第一章2―迫りくる闇
ツルギの意識は、暗闇の虚空に漂っていた。方向感覚は失われ、彼は混乱していた。まるで時空を超えた世界に投げ込まれたかのようだった。新しい世界に移送されたときの感覚に似ていたが、今回は思考と感覚がまだ残っていた。
やがて、ツルギは周囲の暗闇から抜け出せないまま、次第に絶望し始めた。彼の目も耳も、自分自身以外の何物も捉えることができず、この無限の闇が自分の永遠の安息の地ではないかという恐れが心を支配し始めた。
稲妻のように鋭い笑い声が闇を切り裂いた。
「これは、これは……何がいるのかしら?暗闇の中で迷子になってるわ?」
滑らかな声音が耳元を撫でる。ツルギの視界が歪み、影が渦を巻く――やがて、漆黒の闇が女性の形を成した。深紅の髪、紅玉の瞳。月光のように透ける肌に、豊満な胸、何一つ纏わぬ姿。
「……っ!」 ツルギは瞬きもできず、喉が軋む。「誰だ……!?」
「わたくし? あなたの心が望んだ『悪魔』ですわ♡」 妖艶に微笑み、ツルギの周囲を滑るように旋回する。
ツルギは慌てて目を逸らそうとする。しかし、理性とは裏腹に、視線は引き寄せられるように彼女を捉えたままだった。彼女は、その視線に対して何の抵抗も感じていない様子だった。むしろ、ツルギが自分に見とれていることに気づくと、彼女の唇にはほのかな微笑が浮かんだ。
「……悪魔?」
「正確には違いますわ。でも、魔族ですもの、あながち間違いでもなくてよ?」
ツルギはごくりと唾をのみ、必死に何か考えようとした。この状況から抜け出せるかどうかも分からなかったが、それでも無理やり顔を動かし、あの女の体から視線を外し、背を向けようとした。
「ダーリン、わたくしの話し、ちゃんと聞いてる? ふふ、集中できないのかしら~?」
彼女は妖艶な笑みを浮かべた。「そんなに怖がらなくていいのよ、ダーリン。そんなに恥ずかしいなら、あなたのために、わたくしが特別に服を着てあげるわ♡」
ツルギが振り向くより早く、彼女は再び3歩離れた位置に浮遊すり、指を鳴らした。暗闇が彼女の体を包み込みそして消えた。
残ったのは、重要な部分こそ覆われていたものの、それは衣服とは言い難い、黒いぼろ布が無造作に体の一部に巻かれているだけだった。
「っ……! その……服、意味あんのか!?」
「あら、不満?」 彼女は腰をくねらせ、黒生地が大腿部から滑り落ちるのを故意に遅らせる。「それとも……脱がせてほしい?」
「いや!いやいやいや!そういう意味じゃない!!」
「まあ、恥ずかしがっちゃって、可愛いわね♡」
「さっさと目的を言え……」彼は怒りを抑えながら言った。
「あらま~お怒り?ねえ、わたくしの目的を知りたいなら、簡単に答えてもいいのだけれど……そんなに単純だとつまらないと思わない?」
「どうでもいい。いいから話せ。」
「ほんとにストレートねぇ……そんなに真っ直ぐだと、わたくし、恋に落ちちゃいそうだわ♡」
「地獄に落ちろ。」
「まぁ、冷たいのね~」肩をすくめ、片手をひらひらと振った。
「はい、はい、もうおふざけはやめて、単刀直入に本題に入りましょうね♡」彼女は唇の前に指を置き、舌をちょっとだけ見せた。
「ちゃんと名乗りましょうか。」彼女は優雅に一礼し、紅の瞳を輝かせた。「わたくしの名前はフランですわ。忘れないでね、ダーリン♡」
「さて、まずは……ここはあなたの心の中よ。死後の世界でも、夢の中でもない。だから、この会話は現実で、目が覚めた時にも覚えているはずよ。」
「……心の中?」
「そう。そして、あなたはわたくしの声を聞いている。これは幻なんかじゃなくてよ。」
