表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/81

63. フラーレンドルナ

「――じいさんが」


 突然、サナンが口を開いたので、ミカははっと視線を戻した。月明かりの下、サナンは再び顔を上げて、じっと彼を見つめている。依然として感情の窺えない顔、しかしその瞳には、これまでにない光があった。ためらいがちな、迷いの色――それと同時に、決然とした意志の輝きも。


「じいさんが、きにいってた。あれは、じいさんのはな」


「じいさんて……おまえのじいさんって人か。ここで働いてたっていう」


 確かロリックという名前だった。サナンを親戚として引き取り、ここで面倒を見ていたという話だが、修道院で働く他の人間には半信半疑に思われていた。人付き合いが良くなくて、誰とも深くはかかわらず、真面目だが偏屈な農夫として一生を終えたと聞いている。ありがち、とは言えないが、世間にあり得ない人種でもない。際立って奇妙だとか、不審なところはない来歴。


「じいさんが、つくった」


「は? 作ったって……」


「はなとはなで、たねができる。たねは、くさやきのこども。めすのうえにおすがのると、こどもができるのとおなじ」


 だが、続けてサナンが伝えたその男の言葉は、およそ尋常のものではない。ミカは愕然として、とっさに言葉を失った。その言葉は一体何を示しているのか――未だこの世の誰も知らない、神の摂理の一端ではないのか。


 植物が実を結び、種をつけるということは誰でも知っていることだが、それがどういう仕組みで起きているのかは、実はまだはっきりとわかっていない。種をつけるためには花が必要らしいが、花には雄も雌もない。


 人間は気が遠くなるような時間をかけて、様々な作物を手に入れたが、それは自然の変化が生み出したものを、見つけて選んで増やしたものだ。植物の形質を、人が選んで生み出すことはできない――『花を作る』なんてことができるはずはない。


「はなは、おすもめすもいないけど、つがいがいればこどもができるのはいっしょだって。いいうまとか、うしをうませるのといっしょ。それで、いっぱい、たねをとった」


 家畜の交配は、古くから行われていることだ。よい性質を持った個体を選んで掛け合わせ、次世代に更によい性質を得ようとする。そうして、より頑健な馬だとか、より乳を出す牛だとか、より毛の多い羊などを生み出してきたのだ。


 ――植物の……花の、交配だって?


 そんなことが本当にできるものだろうか。しかし、サナンの様子はどう見ても、嘘を言っているものではない。


 大体、この子にこんな嘘をつく理由はないのだ。むしろ、面倒なことになる可能性の方が高い。『奇蹟の薔薇』を人の手で生み出したなんて、正気を失っているのでなければ山師の言い分だ。その上、薔薇は教会の外では禁じられた、売って歩けない木なのだから、そんなことを吹聴してもいよいよ利益にならない。


 実際、サナンもそのことはよくわかっているのだろう。常から感情を露わにしない子供の表情が、月光の下でわずかに強張って見える。


 これは、ずっとこの少年の秘密だったのだと、ミカにはわかった。サナンと、彼の『じいさん』だけの秘密――偏屈者の老人と、口のきけない薄のろの子供と、世間からは後ろ指をさされてひっそりと生きていた二人が密かに持っていた、世人に知れない宝物のような秘密。


「……『奇蹟』を起こす花なんか、どうやって作るんだ。そもそも、何でそんなもの作ったんだ?」


 リドワース修道院の『奇蹟』の薔薇は、変事を予言する。天災、好天、あるいは国王の死などというものさえ知らせるように、何度でも花を咲かせる。どうしてそんなことができたのか。


「しらせてない」


 サナンの答えは簡潔だった。


「なにもしらせてない。ただ、さく」


「ただ咲くって……何度もか? 一年中?」


「あたたかければ。とおいくに、そういうばらがあるって、じいさんいってた。みなみのくには、ここよりずっとあたたかくて、いちねんじゅうずっと、いろんなはながさいてる、らくえんのようだって」


 大陸の南方、年中雪が降らず氷も張らない地域では、確かにそうした性質の花が何種も知られている。とはいえ、そうした植物は極端に寒さに弱く、ここより随分温暖なはずの聖都スハイラスにおいてもまともには育たない。珍奇なものを愛好する好事家の貴族などが、専用の設備と暖房費をかけて、何とか一株二株生かしているというようなものだ。そんな話を聞いたことはないが、もし年中咲き続ける薔薇があったとして、それがこのベルリアで生きていけるものなのか。


「じいさん、わかいころに、たねもらった。はな、さくけど、さむくてかれる。だから、かれないのつくった。さむくてもかれなくて、あたたかいあいだはずっとさいて、きれいなばら」


 手に入れた種から咲いた元の花は、子供の手のひらに収まるほどの大きさで、どちらかといえばこの辺りでも雑草として自生する茨に近い姿だったという。修道院の雇われ農夫という利を生かして、農夫ロリックはそれを、教会が独占している美しい大輪の薔薇と交配していった。もちろん、秘密裏に――修道院の農夫として、薔薇の木の世話をすることには誰も何も言いはしないが、それを私用に利用していると知られれば、どんなことになるかわからない。


 ある意味で、薔薇を禁令の花とした教会の判断は正しかったとも言える。農夫は薔薇に取りつかれたのだ。世間に背を向け、彼が発見した交配の技とともに、不思議な薔薇の秘密を頑なに守り続け、その一生を、あるはずのないものに捧げた。四季を問わず、何度でも咲く美しい薔薇。


「フラーレンドルナは、なんどもさく……あめで、はっぱがびょうきになっても。てんきがよければ、もっとさく。あたたかいふゆも」


 洪水が起こるほど雨続きで、病気が発生するときでも咲くのだから、畑が豊作に恵まれる天候なら、いよいよ絶好だ。王の死を予言したわけではない。たまたま昨年の冬が、この薔薇が好むほどに暖冬だったのだ。


 すべては偶然――だが一方で、それでも間違いなく奇蹟だ。


「『花の聖女(フラーレンドルナ)』?」


「なまえ。じいさんがつけた」


 ベルリアを含む西方地域一帯の古い雅語である。やってのけたことを考えれば当然かもしれないが、どうやら本当に、そのロリックという農夫はただの素朴な農夫ではなかったらしい。ミカは半ば感心し、しかし半ば呆れた。孫として面倒を見ていた子供に対しては、名前を呼ぶなど思い至りもしなかったくせに、花にはなかなか振るった名をつけたものだ。


 とはいえ、当の子供は、その扱いを何とも思っていないようだった。依然表情も変えず、淡々と続ける。


「でも、じいさん、ちょっとしかみてない。はるがくるまえに、しんでしまった」


 その視線が、聖堂と反対側の暗闇へ向くのを見て、ミカは子供の言わんとすることを察した。聖堂の向こう側には墓地がある。生前、修道院へ貢献があった者や、修道院の関係者たちが埋葬されている――農夫ロリックも、今はその地面の下だ。


「それで、ここに木を植えたんだな――ここなら、墓からよく見える」


 東向きの壁に這い、朝日を浴びた薔薇の木は、盛りにはさぞ壮観だっただろう。若い緑の葉が明るく輝き、未知の花が咲いたなら、どんな風に見えたことか。ミカには想像すべくもないが、きっとそれは何にもまして、死者の魂を慰める光景に違いなかったはずである。


 しかし、その風景を見ることは、もうない。


 黒く焼け焦げた薔薇の木の側に立って、言うべきことは言い終えたというように、サナンは口を閉じた。









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