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71. 呪われた王子

 まずは騎馬の一団が、ひづめの音を高く響かせて聖堂前広場に入ってくる。二十人ほどの小隊で、いずれも甲冑姿だ。長い柄のついた旗を持っていて、聖堂までの空いた空間を確保するように散開し、そこに旗を高く掲げる。


 折しも強く吹いた風に、旗が大きくなびいたとき、見る人々からは一際大きな歓声が上がった。清らかな水を思わせる青に、金の花弁を七枚持つ薔薇の意匠が浮かび上がる。ベルリア王家の紋章だ。


 新たに入ってきたのは、別の騎士の一群だ。やはり甲冑姿、しかし彼らは揃いの青のマントを身につけていた。王家の色の軍装を許されるのは、本来王宮を守るべき近衛隊と決まっている。


 銀の装飾をきらめかせ、精悍せいかんな軍馬にまたがった彼らの整然としたきらびやかさに、目を奪われる群衆の前に、ようやくそれは現れた。四頭立ての、黒塗りの馬車。


 意外にも、その馬車は、遠目にわかるほど煌びやかというわけではなかった。車体には、殊更に豪奢を誇るような装飾はついていないし、お大尽の乗る車にはありがちな、威圧的な大きさを誇るわけでもない。


 だが、その車体の優美さ、よく手入れされた姿のいい馬たち、何よりもその滑らかな動きは、どんな小手先の装飾よりもはるかに、見る者の目に強烈な印象を残す。明らかに普通ではない――この中にいるのは、この国で最も尊貴な人物なのだ。


 騎士たちが整然と馬を立てて居並ぶ中を、馬車はするすると進み続けて、ついに聖堂の正面で止まった。馬車の背面から人が現れて――ユールだ。いつの間にか随従の席を分捕ったらしい――主のために扉を開ける。


 一際強く風が吹いて、馬車から下りる人物を微かによろめかせたように見えた。すかさずユールが手を出して支えようとするのを、しかし無言のうちに拒絶して、地面の上に下り立つ。良く磨かれた上等な革靴が、石畳を踏む――だが、もう片方はそうではない。


 ベルリア王子シアラン・イルム・ベルリアは、二十代半ば、すらりとしているというよりは痩せぎすという方が正しい体つきだった。隣にいる、どちらかといえば小柄なユールよりは背が高い。もし彼の肩が本来の位置にあれば、ミカとほぼ同じくらいの身長だろう。


 陽光の下で見るその顔は、当然といえば当然なのだろうが、妹のアルティラとよく似た面差しだ。ただ、妹の顔立ちが、儚さや繊細さよりは強い意志の力を表している一方で、兄の方には落ち着いた、静かな聡明さが窺える。美男子と言っていい。


 だが、彼の姿を見て、その点を真っ先に目に留める者はいないだろう。彼がぎこちなく歩を進めるたびに、耳慣れない音がする。左足の義足が石畳に擦れて立てる音だ。


 その足に引きずられるかのように、上体が大きく傾く。不自由な左足を庇うからか、それとも骨自体に変形があるのか、左肩が右に比べて大きく下がっている。この体の奇妙な歪みのせいで、本来ならミカと同じ高さにあるであろう彼の頭は、頭半分ほど低い位置にあるのだ。


「足萎えだ」


 群衆の間から、誰かがそう声を上げた。


「王子は足萎えだぞ」


「見ろ、まともに歩けもしない」


「呪われたんだ。あれが、ベルリアの呪われた王子だ。悪魔が憑いている!」


 ミカの視界の端で、ほっそりした手がきつく拳の形に握り込まれる。アルティラは反射的に顔を巡らせ、群衆の方を睨みつけたが、すぐにその視線を目前に戻さざるを得なくなった。独特の足音が、彼女の前で止まったのだ。


 王子を面前に迎え、ミカは他の修道士たち同様、敬意を表して頭を下げる。シアラン王子はそれを認めたようだったが、まずはミカの隣に立つ妹に向かって話しかけた。


「アル。だから言っただろう、こんなことはうまくいかないって」


 静かな、落ち着いた声音だった。その言い方に、政略結婚を失敗させた妹を責めるような響きは少しもない。ミカは密かに意外に思った。もし彼の聞き間違いでなければ、その穏やかな声には、苦笑を押し殺す気配さえあったかもしれない。


