第10話 脱出
何とか脱獄した2人は再会したニノトと協力しモロコシ救出作戦を行う。失敗の許されない最後の作戦の行方は…。
俺達は倉庫に身を隠しながらタイミングを待つ。
「そう言えば海河童はとにかく幽霊は大丈夫なんでしょうか」
「ええ。死神の仕事は大変になるでしょうけどね」
コンコさんが抱っこしているコムロと目?が合った。俺は目を逸らして考えない様にする。しばらくすると船内が少し騒がしくなって来た。まだだ。更にしばらく待つと煙の臭いがして来た。どうやらニノトが上手くやってくれたらしい。
「綾葉さん…」
そう言ってコンコさんがこちらにコムロを向ける。俺はうなずくとお面の向こうを覗き込みながら彼らを想った。すると船のあちこちが揺れ始める。コンコさんはコムロを手放し、俺達はその場を走って離れる。
「何事だ、何が起きた!」
「火事…だけじゃない、これは…」
「コムロだ、コムロが暴れてる!」
この船には武器庫があるらしい。今のところは一度もないらしいが他の海河童と争う事を想定して大砲などもある様だ。ニノトは騒ぎを起こすために船に火を点けてコムロを暴れさせ、混乱に乗じてモロコシを救出する事を提案した。彼の役目は武器庫に行って火を点けて来る事だ。
それだけでも危ないが見張りを掻い潜ってこれを実行し、駆けつけて来る海河童をやり過ごしながら潜水艇に向かうのは更に困難だ。彼は大丈夫だと言っていたが…。いや、もう作戦は実行されたのだ。今になってあれこれ考えても仕方がない。
「逃げたぞ!捕まえろ!」
「クソ、大人しくしろ!」
「ひー、やってんらねえな、逃げよ」
どうやら捕まっていた幽霊達も逃げ出したらしい。火事の規模がかなりのものらしく逃げ出す海河童も少なくない様だ。
「さっさと消火活動を急げ!逃げ出した海河童共の顔はよく覚えておけ!」
ハウサの怒号が聞こえる。俺達は道を迂回してモロコシさんの元へ向かう。コンコさんの誘導と術のおかげでコムロが全員俺の方に来ると言う事はなくなったが、そうでなくても気を付けなければ俺やコンコさんに掴みかかろうとする。海河童達にも容赦なくとびかかっている。振りほどくのは苦労しているようだ。
俺達は先を急いでモロコシさんの元へ向かった。少し前まで海河童達が酒を飲んでいたであろうホールにモロコシさんがいた。周りの状況に困惑している様だ。彼の周りには何故かコムロがいない。
「「モロコシさん!」」
2人で呼びかけると彼はこちらを向いた。
「綾葉さんに彼処さん!?どうしてここに…」
「説明は後です、今は逃げるんですよ!」
そう言ってコンコさんはモロコシさんの幽体の手首を掴んで引っ張る。俺達は急いで潜水艇へ向かう。途中で海河童に捕まりそうになりながらも何とか切り抜けた。どういう訳か俺達に気付いたコムロは襲い掛かる事なく距離を開けてこちらを見るだけになった。幽体だから襲われないとか言うよりモロコシさんが何か特別なのかもしれない。
コンコさんも気になってる様だが、彼女でも知らない事ならおそらくモロコシさんに尋ねても恐らくわからないだろう。時折コムロを目で追っているので彼にはあの子達の姿が見えている様だ。
「げほっ、げほっ…」
火の煙が船内に立ち込めている。
「くっ、こっちのルートは厳しそうですね。綾葉さん、苦しいでしょうがもうひと踏ん張りですよ!」
「もちろんです…」
海河童達はコムロの相手や火事の対処で忙しいが、それでも俺達を止めようとする連中も少なくない。コンコさんはモロコシさんの手を俺に握る様に言って応戦する。集団で襲われては一たまりもないが、個々との戦いであればコンコさんの方が力は強いらしい。モロコシさんは次々と変化して戦う彼女に驚いていた。
しかし度重なる戦いと術の使用でかなり消耗しているらしく、時に動きが鈍って軽い怪我を負う事もあった。
「…逃げる術があるから抵抗しているんでしょう?私を置いて行けばいいのに、どうしてそんなに私のために必死になるかわかりませんよ。海河童の狙いは私です」
コンコさんはモロコシさんを一瞥したが何も言わず突き進む。俺は彼女に代わって黒河童が命を救ったのではなく、黒河童に襲われた所を助けたのが彼女なのだと教えてあげた。彼はショックを受けた様子だったが、やがて顔を険しくする。
「余計なお世話ですよ!どの道私は死んだ事を受け入れているんです、私のせいでお二方が傷ついたり苦しむ所を見る方が嫌ですよ!」