ツルギは歯を食いしばった。「じゃあ、どうやって俺は生き延びた?」
「そうね……すべてを説明しちゃうと、ちょっとつまらないから、ネタバレはしないわよ♡」
「……ネタバレ?」
「ふふ、あなたの世界の言葉、意外と面白いですわね。」
ツルギは息を詰まらせた。
「……俺の考えが聞こえてるってことか?」
「考えだけじゃなくて、あなたの記憶や好み、嫌いなもの、そして秘密まで、全部ね。あなた自身が気づいていないことさえも、わたくしは知っているのよ。」
「……ッ!」
「ふふ、まるで結婚してるみたいじゃなくて?」彼女は楽しそうに微笑んだが、ツルギの中にぞっとするような寒気が走った。
彼は自分が聞いたことが信じられなかった、それどころか、その考えはツルギにとって恐ろしく、彼はそれが本当に真実かどうかを確かめる気にもなれなかった。
「冗談よ!まあ、嘘はついてないけど、そんなにイライラしてるなら、この話はやめましょうか。まだまだ話すことがたくさんあるんだから。」
「あなたが混乱してるのも無理はないわ。だって、悪い奴に故郷からさらわれたんだから。責めたりしないわよ。」
「正直でよかったねぇ。」
「まぁ!ダーリン、わたくしの言葉を誤解しているわ!あなたをここに連れてきたのは、わたくしではありませんわよ!」
「お前じゃない?じゃあー」彼が口を開こうとした瞬間、フランは彼の口元に指を近づけ、彼の言葉を止めた。
「それもネタバレになっちゃいますわ!てへ~♡ でも心配しないで、ダーリン。今はそんなことは大事じゃありませんわ。もっと気にしなきゃいけないことがたくさんありますもの。たとえば、あなたが今持っている『スキル』がひとつしかないこととかね。」
「もし大きな反応を期待してたなら、悪いけど何も感じないよ。この世界について何も知らないんだからな。」
「あら、うっかりしちゃったわ。どんでん返しのタイミングを完全にミスっちゃったわね!」
彼女は再び指を鳴らすと、何もなかった空間から影が現れ、彼女の体を包み込んだ。
「まぁ……最初の出会いで、あの退屈な説明セリフには陥りたくなかったのよね?だから、説明をスキップしちゃったの。ごめんね~」
次の瞬間、フランの姿が一変した。彼女は黒縁の教師風メガネをかけ、髪をきっちりポニーテールにまとめ、体のラインを強調するタイトなスーツを身にまとっていた。さらに、その横にはホワイトボードがどこからともなく出現していた。
「さて、これで集中できるかしら?」
「そうか……つまり、本気を出せば服を着られるんだな。ただの露出狂じゃねぇか。」
「ごほんっ!」フランはわざとらしく咳払いをし、指先でメガネを押し上げながら厳かに言った。「皆さん、注目!これからは義務的な異世界説明の時間ですわ!」
「皆さんって、ここにいるの俺だけだろ。」
「授業中は静かにするものですわよ、アカバネ君!」
フランは教師然とした振る舞いでボードにマーカーを走らせ、文字を書き始めた。しかし、しばらくして彼女が得意げに振り返った時、ツルギは眉をひそめながら手を挙げた。
「アカバネ君、積極的に参加してくれて嬉しいわ。さて、クラスに何か貢献してくれるかしら?」
「すみません、先生。字が汚すぎて読めません。」
「アカバネ君!ここは漫才の場ではありませんわよ!」
「いやいや、マジで読めねぇんだって。」ツルギはホワイトボードを指差した。「一応、日本語……らしいけど、ほとんど象形文字に見える。」
フランは「むぅ~」と頬を膨らませ、腕を組んだ。「仕方ありませんわね、言葉で説明するしかなさそうですわねぇ。」