 一方で、アルティラの方は、それらを聞き落としたらしい。はっと兄を見返すと、常の勝気さはどこへやら、悄然と肩を落とした。


「シアラン、私は……あの、ごめんなさい。こんなことになって……」


「君たちの結婚式に、私を呼んでくれなかったことについてなら、それはもう反省してほしい。どうしてそんなことができたんだ? ずっと前から楽しみにしていたのに。ユールも、友達甲斐のないやつだ。私の妹を取っていこうというのに、一言もないなんて」


「シアラン様」


 非難の矛先を向けられて、一歩下がったところに控えていたユールもまた、気まずそうに身を竦める。その様にちらりと目をやってから、王子はようやくミカに向き直った。


「あなたが、ミカ司祭か。教皇庁の所属とか」


「恐れ多くも教皇聖下の命を拝して当地に遣わされました、ミカ・エトワ・ジェレストと申します。王子殿下にこのように御前で拝謁できますことは、まことに光栄に存じます」


「教皇聖下は、あなたに何をするようにお命じになったのだ」


「近年、ここ、リドワース修道院においては、注目すべき『奇蹟』が現れるとの証言が、教皇庁にも届いております。殿下もご賢察であられますように、奇蹟は主が我ら無力な人の子に賜る、大いなる恵みであります。教皇庁の名において子細な調査を行い、ひいてはその恩寵を広く世に知らしめることこそ、我らが尊き聖下のお望みであられます」


「修道院の『奇蹟』のことは、私も聞いている」


 シアラン王子はさして感銘を受けた様子ではなかった。素っ気なく応じると、なおもじっとミカを見やる。何かを見透かそうとするような瞳だ。


「奇蹟のことは、なるほど教皇庁の管轄だろう。だが、あなたが私の妹と、ここにいるユールを結婚させたことについては、あなたの受けた命令と何の関係がある」


 やっぱりそれか、とミカは多少がっかりしながら思った。先日、ロードリー伯爵が、シアラン王子はこの結婚に怒っていて、必ずや取り消させるだろうと言っていた。この王子もまた、それはできない相談だという道理を受け入れない類の、面倒くさい相手なんだろうか。


「あなたも、アルティラ王女とユールの結婚を認めないと仰るおつもりですか。しかしそれは神の御名にかけて、正しく行われたものです。神の秘蹟を取り消すことは、誰にも、少なくとも私にはできないことなのです。詳しくお話しになりたければ、スハイラスの教皇庁に直接連絡を取っていただくよりありません」


 ロードリー伯爵を相手に呪文のように繰り返し続けた台詞が、反射的に口をついて出る。うんざりする押し問答を覚悟しかけたミカだが、しかしシアラン王子の反応は予想とは違った。王子は驚いた顔をして、意外そうに言ったのだ。


「いや、結婚を認めないなどと言うつもりはない。今更そんなことを言って、一体何になる? 正式の司祭が神の御名において認めた結婚を、ただ人が認めないなどと言うことができるものか。……あなたが、真実叙階された司祭でなかったとなれば話は別だが」


「私の身の証をお求めになりますか」


 問いかけに、シアラン王子は微かに小首を傾げる。目を瞬いてミカを見返すと、すぐに頭を振った。


「いいや、必要ない。あなたには準備ができているはずだし、それに、たいした問題ではない」


 ミカは思わず微笑んだ。準備ができている――もしミカが教皇特使の司祭の身分を偽っていたとして、偽るからにはそれらしい証拠を用意しているだろうし、その偽装を今この場で暴き立てるのは困難だ、という意味だ。その上で、それを『たいした問題ではない』と言ってのけた――ミカが偽の司祭であれば、ユールとアルティラ王女の結婚は取り消すことができるが、そのつもりがない以上、放っておいていいと判断した。


 一般に敬虔で、信心深いと言われるベルリアだが、その王子は案外不信心な人物であるらしい。妹が真実の結婚の秘蹟を授けられ、神のご加護を受けられるかどうかは、さして気にならないのだ。


 ただ、正当な結婚である体裁は必要だ。だから、ミカが傍目に正式な司祭であれば、たとえ偽物だとしても正体を暴き立てるつもりはない。極めて現実的なやり方だ。


 ミカは心が浮き立つのを感じた。あまり期待はしていなかったが、この王子は、案外悪くないかもしれない。


 ――これは、思ったより見込みがある……か?