モロコシさんの言葉にコンコさんは何か言いたげだったが目の前に現れた黒河童の対応に忙しく言葉を返せない。彼は尚も感情を昂らせ叫ぶように言う。
「私は酔生夢死な人生を送ってましたよ!何一つ頑張らずに生きて来ました!黒河童の事は忘れていたのに、長生きできない事だけは無意識に覚えていたからですよ!突然人生が拓けたって、私、どう生きていいのか…わかりませんよ…」
このままじゃ彼は俺の手を振りほどいて1人逃げ出しかねない。今やってる場合じゃないとは思うがもうここで彼を説得するしかない。俺は膝をついて幽体で揺れ動く彼の両手を両手で包んだ。らしくなく元気のない瞳が俺の顔を見る。
「モロコシさん、本当の事を言います。俺、中津町に死に場所を探しに来てたんですよ。観光地を巡って、眺めのいい所で一生を終えたいって。仕事が全てだった俺はキャリアを断たれ全てが終わったって思ったんです。モロコシさんに出会って食事がこんなに美味しいんだって、思いっきり運動して寝る事がこんなに気持ちいいんだって、人の心ってこんなに温かいんだって思い出したんです。断たれた俺の人生の先を拓いたのはモロコシさんです。生きる理由がないのなら、俺がモロコシさんの生きる理由になります。生きてください」
自分でも臭い事を言ったと思うが本心だ。彼は少し動揺していたが、やがて困ったような顔で笑うと頷いた。
「妬けるねえ。俺も若い頃はあんなに熱い恋をした事があったもんだ…」
取っ組み合うコンコさんと向き合う海河童が行った。
「我々年寄りが、年甲斐もなく若人同士の恋路に水差すもんじゃありませんよ」
そう言ってコンコさんが頭突きをすると戦っていた海河童はやや大げさによろよろとふら付いて後退する。
「やれやれ、年は取りたくねえなあ」
独り言の様に言うと船体をぶち破って外へ出て行った。どうやら不器用なりに道を譲ってくれたらしい。コンコさんは急いで空いた穴に葉を投げて蓋をし浸水を防ぐ。俺達は奥へ奥へと進んで潜水艇を目指す。ニノトに聞いていたルートを通って火が回っている武器庫の付近を避けた。潜水艇へ向かう道にはニノトが倒したらしい海河童達が数体ほど転がっていた。
やっと潜水艇のある所へ到着する。思ったより火の回りが早い。
「ゲートを開けて来ます。先に潜水艇に乗り込んでください」
コンコさんがそう言って先行する。しかし…。
「ッ!!!」
鋭く重いなぎなたの一撃がコンコさんの左肩から脇にかけて入った。回避しようとしたが間に合わなかった。彼女の服に赤い血が滲む。
「お前達はここに来ると思っていた」
そう言って陰から何者かが現れた。ハウサだった。出会った頃の様に鎧はつけていない。音を立てて奇襲を悟られないためだろう。モロコシさんはコンコさんの所へ駆け寄り庇うように彼女を抱きしめる。
ハウサは近くの箱を蹴ってこちらに何かを寄越した。見れば刀剣やら槍やら武器が入っていた。
「さあコンコ、あの日の続きをやろう。今度こそ決着をつけよう」
「たわけ、お前はあの日私に負けたんだよ…」
強気で言うが傷の深さと疲労困憊もあって彼女はもはや立つ事もままならない。
「ここは、私がなんとかします。潜水艇に早く…」
コンコさんはここで自分を犠牲にして俺達を逃がす気だ。普通に考えればこの状況で1人でも多くの人を生かすのならそれが適当な判断なのかもしれない。だが…俺はそんなのお断りだ。全員で生きて帰るんだ。俺は箱の中から刀を取り出して構える。ずっしりと重い。比較的軽そうな物を選んだが本来海河童が振るう規格なため長さは85~90cmほど、重さは5、6kgほどある。
「戻りなさい、綾葉!あなたでは勝てない!」
コンコさんは叫ぶ。俺だってそう思う。でもこのまま見捨てるなんて俺にはとてもできない。
「来い人間。惨たらしく殺してやる」
奴らの所持する武器だ。切れ味や頑丈さに問題はないだろう。問題なのは仮に業物だったとしても俺には扱う技量がなく、まともに振るって傷を負わせられる可能性があるのは振り下ろしぐらいって事だ。しかしそればかりになれば容易く対処されてしまう。こんな事なら社内ジムを利用して体作りをしておくんだった。
俺は攻撃を誘ってハウサの動きを観察する。彼の扱う薙刀はかなり威力があるがかなりの重さらしく動きは鈍い。また、潜水艇のあるこの場所は薙刀を振り回すにはいささか狭くこちらの方がまだ利がある。
