36. 新米修道士の正体
「もう一つ、あなたにお願いしたいことがあるの――昨日、あなたと一緒にいた修道士のことで」
そしてそれこそが、彼女がここへ来た本当の理由だ。即座に理解して、ミカは平静な表情を保った。ユールは、王女と知らぬ仲ではないと言った――だがそれはもう、彼には無縁のことだと。
「彼と話をしたいの。どうにかならないかしら。あなたは彼の上役なんでしょう」
「違いますよ。私はこの修道院に属していない、ただの客のようなものです。ここの修道士に、何かを指図する権限はありません。フィドレス・ユールは、私の案内役としてついてくれているだけです」
「でも、あなたが言えば、彼はついてくるわけでしょう。彼を修道院から引っ張り出して。そうすれば、私が直接話せるわ。あの中にいて、私を無視していられなくなる」
ということは、既に彼女は、修道院にユールへの面会を申し入れて、断られたに違いない。朝、ミカと話したときのユールの態度からすれば、それも不思議はない。
――俗世のことです。何もかも、もう私とは無縁のものです。
「修道士は、俗界のことから離れて生活するのが基本です。本人が拒否するのに、俗人と接するよう強制することは、彼の修道院長ですらできないことだ――ましてそれが、彼が今も慕わしく思っているもの、彼を俗世に引き戻す力が最も強いものなら、なおのこと」
「…………。ユールが……そう言ったの?」
返ってきた声音は、意外なほどに弱々しく頼りない。ミカは驚いて相手を見やり、そこで見た表情に更に唖然とした。
先刻までの自然な自負にあふれた雰囲気はすっかり消え、王女は心許ない様子で、落ち着かず両指を絡めている。白い頬には朱色が走り、美しくも強い印象を与える美貌に、思いがけない柔らかさを加えていた。恥ずかしげに伏せた目は、しかし生き生きと煌めいて、ミカに次の言葉を乞うている――彼の言葉ではなく、彼女の心に想う人の言葉を。
――!? そういうこと!?
ミカは昨日、馬車の中で顔を合わせた二人の様子を思い返した。互いを意識し合っているのは明らかなのに、言葉も交わさない緊張感のある沈黙は、傍目にも何らかの関係が推測できるものだったが……まさか、こういうことだとは。
――えっ、ってことはユールの奴、王女を振って修道院に入ったってことか? あんな無害そうな顔で、とんでもねーもんを引っかけて……っていうか、マジでこんな美人振ったの? もったいな! これもう、触れなば落ちんって言うか、とっくに落ちてるって言うか、何でもやらせてくれるやつじゃん。修道院なんか入ってる場合か? 馬鹿なのか?
「いえ……直接、彼からそう聞いたわけではないのですが」
とはいえ、もしユールが本気で彼女を拒絶する気であれば、変に期待を持たせるのも良くない。ミカがそう訂正すると、王女は目に見えてしょげ返り、ますますミカを深く驚かせた。毅然とした、誇り高い美しい王女の姿は既にない――これはただの、幼い初恋を抱えた、傷つきやすい少女の姿だ。
だが、アルティラ王女は、既にそうあることを許されてはいない――一人の女として、別の男に嫁ぐためにここへ来たのだ。
「ユールに会って、何をお話になるおつもりなのですか。彼は、以前王宮に仕えていて、あなたのことを知っていると言っていました――でもそれは、既に彼とは無縁のものだとも」
できるだけ柔らかい口調を心がけて言ったのだが、それでもその言葉が与える衝撃を減じることはできなかったらしい。王女は小さく息を呑むと、唇を噛みしめる。
そのまま俯いて泣き出すのではないかとミカは思ったが、しかしその予想は外れた。王女は逆にきっと顔を上げると、憤りの表情で彼を睨んだのだ。
「そんな勝手なこと、絶対に認めない。少なくとも、彼は私たちに説明するべきだわ。一体何を考えているのか――いきなり全てを放り出して、私たちに一言も言いもしないで、修道院に入るなんて、どうしてそんなことができたのか」
――『私たち』
恋しい相手の裏切りを責めるには、それは奇妙な複数形だ。ミカの沈黙に、先を促す気配を感じたかどうか、王女は苛立たしげに大きく息をついてから尋ねる。
「……あなた、彼から何か聞いた? ここで修道士なんてものになる前、彼が何をしていたのか」
「いいえ、ほとんど何も。しばらく王宮に勤めていたとだけは聞きましたが」
「しばらく、ね。そう、しばらくの間だわ――私たちが、ほんのよちよち歩きの子供だった頃から」
正確に言えば、よちよち歩きだったのは私だけかもしれないけれど、と、王女は面白くもなさそうに笑った。
「ユールは、私たちと一緒に育ったの――私と、兄のシアランと一緒に。エダル侯爵家の末っ子で、兄と歳が近かったから、元々は遊び相手として王宮に連れてこられていたの。そういう子供は他にも大勢いたけど、ユールは特に兄と気が合ったみたい」
