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69. 『奇蹟』の種

 持ってきた食べ物の包みを振ってみせると、サナンはようやく立ち上がった。


 薬草園の端の木陰――はじめてここを訪れたミカが、うっかり寝入ってしまった場所――は、最近、二人の昼食の定位置になっていた。北国ベルリアの春の日差しも日に日に強くなり、そろそろ木陰がありがたく感じられる。


 現在、秘密裏に彼の最優先、最重要の保護対象であるサナンの安全を確認する必要があるのもあって、ミカは日々ここに食べ物を運んでくるのが習慣になった。彼にしても、修道院の中にいて、変な客の相手をしたり修道院内のあれこれを扱ったり、すっかり延び延びになっている彼自身の任務の報告書をまとめたりしているだけでは、気分も滅入ってくるというものだ。光と風の当たるところに出て、気分転換の一つもしたい。


 一方で、快い天気と気候の恩恵をふんだんに浴びていたであろうサナンは、どうも浮かない様子だった。チーズ入りの黒パンを、無言でもそもそかじっている。この子が無言なのはいつものことだが、その仕草は大儀そうである。ミカは思わず尋ねた。


「どうかしたのか? 気分でも悪いのか?」


 もしやどこか体調が良くないのかと心配したのだが、そういうわけでもないらしい。サナンは首を横に振ると、今度は焼いた腸詰に食いついた。とりあえず、食欲がありそうなのは良かったが、しかしそれだけに解せない。いつもは大の男でさえ音を上げそうな農作業をこなして、平気な顔をしているのに。


 ミカが再度尋ねると、サナンは少しの間黙っていたが、やがて億劫そうに言った。


「……つかれた」


「何やったんだよ。手が要るなら、言ってくれれば……」


「いっぱい、はなす……つかれる。とっても」


 言って、サナンはミカを恨めしげに睨む。ミカは一瞬きょとんとしたが、すぐにその視線の意味を察すると、思わず笑ってしまった。


「ああ、フィドレス・ジルトに薬草の説明をするのが、ってことか」


 ここを離れるに当たって、彼女が持つ薬草の知識をできる限り伝えておいてくれと頼んだのはミカだった。それがどうしても必要なことなのだと説得すると、サナンは頷きはしたが、いかにも渋々だった。長く人との交わりを避け、言葉による意思疎通をほとんどせず生きてきたサナンにとって、これはかなり骨折りな要求だったらしい。


 一度、ジルト修道士がサナンから話を聞き出しているところに行き合ったことがある。サナンは目的の薬草を示し、それが大まかに何に効くのかは言うことができるのだが、使うべき症状の細かい違いだったり、薬草の処理の仕方だったり、あるいは使用の禁忌などを、滑らかに説明することができないようだった。知識として知ってはいても、言葉にしたことがないから、何と言っていいかわからない。ジルトが辛抱強く聞き出してくれて、ようやく必要なことを伝えられるといった体だった。


 これはミカにとっても多少驚きだった。これまでこの子と話をしていて、意思疎通に問題が起きたことはなかったからだ。しかし思い返せば、彼らの会話も常に、ミカが彼女から何らかの答えを引き出すやり方だった。『会話』としては、かなり偏っていたわけだ。まあ、口を利く相手といえば祖父しかおらず、それも最低限に限られて、とにかく黙って働いているよう育てられてきたことを思えば、このくらい応答ができるだけでもいいとするべきか。


 とはいえ、サナンに知的な問題があるとは思われない。むしろミカの見たところ、資質としてはかなり聡明ではないかと思う。要は、経験だ。


「そうむくれんなよ。もうちょっとしたら、そんなに疲れなくなるから。おまえ賢いから、すぐに慣れるさ」


 取りなすように、頭を撫でる。サナンは依然、不満げな眼差しで彼をちらりと見たが、その手を振り払うことはなく、黙々と食べ物を口に運び続けている。不本意ながら、一応は受け入れてくれたらしいと見て取って、ミカは微笑んだ。


「……それに、ここを離れたら、もう、ずっとだんまりってわけにはいかなくなるからな」


 教皇庁において、聖女たちの存在は最高機密の一つだ。特異な能力を発揮して『聖女』とされた少女たちは――『力』は、ごく幼い頃から少女と呼ばれる年代までに発現することが多い。例外もいくらかはあるが――家族と別れ教皇庁の管理下に入った後は、生涯をそこで過ごすことになる。


 これまでの歴史の中で、こうした異能を持つ少女たちは常に人々に排斥はいせきされ、あるいは野心に利用されて争いの源となってきた。こうしたことを避けるために、教皇庁は、自ら把握している『聖女』の身元も名前も、その人数さえ公表していない。当然、人前に姿を現すこともほとんどない。彼女たちについて詳細を知っているのは、教皇その人以下数えるほどの高位聖職者、あとは実際に彼女たちの生活を取り仕切る担当部門の人間しかおらず、彼らにもきつい箝口令が敷かれている。ミカにしても、現在教皇庁が認める聖女が何人いるのかさえ知らない。


 聖都スハイラスへ戻り、教皇庁がサナンの力を正式に認めれば、その後ミカがサナンに会うことはないだろう。だからそれまでに、できるだけのことはしてやりたい。自分のことを伝えられるように、話ができるようにしてやりたいし、元気で大きくなれるように、ちゃんとした食事をさせたい……それがただの、彼の自己満足だとわかっていてもだ。


 あるいは、罪滅ぼしと言うべきか。


 『奇蹟』を起こす少女は誰であれ、どんな身分であれ、まずは教皇庁に委ねられなければならない。例外はない。その上、現在のサナンの境遇は必ずしも彼女に適当なものとはいえない――過酷な農夫の暮らしはさておいても、男しかいられないはずの修道院に、サナンが不適切な存在であることは厳然たる事実だ。……まあ、今は限りなく、痩せっぽちの小柄な少年に近いにしても、この後何年も持つ言い訳ではない。誰にも知られないうちに、この子を別の環境へ移す必要があるのは明らかだ。


