21. 畑仕事
「おまえ……!」
彼を見下ろしている、土に汚れた子供は、確かに彼の尋ね人に違いなかった。昨日の昼、薬草園で見かけた口の利けない少年――そして夜、ミカが首を引っ掴んで、うっかり絞め殺しそうになってしまった子供。
しかし今、不思議なことに、目の前の小さな顔には、恐怖や怯えの表情はなかった。昨日の昼間、ここで見たのと同じ、何の感情もうかがえない無表情……けれどその瞳には不思議な輝きがあった。物珍しそうな、驚いたような――何故か、少しばかりは感嘆したような眼差しで、じっと彼を見ている。
――何だ?
いつの間に、どこから現れたのだ。慌てて身を起こしかけて、ミカはようやく、覆いかぶさってきたものの正体に気づいた。使い込まれて擦り切れた薄い毛布。たった今までここにはなかったもの。
たった今……しかしそれは、実際にどのくらいの時間なのか。いつの間にか陽だまりの位置が変わっていることに気づいて、ミカは思わず天を仰いだ。ほんの少し目を閉じただけのつもりだったのに、どうやら寝入ってしまっていたらしい。
――ということは……。
ミカは目の前の子供に注意を戻した。この子が、毛布を着せかけてくれたのか。
一体、どういうつもりか。昨日、彼にされたことを、覚えていないのだろうか。あれだけ手荒に扱われれば、たとえ少し知恵の足りない者でも、近づくべきではない相手だということはわかるだろう。もっと警戒して、彼の姿を見ただけで逃げ出すくらいのことはあってもいいはずだ。何が目的なのか。何のつもりでこんなことを。
しかし脳裏に閃いた数々の猜疑は、言葉にならない。夜の闇の中ではない、日の光の下で見る子供の瞳が、変わった色合いをしていることにミカははじめて気づいた。薄い茶色に、わずかに緑が混ざっている。瑞々しく、不思議な光に満ちていて、吸い込まれて目が離せなくなる。荒涼とした大地に顔を出した、小さな芽のような、神秘そのものの色。
「えっと……これ、おまえが持ってきてくれたの?」
「…………」
「あー、その……ありがとう」
返事はなかった。子供はくるりと背を向けて、そのまま離れて行ってしまう。途中で、放り出されていた鍬を拾って、どうやらこれから、ここで作業をするらしい。
やがて子供が薬草園の端の辺りを耕し始めるのを、ミカはしばらくぼうっと眺めていた。何だか、すっかり気勢が削がれてしまった。あの子供をどんな目にでも遭わせてやろうと――昨夜のような暴力は抜きとしても――思っていたのだ。何を知ってしまったのか聞き出して、欲につけ込むか脅しつけるかして脅威を排除する。普通の大人が相手であれば、躊躇いなくそうするはずのこと。
躊躇いはないが、しかし、気持ちのいい仕事でないことも確かだ。この場所でこうして座っていると、そんなことは何一つ考えたくなくなってしまう。
離れたところで、子供が鍬を振っている。規則正しい音、慣れた動きだ。陽だまりが移動してしまうと、吹くそよ風は少しばかり冷たくて、確かに、薄い毛布を羽織っているのがちょうどいい。このままもうひと眠りできたら、どんなにか……。
――ああ、もう!
名残惜しさに頭を振って、ミカは意を決して立ち上がった。軽く体を伸ばしながら、視界で唯一、風にそよぐのとは違う動きをするものを見やる。
固い、石ころだらけの地面を黙々と耕す子供の動きは、確かに無駄のない、経験を積んだものだ――しかし大きな刃のついた重そうな鍬は、明らかに子供の華奢な体格に合っていない。大の男が振り回すようなものだから、当然だ。
「おい!」
近づいて、声をかける。自分が呼ばれているとは思わなかったのか、子供はしばらく何の反応もしなかったが、ミカが目の前に立つとようやく手を止めた。怪訝に見上げる子供の前に、ミカは手を差し出す。
「それ、寄越せよ。代わりにやってやる」
「…………」
「土作りには、おまえのやり方があるだろうけど、荒起こしくらいなら、誰がやってもいいだろ。俺が起こしといてやるから、おまえは別の仕事をやれよ。いくらでもあるだろ、草取りとか、芽摘みとか」
「…………」
「何だよその顔。俺だって鍬打ちくらいできるさ。ガキの頃にやらされてたんだよ」
子供は相変わらずの無表情で、黙ってその場に佇んでいたが、ミカには何となく相手の言いたいことがわかった。本当にそんなことができるのかどうか、訝しんでいるらしい。
ミカは上着を脱ぐと、多少強引に、子供の手から鍬をもぎ取った。試しに一列、土を起こしてみる。懐かしい感触、彼にとっても身に馴染んだ動き。
「な、なかなか悪くないだろ? それで、どこまで耕すんだ」
「…………」
ミカの仕事ぶりに納得したのかどうかはわからないが、翻意させるのは難しいということは察したのだろう。やがて子供は、従順に耕地の端を指し示す。冬の間に固くなった土が延々と続いていて、ミカはさっそく内心で呻いたが、ともあれ言い出した以上やるしかない。
鍬の刃を大地に突き立てるたび、土が柔らかく盛り上がって崩れる。休ませていた土地を耕すのは、原野の土を相手にするのとは比べものにならないが、それでも容易い仕事とは言えない。無限に湧いて出る石をより分け、より深くへ刃を打ち込まなければならない。土にも太陽が必要なのだと、昔養父が言っていた。冷たく、固く、死に凍りついた粘土に命を与えることができるのは、ただ太陽だけなのだ。
暗くて寒い地の底では、何も生きてはいられない。しかし光の下で温めて、柔らかくほぐしてやれば、美しく豊かに蘇る。土だけではない――神の創り給うたこの世界のものは、皆そうだ。
自分が鋤を振り下ろす音の他には、何の音もしなかった。規則的な動作には、催眠的な効果がある。陽気にじわりと汗がにじむのも、心地よいばかりで気にならない。鍬の刃を打ち込む、土を起こす、小石を脇へどける、また鍬を……。
「ちび! おい、どこだよ」
突然、叫ぶ声が聞こえた。




