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22. 薬草園の秘密

「ちび! おい、どこだよ」


 突然、叫ぶ声が聞こえて、ミカははっと我に返った。


 見れば、薬草園の入り口に修道士が立っている。ミカの方を何者かと不審そうに見やり、しかしそれが、ここ最近院内で話題の、教皇庁から派遣されてきた司祭だと気づいて唖然とした顔になる。司祭の身の証とも言うべき法衣を脱ぎ捨てた姿をまじまじと見ていたが、反対側の畝で、本来の尋ね人である少年が身を起こすと、自分の用件を思い出したらしくそちらへ向かった。いつの間にかミカの側を離れて草取りをしていた子供に、何やら話しかける。


「……だからさ、グロウターのばあさんだよ。昨日は、より咳がひどくって、眠れなかったらしいんだ。この前の薬がまたほしいって言われたんだけど、何とかなりそうか?」


 子供は微かに首を傾げる。わかったのかわかっていないのか、はっきりしない仕草だが、そのままふらっと森の方へと歩いていく。ミカは修道士へ近づくと、声をかけた。


「何かあったのですか?」


「ああ、司祭様。いえ、何も変わったことではありません。いつもの病人なのです」


 まだ若い、そばかすの痕の残る修道士は、どぎまぎしたように答える。教皇庁の司祭に対する緊張と、抑えきれない好奇心は明らかだが、しかしその態度にはそのせいだけとはいえない、どこか気まずそうな気配があった。そもそもいつもの病人というなら、必要なものは施療所に常備されているものではないのか。


「施療所の薬草は、その……勝手に持ち出すことはできないので」


 重ねて問うと、修道士はいよいよ落ち着かない様子になった。とっさに答えた自分の言葉が、なおも奇妙に聞こえたことは自覚したのだろう。促すミカの視線の先で、更に数瞬迷った後、ついに諦めてため息をついた。


「……今、来ているのは、グロウター家の者です。あそこの主の、年取った母親が、ここ何か月かずっと良くなぅて。体が弱っていて、冬のはじめに引いた風邪を追い出せないみたいで、咳が抜けずに苦しがっているのです。こちらからも何度か往診に出向いて、薬も処方したのですが、あまり芳しくありません」


 施療所の人員の中では若いこともあって、病人の家に出向いて薬を届けたり、定期的に様子を見るのは、この若い修道士の務めらしい。グロウター家にも何度も出向いて、そのたびに老婦人の病状には心を痛めた。


「何か、できることはないかと思って……それでここにきて、あの子に相談したんです」


 実のところ、そうしたことははじめてではないのだと、彼は言った。長く薬草園を管理してきた者たちには、修道院や教会にはない、別の知識があるらしいのだ。


「あの子の、というよりは、亡くなったあの子の祖父が教え込んだもののようですが。あのように、普段の生活には少し……不自由する子なんですが、この畑と薬草のことに限れば、知らないことはないのです」


「それは素晴らしい。ですが、それならなおのこと、その知識は生かされるべきではないのですか。亡くなった前任者の知恵が、あの子に引き継がれたのは僥倖です。完全に失われる前に、施療所全体で共有すれば、この先も長く助けになるのではありませんか?」


「私は、そう思うのですが……でも、責任者のフィドレス・ヘルマーは、お許しにはならないのです。無学な素人の言うことを真に受ければ、逆にひどい病気を引き起こしかねないと仰って……。薬草は元来危険なものです。どんな毒が悪さをするかわからない、ある人間には何ともなくても、別の人間を殺すことだってある。『薬事総覧』や『本草訓』に書かれている使い方以外は、するべきではないと」


 『薬事総覧』は教皇庁の、『本草訓』は、百年ほど前にある国でまとめられた、いずれも権威ある指南書だ。これらに書かれていることは、長い間大陸中で行われてきたから、一定の効果と安全が確かめられている。医術に携わる者には基本であり、これに従って悪いことはない。