彼女は後ろに教師の机を出現させ、その上に腰掛ける。スカートを翻しながら足を組むと、ゆったりとした動きでボードに向かって手をかざした。瞬時に、そこには鮮明なインフォグラフィックが映し出された。
「あなたが持っていたファンタジーの知識があれば、この世界のことも少しは理解できると思いますわ……」
「まず、この世界はゲームやRPGがベースになっているわけではありませんけど、『ゲームっぽい』特徴がいくつかあるのよ。」フランは指を振りながら続ける。「例えば、前に見た『ステータス・パネル』、『アトリビュート』、『タイトル』、そして一番重要なもの……『スキル』ですわ!」
「ほう。」ツルギは腕を組んで聞いていた。「スキルってのはどれくらいあるんだ?」
「いい質問ですわね!」フランはボードを指しながら説明を続ける。「スキルは全部で200種類。DランクからSランクまでの4つのランクに分かれていて、Dランクが最も多く、Sランクはほんの一握りですわ。」
フランはさらにボードを回転させ、新たな図を描き始めた。
「さて、ここからが問題ですわ。」
「問題?」
「この世界では、新しいスキルを手に入れる方法がありませんの!」
ツルギは嫌な予感がした。「待てよ。レベルシステムがあるんだろ?レベルが上がればスキルを獲得できるんじゃ……」
「残念ながら、その答えは《いいえ》ですわ!」フランはマーカーをくるりと回し、書いていた内容を魔法のように消去した。
「この世界に生まれた者、あるいは召喚された者は、最初に持つスキルが固定されるの。それが運命なのよ。」
ツルギは思わず顔をしかめた。「じゃあ、俺が持ってるスキルがたった一つのBランクってことは……もう増える望みはゼロってことか?」
「ピンポーン!大正解!」フランはボードを消し去り、満足げに微笑んだ。「アカバネ君、100点ですわ!」
ツルギはため息をついた。
「ふふっ、思ったより冷静ですわね?」フランは優雅に立ち上がり、ゆっくりと彼の方へ近づいていく。
「じゃあ、どうしてあなたがたった一つのBランクスキルしか持っていないか、分かるかしら?」
ツルギは警戒しながら答えた。「……お前の仕業か?」
フランは意味ありげに微笑み、ツルギの目をじっと見つめた。
「正解ですわ♡」
ツルギは険しい表情で彼女を睨んだ。「なんでそんなことを……?」
「なぜって? わたくしは魔族ですもの! さっきそう言ったでしょう?」フランはくるりと回り、両手を広げる。「あなたは本来、DからBランクまでの六つのスキルを持っていたのよ。でも、召喚された時に、わたくしが……」
彼女は胸に手を当て、陶酔したように目を閉じる。
「……全部、美味しくいただきましたの♡」
ツルギの脳が一瞬フリーズした。
「……は?」
フランは妖艶な笑みを浮かべながら、指先を唇に当てた。「んふふ……とっても美味しかったですわよ?」
ツルギは拳を握りしめた。「……それが、どういう意味か詳しく説明しろ。」
「ふふっ、怒ってもスキルは戻ってきませんわよ?でも、まあ、あまりにもせっかちだから、予定よりちょっと早めに教えてあげてもいいかしら?」 フランは軽く伸びをしながら、彼の前で足を止めた。
「わたくし、あなたにまったく選択肢を残さなかったわけじゃないのよ?」
「……どういうことだ?」
「このたった一つのスキルで苦労するのもいいけど、他の方法もあるわ♡」
フランはゆっくりとツルギの前に手を差し出した――
「わたくしと契約を結べば……その代わりに、力を与えてあげるわ。た~っぷりね。信じられないかもしれないけど、わたくしは本気よ。わたくしの手を取って、魂を捧げれば、この世界の主人にだってなれるわ。」