「では王子殿下、他に私に何をお望みでしょうか。ここまで足をお運びいただく栄誉を賜ったからには、非才なる身に叶うことでしたら、どのようなことでも一身をかけて努める所存でありますが」


 ミカがあまりにも機嫌よく言ったせいか、シアラン王子はわずかに当惑する気配を見せた。しかしすぐに冷静な表情を取り戻して、じっとミカを見据える。


「アルティラとユールの結婚を、今更無効にできるとは思わない。済んだことだ、取り戻しようもない。ただ、何故あなたがそれを執り行わなければならなかったのかについては、いくらか興味がある」


「何故? 愛し合う二人が秘蹟によって結ばれ、命を分かち合うことこそが、我らが主の望み給うところでありますゆえに」


「とはいえ、教皇庁は、この地上のすべての恋人たちの元へ、司祭を派遣しているわけではないだろう」


 特徴的な義足の音が、一歩近づく。それまでの静かな声音を更に低めて、シアラン王子は呟いた。


「『奇蹟』のことは、どうにでもすればいい。何を探っても構わない。だが、ベルリアの民はあなたたちのものではない。その運命も」


 その声は折からの風にかき消されそうで、実際、すぐ隣に立っているアルティラにさえ、聞き取れたのかはわからない。しかしミカには、はっきりと聞こえた。


 真っ直ぐにこちらを見据える瞳は、彼の華奢な、不安定な体からは思いもつかない重みと強さに満ちている。もしミカの答えに少しでも欺瞞ぎまんの気配があったなら、直ちに射貫こうとでもするような。


 二人の男女に、その愛をもって結婚の秘蹟を授けることは、司祭の使命の一つである。しかし、今問題の男女は、ただの愛し合う恋人ではない。


 王家の行く末と政略の一部を担ったはずの姫君は、もはやその役目を失った。彼女個人の幸福はそれでいいにしても、政略の芽が一つ摘まれたことは確かだ。それにどんな意味があるのか――それにどんな意味があると、教皇庁は思っているのか。


「この結婚は祝福している、もちろん。ただ、どうしてこうなったのかは知っておきたい。我が先祖の下、ベルリアは長く敬虔な信仰を保ってきた。教皇聖下に何を報告してもらっても吝かではないが、わざわざ直属の司祭殿に足を運んでいただくほどの見物があったかどうか」


 ――なるほどね。


 ミカはようやく、王子がここへ来た理由を理解したと思った。彼のためなのだ。正確には、教皇直属の特任司祭という肩書で乗り込んできた教皇庁の人間のためだ。そういう人間が、アルティラ王女の政略結婚を阻止した。つまり、ベルリアの政治問題に介入したということになる。国内の貴族たちが権力を争うよりも、はるかに大問題だ――少なくとも、はるかに大問題だと、シアラン王子は認識したということだ。


 いつかの夜に立ち聞きした、ロードリー伯爵とアルヴァン院長の会話を思い出して、ミカはますます愉快な気持ちになった。教皇の特任司祭に何ができるか、あの連中は何もわかっていなかった。シアラン王子はわかっている。脅威を認識する能力がある。


 しかし差し当たって、ミカは彼の脅威になりたいわけではない。むしろ逆だ。


「王子殿下の寛大なお言葉に、心から感謝申し上げます。この『奇蹟』をあらゆる面から仔細に調べることが叶いますなら、私の務めにこれ以上のことはございません。教皇聖下も、必ずや殿下の高貴なお心映えに感じ入られることでしょう」


 敢えてシアラン王子の示唆する事柄には触れず、ミカは仰々しく一礼してみせた。相手が何か言いかける前に、ところで、と素早く続ける。


「よろしければ、殿下、せっかく当院までお運びいただいたのです。当地の神与の『奇蹟』、神の恩寵を、直にご覧になってはいかれませんか。奇蹟は万人に等しく与えられるものですが、ベルリアの地に起きたことでありますから、僭越ながら殿下にも、他の多くの奇蹟よりも更に身近に、興味深くご覧いただけるのではないかと」


 ミカが明るく提案するのを耳にした修道士たちは、一様におののく表情になった。今も聖堂の壁に黒々とした姿を晒す『奇蹟』は、皆の脳裏に恐ろしい影として、鮮明に焼き付いている。あの日から、あの場所を避けて一度も訪れなかった者でさえ、消すことはできない忌まわしい記憶。


 一方で、そんな記憶は持ち合わせていないはずのシアラン王子も、何故か浮かない表情だった。秀麗な眉根を寄せ、一瞬たじろいだようだ。しかし、注視しているミカの目以外に悟られるほど、はっきりと表れたものではない。王子は素早く内心を覆い隠すと、無感動な表情で頷いた。


「そのような機会に恵まれるのは光栄だ、パトレス・ミカ。是非拝見しよう。あなたの調査の結果も併せて聞かせてもらえれば、なおありがたい。我々には測りがたい、遠大なる主の御心について」





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