 しかし、実際に目の前で苦しんでいる病人を前に、他に救える方法はないだろうかと探究する気持ちはあってもいいはずだ。まして既に処方してしまって、少なくともその人間には副作用もなく効き目があるとわかったなら、何も指南書通りでないからと取りやめることはないだろうに。


 まあ、ある意味、典型的ではある。目の前の人間ではなく教義を、その苦しみより、紙の上の文字列を救おうとする者はどこにでもいるものだ。


「……では、こちらの施療所では、教皇庁の指導通りの施術が行われているということですね。厳格に、間違いなく」


「は、はい! それは、その通りです! 誓って何も、神の法に反するようなことはありません」


 ミカの問いかけに、若者は慌てたように答えた。今更ながらに、目の前の若い司祭が何者なのか、自分が話してしまったことに何か問題がなかったか、意識されてきたらしい。彼の様子を窺って、警戒する表情に、ミカは微かに唇を上げて、敢えて言った。


「でも、あなただけは、そうではない」


「そ、それは……。私は、ただ……」


「あなたを責めているのではないのです。むしろ、この上なく立派に、神の御心に沿って務めを果たされている。病める者、苦しむ者に、できるだけの救いがもたらされるよう努めるのは、我ら神に仕える僕の使命です。たとえそれが、必ずしも、神の法に正しく則ったものではなかったとしても」


「…………」


 修道士は、ますます怯えた表情になり、ミカは密かにほくそ笑んだ。もちろん、この修道士を異端の廉で告発したりなどしないが、その可能性を本人が恐れていれば、今日ここでミカが何を聞き出したかを、上役に報告しはしないだろう。うまくつけ込めば、何か役に立ってくれそうだ……。


 しかしミカが再び口を開きかけたとき、軽い足音が戻ってくる。慣れた足取りで軽快に畝を越え、柔らかい土の上を弾むように戻ってきた子供は、どこからか持ってきた麻袋を手にしていた。無言で、修道士に差し出す。


 若い修道士が明らかにほっとした顔になったのは、望みのものが手に入ったからというだけではないだろう。中身を確認するのもそこそこに、もごもごとはっきりしない辞去を述べると、そそくさと薬草園から立ち去った。


 ミカは、傍らの子供を見やった。すでに興味を失ったように再び作業に戻りかけるのを呼び止める。


「おい。あれ、中身は何なんだよ」


 答えはなかった。子供は元の位置に戻って、草取りを始める。ミカは重ねて尋ねる。


「頼むから。何も咎め立てしようって言うんじゃない。どうしてなのか、知りたいだけなんだ。どうして施療所の薬に効き目がなくて、おまえのにはあるのか」


 もしそれが、これまでに知られていないやり方なら、確かめてみる必要がある。その知識を共有することで、もっと大勢の人間を救うことができるかもしれないのだ。しかしいくらミカがそう言って説得してみても、子供は口を開かなかった。顔を上げもせず、うつむいたまま、せっせと手を動かしている。ミカの言うことなどまるで耳に入っていないかのように。


 ――このクソガキ!


 しかしもちろん、聞こえているに違いない。ミカは歯噛みして相手を睨む。そろそろ、この子供がどういうつもりなのかわかってきたような気がした。知恵の足りない、会話もままならない哀れな少年。常に土にまみれた小汚い恰好で、何を聞いても、何をされても黙っているような者を、人間は本能的に劣った存在と考える。取るに足らない者、誰の注意も引かない――何と賢明な身の処し方であることか!


 一方で、どうして彼がそんな振る舞いをしているのかもよくわかる。唯一の身寄りであった祖父は亡くなったと聞いた。ここを追い出されれば、その瞬間から、生きていく術がなくなる。食べるものも着るものも、雨を避ける軒さえなければ、飢えて死ぬか凍えて死ぬかしか道はない。ここが、金や人のひしめきあう大都市であれば、どうにかやりようがなくもないが、こんな誰も彼もが顔見知りの貧しい田舎では、居場所を見つけることさえ難しいだろう。


 そうした暮らしがどういうものなのかは、よく知っている。


「…………」


 やがて、大きく一つため息をついて、ミカはそれ以上の尋問を諦めた。





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