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12. 予言

「人々に伝えるべき、重大な出来事が世に起こるときに、花を咲かせて変事を告げると言われています」


 この薔薇がこの場所に根付いたのは、四、五年ほど前のことだったという。誰が植えたわけでもない、気が付いたら生えていたのだ。当初は引っこ抜いてしまうはずだったのだが、咲いた花が見たこともないほど美しかったので、そのまま庭木の一本として育つままにしていた。


 この木が不思議な咲き方を始めたのは、次の年からだ。一般的に薔薇というものは、春の花期が終わってしまえば、そのまま葉を茂らせるばかりで、花は次の年まで咲かないものだが、この木はとうに花期は過ぎたはずの夏の終わりに、突然再び花を咲かせ始めた。狂い咲きと言えば、花木には時折ある現象だが、その咲き方はまるで再び春を迎えたかのような、堂々たるものだったという。


「その秋は、大豊作になりました。数十年に一度というくらいの」


 次の年の『狂い咲き』は、初夏だった。まだ春の花をすべて落とさないうちから、新たな蕾を次々と上げた。しかし一方で、葉は黒ずみ、やがてぼろぼろと黄色く枯れ落ちていく。本来なら輝く若葉に覆われているはずの季節に、丸裸となった枝先にぽつぽつと花を咲かせる様は、前年とは打って変わった凄惨な有様で、見る者は皆、何か不吉なものを感じずにはいられなかったという。


 予兆は現実になった。例の洪水がこの一帯を襲ったのは、その夏のことだった。この時期から、未来を示す『奇蹟の薔薇』の話は、人々の口に上るようになっていた。町の者たちや、話を聞いた旅人が、わざわざ聖堂の外を回り込んで、噂の花を一目見ようとやってくるようになった。


 ついにその評判が決定的になったのは、その秋だ。洪水で負った多くの損害にも、何とか修復のめどが立ち、犠牲になった者たちの魂のために祈る礼拝が執り行われたまさにその日、薔薇はその祈りに応えるように花開き、人々を驚かせたのだった。以来、この木は聖木と呼ばれ、多くの巡礼が訪れるようになった。


「でも、あまりに人が詰めかけるので、今は院長が許可された方しか、ここまでご案内することはできないんですけど」


 気が咎める素振りで、ユールはそう付け足した。世に現れる奇蹟は神の恩寵、万人に開かれるものだからだ。世の中、不心得な者も決して少なくはないから、ある程度対策を講じるのは理解できるが、ミカにはどうもそれだけとは思われなかった。あの院長のことだ、その辺にも、この修道院に積まれる富のからくりの一端があるかもしれないと思うミカの耳に、ふとユールが呟くのが聞こえた。


「……この薔薇は、去年の冬も、咲いたそうです」


 とっさにその意味を掴み損ねて、ミカはユールを見返した。が、それを尋ねる前に思い出す。昨年の冬、この国には起きたはずだ――『奇蹟の薔薇』が伝えるほどに、人々に大きく影を落とす重大な出来事が。


「ベルリアの国王陛下が、崩御された頃ですね。そう聞いています」


 君主の突然の死は、民にとっては災害も同然だ。ミカは、聖都からここまで旅をしてきた間のことを思い出した。まだ、戦闘は起きていない。まだ、暮らしの秩序は死んではいない。だが、それらを『まだ』と言えるほど、不穏な空気は町々に、通りの隅々まで満ちていた。酒場の陽気な喧騒は、怒号と暴力に取って代わられ、街行く人々はそぞろ歩きもせず、足早に行き過ぎる。


 いつ何が起きるのか、誰も知らない。しかし人々は確かに感じているのだ――やがて必ずやって来る騒乱の気配を。


「どうしてなんでしょう」


 薔薇の木を見上げ、ユールは独り言のように言った。


「この薔薇は運命を予言する……であるなら、陛下の死は、運命として定まっていたのでしょうか。何故です? 何故、今でなくてはならなかったのでしょう。神は何故、そのようなことをなさるのか――一体、誰が救われるというのですか」


 それは、かなり危険な問いかけである。全てを生み出し、全てを司る神のおわすこの世界に、多くの不条理が満ち満ちているという矛盾を、説明できる者はいない。神意は計りがたし、また試みにも計るべからず、というのが、福音教会の公式見解であり、それ以上踏み込んではならない線なのだ。