ツルギは、魔族が自分の心を掴んでいるかのように感じた。言葉通りではないが、彼女の言葉と仕草が、まるで彼を手のひらの中で支配しているかのようだった。
これ、まさに典型的な異世界設定だろう?日本の学生がどっかの世界に飛ばされて、可愛い女の子が力をくれるってやつ……ただ、今回は魂と引き換えか。だいたいこういう話じゃ、女の子が主人公に惚れて、主人公が強くなりすぎて代償なんかあんまり重要じゃなくなるんだよな。
フランは俺のスキルを奪われたのは事実だ。間違いない。ただ、フランみたいな謎めいたキャラって、嘘はつかないけど騙すことはあるんだよな。そう考えると、彼女の提案を受けるのが賢明かもしれない。最も簡単で戦略的なのは、取引を受け入れることだ。
彼は提案を真剣に考えていた、魔族は瞬きすらせず、彼を見つめ続けた。
「『……典型的な異世界設定だろう?』って思っていたでしょ? フフフ、ダーリン、わたくしもそう思うわ~♡」
ツルギは目を細め、半ば呆れたような表情を浮かべる。
くそ……こいつ、俺の考えまで読んでやがる。マジでうざいな……彼は軽く舌打ちをし、腕を組んで。
「悪いけど、パスだ。」フランの表情には一瞬、鋭い失望が浮かぶ。しかし、すぐにそれを隠し、唇に妖しい笑みを浮かべる。
彼女はゆっくりと頭を傾けた。
「あらあら、ダーリンったら……そんなに急いで拒否するなんて、わたくしの心が傷ついちゃうわ♡」
ツルギは冷たい目で彼女を見据え、少しうんざりしたようにため息をつく。
「お前の心なんかどうでもいい。俺はお前みたいなのに魂を売るつもりはない。」
フランの笑みが一瞬凍りつく。彼女の瞳が細くなり、周囲の空気が急に冷え込む。しかし、すぐにその緊張は解け、彼女は再びくすくすと笑い始める。
「フフフ……そうね、ダーリンはまだ準備ができてないの。でも、そのうちきっと……わたくしのところに這い寄ってくるわよ♡」
彼女がその言葉を言うと、その目と態度は再び柔らかくなった。
「これからも気が変わることはないと思うからさ。もう消えろよ。」
「あら、でもそれじゃ面白くないわね。しばらくはここにいるつもりよ。あなたとどんな騒ぎを起こせるか、楽しみだもの♡」
彼らはしばらくの間、言葉を交わすことなく、ただ互いの動きをじっと見つめ合っていた。それはまるで侍同士が敵の一挙一動を観察しているかのようで、先に動揺を見せた方が敗者となるかのような緊張感が漂っていた。
ついにフランは、悪い空気を断ち切ることにした。
「でも残念ながら、非常に無念ですが、わたくしたちの会話はここで終わり。少なくとも今は。」
その時、ツルギは先ほど戦った生物に負わされた傷口、腹部と背中に鋭い痛みを感じ始めた。
フランの服が再び黒い布切れに戻り、彼女は長い爪を使って自分の手首に切り込みを入れた。
血が流れ出し、液体のまま固体のような剣の形に変わり始めた。
フランは完全に形成された刃を手に、ツルギに近づいた。
「もうすぐあなたは目を覚ますわ。」
少年は、目の前に剣を手にした女性を見て、反応して、せめて何かを言いたかったが、痛みがあまりにひどくて、まっすぐに立つことさえできなかった。
「でもその前に、ちょっとしたアドバイスをあげるわ……」
彼女はその剣を掲げ、空中でハートの形をなぞった。
「これがあなたの唯一のスキル、ブラッドスペル・ブレードよ。」
フランが微笑むと、指先で自分の腕を軽く撫でた。滑らかな肌に薄紅色の線が浮かび上がる。まるで、わざと見せつけるようにゆっくりとした動きだった。
