55. 暗殺計画
「知っておきたいとは思われませんか? この馬鹿げた暗殺計画の失敗の裏に何があったのか――あなたに死んでほしいと思っているのが、本当にこの男一人だけなのか」
ロードリー伯爵は口を閉ざした。一瞬前までは怒りに満ちていたその目に、新たな光が宿っている。冷たく、警戒も露わな猜疑の眼差しで、伯爵は周囲を眺め回した。今や打ち静まり、誰一人身動ぎさえしない、凍りついた聖堂の中を。
「あなたは……パトレス・ミカ、それが誰だかわかっていると言うのか。これは、王家の差し金ではないのか?」
「ベルリア王家は、今やこの国で、最もあなたを必要としている勢力でしょう。あなたの力と影響力を――あなたが彼らの権威と地位を必要とするのと同じように。だから、もちろん違います、こんな都合の悪いことをする理由がありません」
「では誰だ。他に何者が、私に消えてほしがっているのだ」
険のある、半ば恫喝するような問いを受けて、しかしミカはつい、声に出さずに笑ってしまった。その声音には同時に、心底困惑する響きも混じっていたからだ。どうやらロードリー伯爵には、王家に対する野心の他には、己の中に命を狙われそうな心当たりなど全くないらしい。怯える様子がないのには感心するが、これでは、知らず敵を作るのも無理はない。
「では、順を追っていきましょうか。ここにいるユールが、この修道院に入ったのはひと月と少し前。あなたを殺すためだけに、わざわざ王都を離れてここまでやって来たのです。ただ、暗殺者としては無能の極みなので、失敗に失敗を重ねただけでしたが。理由は?」
最後は、足下のユールに向けたものだ。しかし、未だ床に組み伏せられているユールは、まさか話を振られるとは思っていなかったらしく、え、と曖昧な声とともに顔を上げた。ミカは遠慮なく、相手の肩口をつま先で小突く。
「え、じゃねえよ、おまえの話をしてんだよ。とっとと言えよ馬鹿、理由くらいあるんだろうが――ロードリー伯爵に、この世にいてもらっちゃ都合が悪い理由がよ」
それでも一瞬、ユールは困惑したようだった。何か言いたげな様子でミカを見上げるが、やがて思い直したように表情を改め、硬い声音で答える。
「……ロードリー伯爵は野心家です。今、王家に近付くのも忠誠からではなく、野心あるのみです。彼は王家を助けはしない。どころか、その力を奪おうとさえしている。アルティラ王女殿下と結婚し、シアラン王子を廃して、自らが実権を握るつもりなのです」
「そんなこと!」
意外にも、反論の声を上げたのはアルティラだった。美しい王女は、ユールを見据えてきっぱりと言い放つ。
「そんなことにはならないわ――そんなこと、させやしない」
王家の存続、兄のシアラン王子を正当な王として立てることこそ彼女の使命である。そのために、王家の娘の結婚としてはかなり条件が悪いのも顧みず、この男に嫁ぐと決めたのだ。ロードリー伯爵の動きに対する危惧は、彼女の働き、力量に対する不信も同然だ。看過できない。
そうした王女の気持ちはよく伝わっているのだろう、ユールは彼女から目を逸らした。アルティラの方は見ずに、それでも言葉を続ける。
「……その野心のためになら、どんなことでもする。既に王宮にさえ、伯爵の手の者が入り込んでいます。ですが一方で、同時に南部のエルトワ公へも密かに人を遣っている。情勢次第では、王家からエルトワ公へ乗り換える準備があるのです。到底、恃むに値する人ではない」
「でたらめを!」
ユールの言葉が終わるより早く、伯爵が吼える。しかしその怒声に、純粋な怒りだけではない、どこか不自然な響きがあるのを、ミカは聞き逃さなかった。
ふと脳裏に、この修道院へ着く前のことが蘇る。酒場でたむろっていた傭兵くずれどもからかっぱらった、ロードリー伯の印章入りの封書は、まだ彼の荷物の中にあるはずだ――彼が不在だったこの数日の間に、荷物ごと処分されたりしていなければ、だが――。どういう種類の厄介事が起こるかわからなかったので、未だに封は切っていないままだったが、思いがけず中身の推測が立つことになるとは。
「この小僧が、根も葉もない噂で、この私を陥れようというのか。下らぬ讒言こそ、我が王家への不忠と言うものだ! この場で禍根を断ってくれる」
憤った気色もいささかわざとらしく、ロードリー伯爵は再び剣を持ち上げる。もちろん伯爵としては、ここで『禍根を断って』おきたいに違いない――激情に駆られて、あるいはその振りをして、この場で不都合な口を封じられればそれが一番だからだ。