僅かな隙を突いて俺は刀を勢いよく振り下ろし奴の左足を斬る。まるで大きなタイヤを鉄パイプで殴っている様な感触がする。皮1枚切れたが出血すらしない。
「何かしたか?」
「ぐっ」
煙が少しずつ室内に充満する。俺は背後にいるコンコさん達に攻撃が及ばない様に立ち回らなければならず動きも制限される。このままでは…。
「う、うおおおおおっ!!!」
物陰から叫び声がした。見ればニノトがいた。彼は叫び声をあげながらハウサの方へ拳を振り上げながら飛び掛かる。ハウサはため息を付くと裏拳で彼の顔面を捕らえた。嘴の鋭い歯がぽろぽろと落ち出血する。ニノトはフラフラとしながら後ろに下がり口元の地を手首で乱暴に拭った。
「ニノト。貴様が隠れているのは知っていた。出て来るのは予想していたよりずっと遅かったがな」
「ニノト!どうして…」
「へへ…何でだろうな。俺にも分かんねえ。ここを出たらもうお互いを助けねえって言いだしたのは俺なのにな」
自嘲気味に笑うとニノトは再びハウサに殴りかかる。彼は薙刀を捨てるとほぼ一方的にニノトを殴る。ニノトだって弱くはないはずだがあれじゃまるで子供と大人の喧嘩だ。その差はあまりに圧倒的過ぎる。
殴り飛ばされたニノトが俺達の方へ飛んで来た。ボロボロになりながら、フラフラになりながら立ち上がる。
「ニノト…」
コンコさんが彼の怪我を心配して声をかける。彼は笑った。
「そんな顔すんなよ。これはな、多分俺のためでもあんだよ」
そう言ってまたハウサの方へ立ち向かっていく。殴られて、蹴られて、血まみれになりながらも立ち上がる。赤黒いその肌を鮮血が塗り替えていく。
「…ハウサ。やっとわかった。俺はあんたが大嫌いだったんだ。いつもコソコソしてて、仁義だのなんだの言うクセに仲間の事は全然信用してねえ。コンコとの決闘だって、あんたは内心真っ向勝負するのが怖かったんだ。本当はこうなって一番安心してるのはあんたなんだろ?」
「ほざけ若造が」
少しずつだがニノトはハウサの攻撃を避ける様になった。的確な防御を行い、逆に殴り返すようになった。いよいよこの部屋に回った火がメラメラと燃えてその赤い肌を爛々と輝かせる。少しずつだがハウサの顔にも疲れが見えて来た。
そのハウサの横っ面のニノトのパンチが入る。嘴にヒビが入って血が噴き出した。
「おのれ、一族の恥さらしが!!」
そう言うとハウサは嘴から折れた勢いよく歯を噴き出した。その歯はニノトの目に入り苦しみ悶える。ハウサは怯んだニノトを思い切り蹴り倒す。更に倒れた彼に馬乗りになって何度も何度もその顔を殴る。やがて彼の動きが鈍くなった頃に立ち上がると俺が刀を取った武器の入った箱から曲刀を取り出した。
体を起こそうとするニノトの方へ向かうハウサ。彼は曲刀を振り上げる。
「まずい、このままじゃニノトが…。そうだ、モロコシさん、これを…!」
後ろでコンコさんが小声でモロコシさんに何かを手渡した。
「え、でもこれ…」
「いいから早く!」
一体何を手渡したんだろう。気になって振り返ると…そこにはヒラツラミがいた。
「「!??」」
俺とハウサは驚いた。コンコさんの術によるものかと思ったがどういう訳か彼女も一緒になって驚いている。
『ほう。これは…』
どこからか透明感のある美しい青年の声が聞こえた。この場にいる誰もが視線をヒラツラミの方へ向ける。一番先に我に返ったのは俺だった。俺は刀をハウサの方へぶん投げる。ハウサは宙を舞う刀を見てハッと我に返って曲刀で刀を弾く。ニノトは体を勢いよく起こすと剣を振り終えたハウサの顔面に再高威力の右フックを決めた。
ドスン!大きな音を立ててその体が床に崩れ落ちる。ニノトは呼吸を整えながら目のあたりを腕で拭う。ハウサはもう起き上がらなかった。
「はぁ…はぁ…卑怯者のあんたにゃお似合いの結果かもしれねえな」
ニノトはフラフラになりながら近くのスイッチを操作する。潜水艇の奥のゲートが開いた。彼はこちらに戻って来る。
「ありがとう、ニノト。君がいなきゃ危なかった」
俺が手を差し出すと彼は嘴の口角を僅かに上げて笑い、握手した。
「お礼を言うのはこっちの方だ。俺は本心に背きながらちっぽけな出世何かに目が眩んでたんだ。お前らが海河童らしさってのを思い出させてくれた。ありがとうよ」