 実際、最近でも「神意は存在しない」などと言い出した輩がいて、危うく破門沙汰になる騒ぎが起きたりしている。たまたまその男が、ミカにとっては同期の首席、『久遠の塔』の歴史に名を残すであろう、教会が絶対に手放したくない天才の類であったから、何とか収まったものだが、そうでなければ言説も本人も、どことも知れない闇の中へ沈められていただろう。


 天才ならぬ凡百の身で、そういう危険は犯したくない。何と応えるべきか、ミカは思案しかけたが、幸いにも結論を出す必要はなかった。ユールは、そこではっと我に返ったらしく、慌てて言葉を継いだからだ。


「あ、す、すみません! そういうつもりでは……。我が主の御心を、疑ってはおりません。ただ、ちょっと思っただけで……あの、申し訳ありません!」


 叱責を予期してか、勢いよく頭を下げる。衆生を教え導く司祭としては、もちろんきつく諭すべきところなのだろうが、ミカは軽く肩を竦めてやり過ごした。この問題に、深入りするのは得策ではないし……それに、何を諭すべきだというのだろう。この世のすべての不条理は神意であり、何も疑問を抱かず黙々と受け入れることが正しい生き方であるなどと、彼自身でさえ信じていないのに?


「フィドレス・ユール、この木には、どんな花が咲くのですか?」


 だから、穏やかな口調のままそう尋ねる。意図は伝わったのだろう、顔を上げたユールは、感謝の面持ちで彼を見返してきたが、ミカの質問に対しては、またもや面目なさそうな顔になった。


「白い、美しい花だと聞いてるんですけど……すみません、実は私も見たことがないんです。私は、ひと月ほど前にここへ入ったばかりなので」


 それはまた、随分と新参だ。ミカは驚いたが、同時に納得するものもあった。道理で、修道衣が板についていないはずだ。おそらくは『ここへ入った』というのも、別の修道院から転属したという意味ではなく、まさにここで、世を離れ修道の誓いを立てたということだろう。


 ということは、ほんのひと月前、この若者には、人生を一変させるような何かが起きたのだ。世の中のすべての快楽に背を向け、修道院の冷たい石壁の中に自らを閉じ込めることを決意させるような何かが。


 だが、そう思って彼を見やったミカの視線を、ユールは別の意味に取ったらしい。恥じ入ったように微かに頬を赤らめると、急いで言葉を継ぐ。


「私のような新参者がご案内するのは、大変僭越かと思うのですが……何か詳しくお聞きになりたいことがありましたら、担当の修道士を呼んで参りますから、何なりと仰ってください」


 もしかしてアルヴァン院長は、何も知らない新入りを彼に付かせることで、情報が漏れることを回避しようとしているのだろうか。まあ、ありえなくもない手だが、それならミカにとってこそ好都合だ。ユールから修道院の詳しい内情を引き出すことはできないかもしれないが、逆に内情を知らなければ妨害もされないだろう。


 となれば、ユールが院長に今日の動きを報告するまでの間に、できるだけいろいろと見て回っておかなければ。


「もし必要があればお願いします。ですが、まずはあなたのお話をお聞きしたいと思うのです。信仰に、新参も古参もありません。この場所を祈りの家として選んだあなたの言葉が、他の先達より軽いということは決してないはずです」


 今しばらくは、彼の都合のいい同行者となってくれるはずの相手に、気分良くいてもらいたかっただけなのだが、しかしミカの言葉は、予想通りの効果を上げなかった。


「…………」


 不意を突かれたように、ユールははっと目を見開く。表情を曇らせ、視線を逸らした一瞬に、その瞳には様々な光が交差したように見えたが、しかしミカがその正体を突き止めることはできなかった。


「……私も、できる限り、お力になれたらと思っています」


 伏せた目を上げ、再び口を開いたユールは、それまでと少しも変わらない顔に戻っている。一瞬の影などかき消すような、明るい声音で言った。


「次は、どうしましょう。ここからなら、聖堂を回ってみられるのはいかがですか。今の時間なら、聖具担当のフィドレス・ケリスがいるはずです。長くお役目を務められている方ですから、いろいろとご存知だと思います」





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