでますからね」
そんな話をしながら兄山を後にした。帰りに田浦とまた会うと気まずいのでバスなどの交通機関を利用しながら豊玉区に向かった。いつもは私が綾葉さんを心配しているのに今日は橋の上での目眩以降彼はやや過剰なまでに私の体調を気にしたりしてくれている。
次のバスまで時間があるので暇をしていると綾葉さんは飲み物を買って来ると言って出かけ、やけに遅いと思ってたら少し離れたコンビニまで出かけておにぎりやらサンドイッチやら買って来た。そう言えば昼食を取るのを忘れていた。まさか綾葉さんにそんな気を遣われるとは…。
「レシート見せてもらっていいですか?」
「俺からの奢りです」
「でも…」
「サイフが重くて仕方がないんです。この辺じゃいつも利用してる銀行に預け入れもできませんし。ね、俺を助けると思って受け取ってください」
「そうですか…では好意に甘えていただきますね」
そうしてバスを待ちながら一緒に昼食を食べる。お互いに黙ったままどことなく視線を泳がせていた。…田浦が変わってしまった理由に綾葉さんは関係あるんだろうか。田浦の一方的な逆恨みだろうか。彼が言うには綾葉さんも学生時代からすっかり変わってしまったらしい。
気になるがやはり気軽に踏み込んでいい話ではない気がする。だから喉まで出かけた言葉を飲み込んで黙っていた。やがてやって来たバスに乗り込むと綾葉さんも山道を歩いて疲れていたのかすっかり眠ってしまった。
目的地の近くまで来ると綾葉さんを起こしてバスから降りる。
「何か変な寝言とか言ってませんでした?」
「いえ、特に何も言ってませんでしたよ」
「良かった」
そんな話をしながらシカクマメまで帰ると家の中で柊さんと近所の子供が紙相撲で遊んでいた。
「おや、おかえりなさい。観光は楽しめましたか?」
「ええ、おかげで。お留守番させてすみません柊さん」
「そう言えばつい先程利用客の田村さんですが外せない用事ができて明日の朝にはチェックアウトしたいとの相談が来ました」
「了解です」
予定があったのなら仕方ないが部屋に何か問題があったのかもしれない。カエルの合唱だったならどうする事もできないが…。後日不備がないか確認しておかないと。
それから綾葉さんと分かれ私は田村さんと減泊について話をしに向かった。
夕方になると柊さんは自宅に帰った。それを見送ると私は自室に戻って絵の続きを描く。私はカレンダーを見ながらフリマの日を確認する。絵を描くペースが遅いのは昔からだが最近は筆の乗りが悪くできた絵の枚数が多くない。
「今年はやめとこうかなぁ…」
納得できない出来の絵で枚数を稼げば参加できなくもないが、中途半端な出来の物を売るぐらいならいっそ参加しない方がマシだ。
…コンコン。とノックの音がした。誰だろうと思ってドアを開けると綾葉さんがいた。
「どうかしました?」
「あれから体調の方はどうですか?」
「おかげでこの通り元気ですよ!」
「それは良かった!それでその…もし良かったら俺に夕食を作らせてもらえません?」
「夕食を…?」
「はい!兄山で体調を崩した事が気になってまして。何かとお世話になってばかりなので俺からも恩返しがしたいんです!」
「恩返しだなんてそんな。私が勝手にやった事ですよ」
「お願いします!俺に夕食を作らせてください!」
「そこまで言うのなら…じゃあお願いしますね」
こんな事を言うのもなんだが綾葉さんに料理できるイメージはなかった。彼は食材を持って来ると私の自室のキッチンでエプロンを着て調理を始める。エプロン姿で真剣に料理を作る姿にちょっとドキッとした。
好きな物も嫌いな物もない、そんな事を言っていた彼だ。本当に大丈夫か気になってチラチラ見ていたが特に問題はなさそうだった。美味しそうな匂いがしてきてお腹がすく。
やがて出て来たのはご飯、みそ汁、焼き魚、卵焼きだった。綾葉さんの分はないらしい。彼は「ご賞味あれ!」と言うと席についてニコニコと笑顔で私がご飯を食べるのを待つ。少し食べづらいなと思いつつ私は料理に箸を付けた。
「!!!!」
う…美味い!!!綾葉さんのあの自信もうなずける味だ。私は立ち上がると綾葉さんの席まで向かい彼の両手を掴んだ。
「私と結婚してください」
「えええっ!?!??そ、そんな…突然言われてもその…」
慌ててあたふたする綾葉さん。可愛い。
「冗談ですよ。はあ…凄く美味しいです。こんなに美味しい物を作れるのにご飯を抜いたりして、綾葉さんと言う人が良く分からないです」
「俺の両親それぞれ料理人なんですよ。家を継ぐ気はないって断ってたんですけど覚えてて損はないからって子供の頃に覚えさせられたんです。…色々あって食べる事が楽しいとは思えなくなってましたし、料理の味も良く分からなくなってたんです」
「綾葉さん…」
「美味しいって言っていただけて嬉しいです。俺に料理の味と作り方を思い出させたのはモロコシさんですよ」
「……綾葉さんはここへ来た時からずっと様子が変でした。一体、何があったんですか…?」
その言葉に対して綾葉さんは目を伏せがちにして黙ってしまう。彼はしばらくして精一杯の笑顔を作ると「また明日」と言って部屋を出て行こうとする。踏み込むべきではない事だったかもしれない。それでも彼との関係はもうただのお客さんと宿屋の店員ではない気がした。何より彼自身が助けを求めている様に見えた。
私は彼の背中を追ってその手を掴んで彼を引き留めた。
「私じゃ力になれませんか…?」
「モロコシさん…。またどこかに俺を連れて行ってください。中津町の事をいっぱい教えてください。俺…上手く言えないけど、モロコシさんと一緒にいると楽しいなって思うんです」
「そんな事で良ければ、また…」
それからはお互いに次に言うべき言葉も見つからず、ぎこちない感じで別れた。
彼がシカクマメから…、中津町から去ってしまう前に心を開いて欲しい。彼を助けたい。私はそんな風に思った。過保護だった両親と同じ余計なお世話かもしれない。それでも放っておけない。
私は少しずつ遠ざかる綾葉さんの背中をいつまでも見つめていた。
小説執筆の負担を減らすために1週間に1回投稿ぐらいのペースにしようと思ってたんだけど、あまり間が空くとプロットに書いてない細かい設定とか忘れそうでこわひ←