「ですが、それでは根は残りますよ。このユールは、ただの枝葉に過ぎません。悪意の水を吸い上げ、枝葉に注いで育てた根は別のところにある」
「何だと」
「考えてもみてください。もし彼が一人であなたを害することを思いついたのなら、何も修道士になどなってみせたりはしなかったでしょう。お気づきの通り、単純な性質の人間だ。しかもこれだけの腕がある。妙な謀など巡らさずに、まっすぐあなたを刺しに行ったに違いありません。ロードリー伯爵家に縁の深い修道院に身を隠し、油断して訪れるあなたを狙おうなんて思いつきもしませんし、それに第一、そう簡単に実行はできません。修道院は、入りたいと思って勝手に入り込める仕組みではないですからね――修道士となるには、必ずその修道院長の許可が要る」
どこからか、はっと息を呑む音がする。その場にいる全員の視線が、一点に集中した。式を執り行うべく祭壇前に立つイアルト副院長を除けば、最も祭壇に近い位置に立つ者を。
「な……! わ、私は……」
言いかける言葉が出てこない。アルヴァン修道院長は、今や顔色を失っていた。儀礼用の修道服の下で、体が震えているのが見て取れる――作りこそは他の修道士と同じ、くすんだ色の長衣だが、生地に上質な光沢があって、祭壇の上から降り注ぐ光の中では、微かな動きもはっきりと目につくのだ。遊び慣れた洒落者らしい振る舞いが、裏目に出た形だ。
アルヴァン院長には、可能なはずだ――不仲の兄を陥れるべく、その手の内をユールに漏らす。彼の殺意を知りながら、むしろ利用するつもりで、自分の修道院へ修道士として迎え入れる。
「アルヴァン! 貴様!」
ロードリー伯爵が怒鳴ると、アルヴァンはいよいよ動揺したようだ。呆気に取られる修道士たちの目も憚らず、半ば悲鳴のように叫ぶ。
「知らない! 私は何も知らない! そいつが勝手にやったことだ! 私は何も知らず、ただ見習い修道士として受け入れただけだ。その男のそんな非道な計略なんか、わかるはずもない! そいつは狂人だ、おぞましい背教者め!」
だが、誰が狂人と思われているかは明白だ。一瞬、辺りには恐々とした沈黙が満ちた。ロードリー伯爵でさえ、渋い表情のまま、次の怒声を探しあぐねている風である。変わり身の早さに唖然として、というよりは、仮にも修道院長という立場にある者として想像がつかない醜態に、誰もが反応できないでいる。
ミカはユールを見やった。目を丸くしているのは他の者と同じ、しかしその表情には、単なる驚きだけではない影がある。一瞬、アルヴァンを見つめる瞳に鋭い光が宿ったが、すぐにかき消えた。驚愕、怒り、痛み――諦め。
「ユール」
困惑の沈黙を破り、ミカは声をかけた。我に返って彼を見上げるユールに問う。
「アルヴァン院長は、ああ言ってるが。何か、言うことは?」
答えには少しの間があった。見据えるミカの目から顔を背けて、ユールはため息とともに、いいえと答える。
「何も、ありません。……院長の仰る通りです。院長は何もご存じなかった。ずべて、私が一人でしたことで……」
「馬鹿」
だが、答えを最後まで言い切ることはできない。皆まで言う前に、ミカが再び拳骨を落としたからだ。鈍い音が高い天井に響くのにも構わず、ミカはもう一度膝をつくと、ユールの襟首を引っ掴む。
「いいか、もうこれ冗談じゃねえんだぞ。その足りない頭、ちっとは使って考えろ。その答えは、一体誰のためになる。その答えで、おまえが一番大事なものは救えるのか?」
「…………」
「いい恰好しようとすんな。目に入るもの全部救おうとしたって、結局何にもならねえんだよ。おまえが救えるものはただ一つ、おまえ自身の魂だけだ。人の魂は、神の与え給うた奇蹟だ。何があっても傷つけてはならない。もし、世界を救おうと思うのなら――他の誰かを助けようと思うなら」
「パトレス・ミカ……」
「――立て」
一声、命じる。主の命でユールを床に押さえ込んでいる男たちに目をやると、まるで気圧されたかのように、抵抗もなく退いた。
久しぶりに両足を踏みしめて、ユールはそろそろと立ち上がる。その姿をまっすぐに見据え、ミカはきっぱりと告げた。
「心せよ、おまえは神の前にいる。彼を偽ることはできない。嘆願することも、貶めることもできない。できるのは、ただ真実を話すことだけだ。それだけが、神の国へと至る唯一の道だ」
「…………」
「もう一度訊く。何か言うことはあるか――おまえがどうして今、ここにこうしていることになったのか」




