37. この世で唯一絶対の正義
「でも……その前に、ユールと話をしたいの。彼がどうして修道院なんかに入ったのか。何も言ってくれなかった、突然行ってしまって……だから、今、本当のことが知りたいの」
「あなたに告げられることではなかったから、黙って去ったのではありませんか。あなたの決意と覚悟を、よくわかっていたからこそ」
ユール自身が、彼女への想いが断ち難いという以上に、王女に余計な未練を残したくなかったからではないのか。政略で嫁ぐ王女にとって、恋しい男の面影など、存在するだけで邪魔なものだ。いっそこの世の中から、姿を消してしまった方がいいと思い詰めてのことではないか。
「あり得ない!」
だがその推測を、王女は間髪入れず一蹴する。苛立たしげに頭を振ると、強い口調で言い切った。
「そんなこと、絶対にあり得ないわ。私の知っているユールは、そんなことをする人じゃない」
「どうしてそう言い切れるのです? あなたは彼を好きだった……おそらく、彼も同じだったのでしょう。あなたがこの地でロードリー伯と結婚することで、彼に希望はなくなった。せめてできることは、あなたの前から姿を消すことだけだと考えたとしても、それほどおかしなことではないのではありませんか」
「おかしいわよ! だって彼には、まだすることがあったのだもの――王に剣を誓った騎士として、逃げ隠れするなんて許されない」
王に忠誠を捧げ、その身を守ると誓ったのだ。であれば、行く先は王の戦場か、そうでなければ王の側近くしかあり得ない。こんな辺鄙な修道院にこもって、残りの人生をただ無為に浪費していくなんて、騎士たる身にはあってはならない生き方だ。
「ユールは、私の結婚には反対だった。きっと、いくらかがっかりしただろうし……もしかしたら、そんな選択をした私に失望したかもしれないわ。もう会いたくないと思われても、それは仕方のないことだと思う。でも、だからってこんなことはしないわ。たとえ、私に対する気持ちがどうでも、彼が騎士の剣と、シアランを捨てるはずがない」
きっと、何か理由があるはずなのだ。どうしてもそれを質さなければならない。
だから、どうか彼に会わせてほしいと嘆願されて、ミカはため息をついた。正直に言えば、関わりたくない。政略結婚で嫁ぐ王女に、その想い人を引き合わせるなんて、どう考えても問題を引き起こすだけだ。このまま何もかも忘れて、なかったことにしてしまうのが一番だとわかっているのだが、しかし必死の面持ちで彼を見つめるアルティラを前に、そんなことはとても言えそうになかった。
……それに、更に自分に正直に言えば、ミカ自身、いくらか気をそそられるものを感じてもいる。あの温和で感じのいいユールが、かつては剣など振り回していたという意外さに加え、その行動には確かに奇妙な点がある。天真爛漫で、陰謀どころか、他愛のない嘘でさえつけそうにないあの青年が、一体何を隠しているのか。
「……先ほども申し上げた通り、私はここでは何の権限もありません。フィドレス・ユールに、あなたと会うよう指示することはできませんし、無理に修道院の外へ出すこともできません。ですが、できるだけのことはやってみましょう」
「ありがとう!」
ミカの言葉に、王女は俄かに顔を輝かせて言った。元々の美しい顔立ちが、喜色溢れる表情を浮かべると、まさに光り輝くようだ。
「あなたのお名前を出すと、まず近寄ってはこないでしょうから、何食わぬ顔をしておびき寄せるしかないでしょうね。ユールは剣が使えるんでしたね、それは厄介だな。暴れられると困るから、よく準備をしておかなければ。いつでも拘束できるような……」
だがその顔も、ミカが言葉を続けると途端にその輝きを消してしまう。一瞬、その美貌には似つかわしくないぽかんとした表情で、口を丸く開いた王女は、すぐに我に返ると声を上げた。
「待って! 何の話をしているの。罠で獲物を捕まえるんじゃないのよ!」
「嫌がることを無理強いするとき、人間も獣と同じです。どこかに追い詰めて逃げられないようにしてから、抵抗を封じておかないと、話なんかできませんよ」
「…………。あなた、その顔でよくそんなこと言うわね」
ミカとしてはかなり真面目に言っているのだが、どうやら王女にはあまり感銘を与えなかったようだ。顔をしかめてそう言われ、ミカもまたむっとした。これが現実的な対処というものではないか……大体、今、顔が関係あるのか?
「とにかく、そこまではしなくていいわ。ユールは暴れて人を傷つけたりしないし、私の顔を見るなり走って逃げたりもしない。ただ、彼を修道院から出して、私の前まで連れてきてほしいだけなの」
罠とかそういうのは要らないから、と念を押され、ミカは渋々頷いた。ユールが、本当に王女の言う通り腕が立つ騎士だったのなら、何の準備もなく彼を王女に引き合わせるのは心許ない。逆上して、襲いかかられたらどうするのか……そのときは王女を盾にしよう。
「では、明日、もう一度町へ行く用事があると言ってみましょう。ユールに他の仕事が入る前、朝課の後がいいでしょうね。少し早いですが、それで構いませんか」
「ええ!」
再び、王女は明るく答えた。たとえ彼女が高貴な身分であろうと、心に誰を想っていようと、その笑顔が見る者の目を奪い、釘付けにする力を持っていることは間違いない。
元気よく踵を返し、軽い足取りで去っていくほっそりとした後ろ姿を見送りながら、ミカは頭を振った。
「ああ……何だあのほっそい腰、たまんねえな。ユールの奴、マジであれに手も出さずにいたのか? そんなことができるなら、修道院に入るまでもねえだろ。そんじょそこらの修道士どもなんか、まとめて罪に落とす体つきだあれは……」
ふと視線を感じて、ミカは足下を見た。ようやく咥えていたパンを食べ終わったサナンが、不思議そうに彼を見上げている。ミカは、今度は遠慮なく足先で小突いた。
「何だよ、おまえだってぐっとくるだろ。あのでかい胸とか、尻とか見てたら」
「ぐっと」
「わかんねえのかよ。だめだな。もっと大きくなれ」
子供の痩せた姿を見下ろす。年齢的にはそろそろそういう衝動に覚えがあってもいいはずだが、やはり発育が良くないのかもしれない。ミカは隣にしゃがみ込むと、目を合わせて言い聞かせた。
「いいか、おまえはそういう馬鹿な真似をするんじゃねえぞ。ああいう女を見つけたら、とにかく押して離れるな。何でも話を聞いてやって、ちょっと喜ぶことをしてやったら、あとでとんでもなく気持ちのいい思いをさせてくれるもんだ。こんなところで暮らしてたって、おまえは修道士じゃないんだから、いくらでもいい女を捕まえていいんだからな」
「ミカは」
「残念ながら聖職者だから、指をくわえて見てるだけだくそったれ」
既に姿の見えなくなった王女が去った方向を、それでも物欲しげに見やって、ミカはため息をついた。自分でやったことだから仕方がないのだが、一体何だって司祭などというものになってしまったのだろう。ああいう素晴らしい肉体、柔らかな肌がもたらす快楽を、未来永劫捨ててしまったのだ。それも、目が眩むほどの大金と引き換えに、ということであればまだわかるが、教皇庁で薄給でこき使われる今と引き換えたのでは、本当に割に合わない。
彼の横で、サナンも同じ方向を見つめた。真面目な顔で、復習するように呟く。
「でかいむね、ぐっとくる」
「そうだよ。神の定め給うた、この世で唯一絶対の正義だ」
ミカはぼんやりと応えた。
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