――侯爵家! やっぱり、クソいいところの坊ちゃんだったか……。
ベルリアの内情には詳しくないから、そのエダル侯爵家がどの程度有力な一門なのかはわからないが、王宮に伺候して、子供を王子王女に近付けられるというだけで、かなりの名家なのは間違いない。道理で浮世離れしているわけだ。
自分の推測が当たったことに、密かに満足を覚えるミカの前で、王女は更に話を続ける。
「大きくなってから、ユールは騎士になったわ。王室付きの近衛隊に所属して、ずっと王宮にいたの」
「騎士?」
だがそれは意外なことだ。思わず訊き返したミカに、王女はそれまでの強張った顔を少しばかり緩めて、面白がるような笑みを閃かせた。
「あら、意外? 本当よ。それも肩書だけじゃないわ、本当に腕が立つの。王宮の近衛隊は貴族の子弟ばかりで、名誉職みたいなものだから、ユールは実際の警備任務がある警備隊の方に行きたがってたんだけど、お父様の侯爵が許さなかったのよね」
「それは……あまり想像がつきませんね」
あの穏やかな、おっとりした小柄な修道士が、本当に剣など振り回すものだろうか。ミカは思い浮かべてみようとしたが、どうにもぼんやりとした像にしかならずに諦めた。確かに、言われてみれば俊敏そうなところはあるし、体力がある風でもあったが……。
「でも、近衛隊も悪くないって言ってたわ。いつでも私たちに会えるし……もし、万一何かあったとしても、側にいれば必ず私たちを守れるからって……そう、言ってくれていたのに」
けれど、その言葉は反故にされた。ユールは王宮を出て行き、このリドワース修道院で修道士となる道を選んだのだ。彼女に何も告げることなく。
「何か、きっかけのようなものがあったのではありませんか? 彼が俗世を離れようと決心するようなことが」
「そんなこと、あったら私だって気が付くわ! 本当に、思い当たることなんて何も……」
「――あなたが、ロードリー伯の元へ嫁ぐことについて、彼と話しましたか?」
王女ははっと息を呑み、口を閉ざした。『思い当たること』にようやく思い当たったようだ。
そう考えれば、一応の筋は通る、とミカは思った。アルティラ王女が彼を想うのと同じように、ユールも彼女を想っていたのだとしたら、この結婚話が痛手でないはずはない。叶わぬ恋と一緒に、俗世ごと全部捨てて、何もかも忘れようと考える。若い修道士志望にはありがちな動機で、特に変わったことではない。
ただ、一つだけ謎は残る――もし彼女を忘れるつもりなら、どうしてわざわざ、彼女の嫁ぎ先の地にあるこのリドワース修道院までやってきたのか。
「ユールは……賛成してはくれなかった」
やがて、王女は沈んだ声で言った。
「私があの男と結婚なんかする必要はないって。でも、彼も状況はよくわかっていたわ。私たちには力が要るの。南部のエルトワと、北のモーブル伯、あの無礼者たちは兵を起こして、シアランに王位は認めないと言った。これ以上の反逆者は必要ないけれど、反逆に足る武力は必要なの――私がロードリー伯と結婚しない理由はないわ」
なるほど、王家は王家で、ロードリー伯の玉座への野心は見抜いているわけだ。その上で、その野心に枷を嵌め、その力だけを利用する策を考えた。美しく高貴なアルティラ王女は、まさに絶好の枷なのだ。まあ、ロードリー伯の反逆心と王女の美しさ、どちらが優勢に立つかは、やってみないとわからないが。
それにしても、とミカは内心で顔をしかめる。合理的と言えば合理的な戦略、しかしそんなことで、この若い王女の恋は絶たれ、未来は定まってしまったのだ。政治というやつは、何とも度し難いものだ。
「それは、誰のお考えですか。兄君のシアラン王子ですか?」
「ええ、そうよ。……言っておくけど、彼が無理強いして私をここに来させたとは思わないで。実際ね、私はまだシアランに怒っているの。彼があんなにぐずぐずせずに、さっさと考えていることを白状していたら、もっと早く動けたはずなのに。結局、私が胸倉を掴んで問い詰めるまで言わなかったわ……私の気持ちなんか、この際構っている場合じゃないっていうのに」
王女は言葉を切った。少し言い澱んで、深く息をつく。けれどすぐに覚悟を決めたように、毅然と顔を上げた。
「私が……ユールを好きなのは確かよ。でもそれは、私の果たすべき義務には何一つ関係のないことだわ。私は王の娘として生まれてきた。私の家族が生き延びるためには、この国に乱などあってはならない。だから、それを防ぐためには、どんなことでもする用意がある――それが今、このときだというのなら、するべきことをするまでよ」
「…………」
「でも……その前に、ユールと話をしたいの。彼がどうして修道院なんかに入ったのか。何も言ってくれなかった、突然行ってしまって……だから、今、本当のことが知りたいの」