モロコシさんはコンコさんを支えながら起こす。気が付けばヒラツラミはどこにもいなくなっていた。さっきの話はモロコシさんにヒラツラミのお面を被せただけだと分かってる。それでも、見た事も無くても、確実に実際にそこにヒラツラミがいたと確信できるほどだった。今となっては真偽の事は重要じゃない。状況は打破できた。後は避難しなければ。
何を思ってかモロコシさんはニノトの顔をぼんやり眺める。
「…あれ、田村さんじゃないですか」
田村…?どこかで聞いた気がする。モロコシさんの知り合いだろうか。いやでもニノトは海河童だし…。ニノトは苦笑いした。
「あんたの宿は悪くなかったぜ。それじゃ今度こそお別れだ。機会があればまた会おう」
そう言うとさっさと潜水艇に乗り込み脱出して行った。あの怪我なのに凄いバイタリティだ。
「私達も急ぎましょう。この潜水艇は本来2人乗りです。モロコシさん、少しの間膝の上に乗せてください」
彼女は頭に葉を乗せると子狐に化けた。モロコシさんはコンコさんを抱いて潜水艇に乗り込む。俺は操縦席に座って鍵を差し込み電源を入れた。コクピットのカバーを下ろして潜水しゲートを越えて船から脱出する。
海中は逃げる海河童達もいたがもう俺達を追って来る海河童は1体もいなかった。俺は安心感から襲って来る強い疲労感と眠気を堪えつつ鍾音岬を目指す。
潜水艇で鍾音岬を目指してしばらく経った。コンコさんの傷の具合は気になるが当人は妖怪ならよくある程度の傷だと言っている。とは言え見ての通り傷は決して浅くない。俺達に余計な心配をかけない様に気を遣っているのだろう。
しばらくは何も話さずにいたが、段々とまた眠くなって来たので少しでも眠気を紛らわせようと会話を試みる。
「モロコシさん、全然幽体に見えないですね。膝の上にコンコさんを乗せられますし」
「霊力が高いからでしょうね。それにぽかぽかしています。何だかお布団の中にいるみたいで…ふああ…」
彼女もかなり眠そうだ。モロコシさんは少し躊躇いつつ、コンコさんを撫でる。
「んん…駄目ですよモロコシさん。今の姿は子狐かもしれませんが私は格式ある大妖怪。恐れ敬ってください」
「そう…ですか」
モロコシさんはそう言って残念そうに撫でるのをやめる。しかし撫でるのをやめるとコンコさんは求める様に彼の手をでこや鼻で擦りつける。すると彼は我慢できずにまたコンコさんを撫で始める。目を細めてされるがままになる彼女は満更でもない、というよりは撫でられたい様だ。
「もーしょうがないですねーモロコシさんは。ちょっとだけですよぉ…」
「んふふ」
「いいなあ。俺も撫でたい」
「駄目です」
「辛い」
そんな会話をしているうちにやっとの思い出鍾音岬の陸地に着いた。改めて見ても鍾音岬の梵鐘は大きい。一体何十メートルあるんだろう。俺はカバーを開くと先に降りてコンコさんを受け取り、降りて来たモロコシさんにまた渡した。後は元の世界に帰ってモロコシさんの魂を病院に送り届けるだけ。もう一仕事だ。
そう思って歩き出すと後ろから俺達を呼び止める声がする。振り返ると…。
「ハウサ!??」
よく見ると近くにもう1隻の潜水艇がとめられている。どうやら俺達はずっと追跡されていらしい。
「全く、往生際をわきまえない河童ですね!」
そう言ってコンコさんは自らモロコシさんの腕から離れて彼処さんの姿に化ける。右手で葉っぱを投げるとそこにゲートが開かれる。
「綾葉さん、モロコシさんを連れて逃げてください。手負いの海河童の相手など片腕一本で充分です」
そう言うとコンコさんはブランとしている左腕の袖を右手で口元まで持って行って歯で咥え、右手には葉で作った刀を握って構える。無茶だ。ハウサだって満身創痍にしたって今のコンコさんでは…。
しかし、一度戦った事のある俺なら分かる。仮に手負いであってもあれは妖怪。俺がコンコさんと一緒に戦っても返って彼女を危険に晒すだけだ。彼女の想いを汲むのなら俺は一刻でもここを離れモロコシさんの魂を病院に運ばなければならない。
ここまで来たのに、なのにコンコさんを見殺しにしなきゃいけない。俺は自身の無力さと現実の理不尽さに胸が張り割けそうになる。拳の中で血が滲むほど握りしめていると、ふと異質の気を感じた。
「よせハウサ。彼らは今より私の客だ。手出しは許さん」
この声は…。振り向くと船内で会ったそれがいた。ハウサは忌々しそうにその名を口にする。
「ヒラツラミ…様…」
激務過ぎて創作が進まねえ…