 これは最善の道だ、他にやり様はない――たとえ、この先この子の一生を制限することになるとしても。


 ――……聖女の存在を秘密にするって、もう知ってる人間はどうなるんだろうな? いくら教会でも、聖女の家族を惨殺して口封じしてるってのは、ありそうにねえし……。てことは、様子くらいは聞き出せるはずだよな? ましてや俺は、教皇庁所属の聖職者なんだからな? 少しくらい便宜は……。


 隣にいるサナンには知れない程度に、ミカは密かにため息をつく。


 ――まあ……俺は、別に家族でもねえんだけど。


 ただ、いくらかの責任はあると思うのだ。彼がここに来たことで、修道院は様変わりしてしまった。死んだ農夫が孫娘にかけた、人目をあさむく魔法を解いてしまったなら、せめてその身の安全を図るくらいの責任は取るべきではないか。


 そう思っているミカの目の前で、サナンはおもむろに立ち上がった。いつの間にか食事は終わったらしい。特に休憩する様子もなく、鎌を手にしてすぐにどこかへ向かいかけるのを、ミカは驚いて呼び止めた。


「おい、もうはじめるのか。休まなくて大丈夫か?」


「へいき。はやくしないといけない」


「何を?」


「あのへん」


 サナンが示した辺りには、丈の高い草が揺れている。ミカがここをはじめて訪れたときには、まだほんの小さな芽だけが生えていた区画だ。そしてそのときの記憶から、ミカはそれが何なのか思い出すことができた。


「ランドリアか? え、おまえ、そんなに大きくしたのかよ」


「もう、ここではそだたない」


 南国の植物であるランドリアは、本来北国であるベルリアの地では育たないものだ。当初、その薬草をここで見かけて驚いたミカだが、今では仕掛けがわかっている。もちろん、サナンの仕業だ。彼女がいたからできたことなのだ。


 サナンの異能、起こす『奇蹟』についての詳細は、それこそ教皇庁で詳細な調査がされるだろうが、おそらく命あるものの肉体に干渉するものではないかとミカは思っている。植物を急速に成長させるだけではない、人間にさえ影響する。


 我知らず、ミカは自分の左胸の辺りに手を当てた。あの夜、ユールの剣は確かに彼の心臓を貫いた。間違いなく、彼は死んでいたはずで、それが命を取り留めたなら、よほど高度な、強力な治癒の祈りが使われたのだと思った。だがそれができるはずの人間が見当たらず、どうにも筋が通らなくて困惑していたわけだが、今にして思えばこれ以上はなく明らかなことだ。論理的には、真っ先に彼を発見したサナンが、癒してくれたとしか考えられない。


 そういう意味では、ミカはもっと早くに彼女の正体に気付いてよかった。死ぬほど具合が悪かったことを差し引いても、我ながら何と鈍かったことか。


 ――癒しの力だと。それも、こんだけ強力だと……。


 サナンが手際よく、育った薬草を刈っていくのを眺めながら、ミカはいよいよ気が重くなるのを感じた。そんなもの、どう考えても厄介に違いないではないか。人類の欲求の中で最も強いのは、生存に対する執着だ。サナンの力が世にあれば、誰もが彼女を奪い合うだろう――そして教皇庁それ自体が、彼女を利用したい欲求を乗り越えて、彼女に適正な扱いをするかどうか。


 やはりどうにかして、サナンと連絡を取る手段を作っておくべきだ。スハイラスへ戻る前に、何か教皇庁を説得する、あるいは口車に乗せる口実なり方策を考えておかなければならない。


 だがその前に、厄介事は他にもある。昼前のロードリー伯爵との会話が、思い出すともなく思い出された。


 ――シアラン王子か。


 ベルリアの王位を継承すべき王子、しかしその正体は全くよくわからない。人々に、特に権力に近い高位の貴族たちにあなどられているのは確かだ。しかし王の息子と生まれて、ここまで軽んじられるのは何故だろう。


 そして、実際の王子はどんな人間なのか。王子と近しいユールやアルティラは、王子のために人生をかけたのだ。王子の身分に生まれただけのぼんくらが、たとえ身内のようなものとはいえ、彼らにそこまでさせられるだろうか。


 初夏も近付く春の午後の穏やかな日差しが、頭上の若葉の緑を明るく透かしている。見るともなく眺めながら、ミカはぼんやりと考えを巡らせた。正直、ベルリアの王位に誰が就こうと、彼にも、彼の属する教会にもどうでもいいことだ。ベルリアがこれまで通りスワドの教えを信奉する国である限り、誰が王であっても問題はない。


 ただ、それを決めるのに、大規模な流血が生じるのは望ましくない。俗世が安定して栄えてこそ、教会の繁栄があるのだから。


 ふと、ある考えが浮かんだ。彼にはもちろん、ベルリアの王を決める権限などないが……それでも、かなり近いことができる。


 ただ、彼一人でではない。よくできたイカサマには、何と言っても協力者が必要なものだ。


「おい、サナン。ちょっと頼みがあるんだけど」


 立ち上がって、作業中の相手の元へ向かう。呼ばれたサナンは、半ば反射的にぱっと立ち上がったが、『頼み』という言葉を聞くと、いくらか表情を強張らせた。物言いたげな目で、唇を噛んでぎゅっと引き結ぶ。ミカは思わず笑った。


「ああ、違う違う。これ以上、おまえに何か話せとは言わねえよ。ただ、ちょっと手を貸してほしいんだ――おまえと、おまえのじいさんの最高傑作に」




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