「このスキルを使うのに、わたくしみたいに自分を切る必要はないわ。ただ、観察しておくとイメージを固めるのに役立つわね。」
フランの指から一滴の血が零れ落ち、地面に触れた瞬間、静かに消えた。
ツルギは思わず息を飲んだ。彼女の所作が妙に優雅で、どこか艶めかしい。わざとなのか、無意識なのかはわからないが、視線を外せなかった。
「それにね……ダーリンがスキルを最初に召喚できなかった理由は、SPとHPが足りなかったからよ。」
彼女は楽しそうに目を細めながら、手をひらひらと振る。
「このスキルを使うには、両方を消費するの。今のあなたじゃコストが高すぎて無理ね。」
「……それなら、どうすれば?」
「だからさっさとスキル・ポイントを使って、このスキルを最大化しなさい。」
フランは髪を指に絡め、くるくると遊びながら続ける。
「確かに、わたくしがあなたのスキルを食べたわ。でもその代わりに、人生で得られるすべてのスキル・ポイントをまとめてプレゼントしたのよ。」
彼女が《食べた》という言葉を口にした瞬間、ツルギは思わず肩を震わせた。まるで肉食動物と対峙しているかのようだった。少しでも“正しくない”動きをすれば、文字通り生きたまま食われかねない。彼女の行動や言葉が次に何をもたらすかは読めなかった。
「慎重に使いなさい。使い切ったら、もう戻らないからね。」
フランは妖しく笑みを浮かべると、指先をツルギの胸元へとゆっくり近づけた。指が触れそうで触れない絶妙な距離を保ちながら、そのまま胸から腹部へと降りていく。彼女の指先はツルギの臍のすぐ上で止まり、まるで寸止めの刃のように空を撫でる。
わずかに顔を寄せ、耳元で囁くように言う。
「それから……どうするかは、あなた次第よ。」
魔族は一瞬、自問するように沈黙し、ツルギにさらなる情報を与えるかどうか迷ったが、肩をすくめて説明を続けた。
「このスキル・ポイントはそれだけじゃないわ。好きな≪ステータス≫に一時的なブーストをかけることもできるの。普通はこういう使い方しないけど、スキルがないあなたには助けになるかもしれないわね。」
「な、なんで……お、お前―」痛みに全身を蝕まれながら、ツルギが絞り出せたのはそれだけだった。彼女の言葉や行いを思い返すほど、彼の困惑は深まるばかりだった。なぜ彼女が自分を助けるのか理解できなかった。
言葉を最後まで紡ぐことはできなかったが、フランはツルギの瞳とその短い言葉だけで、彼の心の奥にある問いを完全に理解していた。
「当たり前じゃない? 今はわたくしに逆らうつもりかもしれないけど、そのうちわたくしのところに這い寄って《抱きしめてください》って懇願するわよ。だから生き残るための助言をしてあげてるの。せっかくここにインストールしたのに、すぐ死んだらつまらないじゃない?」
フランの口元に悪意の笑みが浮かんだ。
「これが最後の贈り物よ。今のところ、無料であげる最後のものね。ほんの少し、わたくしの血をあげるわ。どう使うか、楽しみにしているわね、ダーリン……フフフ。」
その瞬間、彼女は血で作った剣でツルギの腹を突き刺した。
「くっ―」ツルギは驚愕の表情で息を呑んだ。
「あら、もうひとつ忘れてたわ。現実に戻ったら、まっすぐ進みなさい。避難場所があるわ……塔よ。どこを見ればいいかわからなくても、道を外れなければ簡単に見つけられるわ~」
フランの姿は徐々に空中に溶け込むように消えていく。
暗闇と白い空間が入り混じり、ツルギの感覚を奪い、彼を現実へと引き戻した。
「それじゃあ、バイバイ……ダーリンに幸運を♡」
※※※※※※※
ツルギは徐々に意識を取り戻していく。
な、何が起こったの……?
