プロローグ
ずっしりと重い雲に覆われた空が、ゴロゴロと唸り始める。
すぐに大きな雷鳴に変わり、太い稲妻が地に向かって落ちていくだろう。
この国にとってのいつもの空だ。
執務室へ向かう廊下の窓から、男がつまらなさそうに外を眺めていた。
逞しく引き締まった褐色の身体、黄金の瞳。
腰まである艶やかな濡羽根色の髪、その頭頂部には長く大きなツノがニ本あり、男がただの人間でない事を顕していた。
「魔王様、如何されましたか?」
背後に控えていた緑色の肌をした側近が、男の様子を窺ってくる。
「少し空を見ていただけだ。」
“魔王”と呼ばれた男は端正な顔を歪め、面倒臭そうに頭をガシガシと掻いた。
魔族という種族は、その強さと異形により、他種族から国ごと忌み嫌れ、常に疎まれている。
その魔族の頂点に立つ魔王は、毎日のようにくる多種族のイチャモンに頭を悩ませていた。
「まったく……。魔物のスタンピードも西の国の干ばつも、野鳥の病も何もかも我ら魔族のせいにしよって。どれだけ、我らが嫌いなのだよ。ついでとばかりに、何百年前の事をネチネチと……」
国同士の些事に追われ、疲労感を滲ませた魔王はボキボキと凝り固まった首を回す。
「そもそも、我もう高齢だし、もう少し仕事量を減らして労ってくれても、バチは当たらんと思うが。お前もそう思わぬか?」
「ふふ。何を仰いますか。魔王様はまだまだこ……、」
カタン…と小さな物音と同時に、側近の言葉が不自然に途切れた。
「……?」
魔王が振り返ると、側近が赤い絨毯の上に倒れていた。
ブワッと髪を逆立てる様に、魔力を高める。
一瞬で、魔王城全体に探知魔法を展開し、城内の異常を探る。
『何だ……、どうなっている?』
異常な魔力や気配は感じない。
探知魔法で探る城内に不自然な点はなく、城の者達の日常の様子が視えるだけだった。
魔王の目の前で、ただ側近が倒れているだけだ。
“それ”が異常なのだ。
側近は柔らかく微笑んだ表情のまま、動かない。
側近の後頭部、首と頭の付け根には、鉄を細く捻り削って出来た棒のような物が、深々と突き刺さっていた。
パンっと音を立てて、廊下を明るく照らしていた魔石が砕けた。
攻撃魔法を展開しようとした瞬間、頭頂部に軽い衝撃が走る。
カツンっと音を立ってて、魔王の長いツノの先が足元に落ちて転がった。
『……この我が気付かぬとは……』
魔王の背中、心臓の位置に側近を仕留めた物と、同じ武器があてられている。
魔王は静かに息を吐いた。
「何者だ?」
雷鳴が響き、一拍置いて稲妻が落ちる。
その雷光に背後の者の何かが反射した。
「お命を頂戴しにまいりました。」
静かな、若い女の声。
魔王は鼻で笑った。
「我は不死なる魔王ぞ。殺せると思っているのか?」
女はハッと何かに気づき、恥ずかしげに“訂正”した。
「申し訳ありません。いつもの癖で。訂正いたします。」
「うん?」
背にあてられていた細い棒が離れ、代わりにトンっと拳大の球体があてられる。
「私はこの世界では“聖女”らしいので。」
「え?」
「貴方を“封印”するためにまいりました。」
女がモジモジと伝えた瞬間、マヌケな顔をした魔王の背後で閃光が走った。