最初に感じたのは、胴体に走る激しい灼熱感だった。まるで熱した鉄の棒で殴られたような感覚だが、傷は開いていなかった。
完全に治癒したというよりは、血が固まって傷を塞いでいる状態だったが。
彼はまだ激しい痛みを感じながらも、生きていた。
ツルギが周囲を見渡すと、自分が一人ぼっちであることに気づく。どうやら生物は何らかの理由でその場を去ったようだった。ツルギは、獲物が倒れているのに攻撃せず逃げるのは不可解だと感じたが、今の彼には答えを得る術はなかった。
ツルギはよろめきながら立ち上がり、足元がふらつくのを必死に抑えた。ふらつきながらも、なんとか数歩進むことができた。
彼は辺りを見回したが、何も見えない。広がる草原には、背の高い草と数本の木だけが彼に付き添っていた。
この時点では、彼女が本当のことを言っているのかも、そもそも実在しているのかも分からない……でも、今は彼女の言葉に頼るしかない。ツルギは再び『ステータス・パネル』を開きながら考えた。
しばらく迷った後、ツルギはフランのアドバイスに従い、自分の唯一のスキルにポイントを割り振ることを決めた。
両手を開閉しながらそれを見つめると、わずかな安心感と微かな力が体中を駆け巡るのを感じた。それは、100の強化ポイントのうち9を使い、ブラッドスペル・ブレードのスキルレベルが最大になった瞬間だった。
ツルギはステータスウィンドウを最後に一瞥し、その《呪われた》称号が自分に宿ったフランと関係しているのではないかと考えたが、答えの出ない思考に時間を費やす余力は残っていなかった。特に、今の自分には、そんな疑問を解決できる状況にはないのだから。
乾いた血で汚れた制服の破れた部分に、彼は無意識に手を擦りつけていた。
一歩一歩踏み出すたびに、痛みが重くのしかかる。それでもツルギは歩みを止めず、周囲に注意を払いながら、草原の高い草をかき分けて進んでいた。
深く思索にふけりながらも、ツルギは歩みを続け、遥か遠くに人の気配を探して視線を向けた。
まるで千年もの時を歩んできたかのように感じた。そんな中、彼の視界に、それは突然現れた。無人の荒野にそびえ立つ、高く聳える石造りの建物。空に向かって手を伸ばすその姿は、まるで希望の灯火のようだった。
建物に近づくにつれ、ツルギの胸は期待に高鳴った。
そして彼の視界に、一人の人影が映り込んだ。それは塔の最上階の窓に立つ、たった一人の少女の姿だった。
そんな場所に、たった一人な女の子がいた。
彼女は比類なき可愛らしさを放っていた。自然の美しさそのものの定義。
風に舞う薄紫の長い髪と揺れる白いサンドレス。その姿に、ツルギは目を奪われた。彼の視線は無意識に彼女の美しい顔立ちと優雅な曲線を辿っていく。
その情景全体は、まるで天上の調べのようだった。周囲の静けさ、彼の発熱状態、その雰囲気、そしてなによりも彼女の存在の美しさ。すべてが完璧な調和を奏で、その瞬間ツルギは「やっと見つけちゃったみたい……」と思った。
だが、その完璧に構築された調べの中に、不協和音があった。その不協和音が逆に、この光景をさらに幻想的に、そして美しく映し出していた。それでもツルギはそのままでは受け入れられなかった。無意識のうちに、その不協和音を正したいと切望していた。自分勝手に取り除きたいと願っていた。
そんな考えが頭に浮かぶと、彼は首を振りながら独り言を言った。
「あの目は……きっと……」
その奇妙な感情に突き動かされ、ツルギは孤独な塔の頂に立つ少女に手を差し伸べたいと思った。
しかし、ツルギは躊躇した。フランのアドバイスが頭をよぎり、飢えと傷の痛みが彼の慎重さをさらに強めた。それでも、他に行く場所もなく、たとえ罠であろうと、塔に向かうしかなかった。
幻覚と現実の狭間に立ちながら、彼は光に惹かれる蛾のように、塔へと歩を進めた。
近づくと、彼の視線は少女と交わった。どうやら彼女もツルギに気づいたようだった。彼女は驚きと戸惑いが入り混じった表情で、まるで幽霊でも見たかのようにツルギを見つめていた。
そしてついに塔に手を触れた時、ツルギは顔を上げ、少女を見上げた。驚いた顔で彼を見つめる彼女の視線を受けながら、ツルギは自分と彼女の運命を大きく変えるかもしれない、その木製の扉に手をかけた。