狂おしい程に愛していたのに…冷める愛
あああああっ…好きなの…好きで好きでたまらないの…
なのに何故?あの人はわたくし以外の、あの女とあんな嬉しそうに微笑んでいるの?
ステフィニア・クランティス公爵令嬢は持っていた扇をへし折るかのように、手に力を籠める。
王立学園の中庭のベンチには仲よさそうに、二人の男女が寄り添って。
微笑みながら話をしていた。
男性の方はステフィニアの婚約者であるカイル王太子。美しい金の髪を持つ彼は顔も整っており、文武両道に優れ、王立学園の女生徒の憧れの的だ。
寄り添うように傍にいる女性は、ファニー・アンディシア。
茶の髪の彼女は貴族ですらない平民で、顔もそれ程、ぱっとしない女性である。
ステフィニアは歯ぎしりする。自分の方が余程美しい。そして優秀だ。
それなのに…それなのに…
カイル王太子はステフィニアの10年に渡る長き期間婚約者である男性だ。
ステフィニアはカイル王太子殿下を愛している。婚約者であると決まった時から、運命の出会いを感じたのだ。
この方と共に、この王国を支えたい。この方の為ならこの命だって…
この方とこの方とこの方と…
ステフィニアの人生はカイル王太子殿下の為にある。
カイル王太子殿下の為に未来の王妃教育だって頑張って、遊ぶ時間が無い程、勉学にも励んだ。
月に一度、婚約者としてカイル王太子と共にお茶をする。
当たり障りの無い話しかしてくれない…カイル王太子はステフィニアに王国で最近起きた事や政治の話。王妃教育の進展具合。
本当に当たり障りの無い話しかしてくれない。
心が通じ合ったと感じたこともない。
それでも…この美しく優秀なカイル王太子の為に、カイル王太子の事しかステフィニアは考えてこなかった。
いつもいつもカイル王太子の事ばかり考えていた。
同じ王立学園に通う事になっても、親し気に話しかけてくれるでもなく、交流するでもなく。それでも…
カイル王太子の婚約者として恥ずかしくない振る舞いをと、ステフィニアは頑張ってきたのだ。
より優雅により自信ありげに…自分こそが未来のこのシャイール王国の王妃になるのだから。
愛するカイル王太子殿下、後に国王になる彼を支えるのは自分しかあり得ないのだから。
それなのにあの女…
わたくしはあんな微笑みを向けられたことは無い。
あのベンチに座って、愛し気に話しかけられるのはわたくしだけのはず。
そう、たとえ政略であるとしても、わたくしはあの方の婚約者。いずれは結婚するのだから。
側室?妾?そんなの許さない。
この王国は王族とて側室は許されない。
このシャイール王国の神が、昔から一人の女性を愛しなさい。一人の男性を愛しなさい。と説いているのだから。
だからステフィニアは内心焦った。
あの女が、あの平民の女が…万が一、カイル王太子殿下の婚約者になってしまったら。
自分が婚約解消されてしまったら…今までのわたくしは…わたくしが頑張って来た事は。
何よりも愛するカイル王太子殿下があの女の物になることが許せなかった。
殺してやりたい。
いえ、殺すよりも苦しめて苦しめて…
ズタズタにして。
二度と、カイル王太子殿下の目の届かぬ所へあの女を…
ベンチで談笑するカイル王太子殿下と平民の女を見つめ、イライラするステフィニア。
その時、肩にポンと手を置かれた。
「無礼だわ。わたくしに触らないでっ。」
振り向きざま、思わず叫べば、ベンチで談笑していたカイル王太子とファニーという女がこちらを見ていて。
真っ赤になり、ステフィニアはその場を走り去る。
自分の肩を叩いた相手だろうか?背後から追いかけてきて。声をかけてきた。
「いや、すまない。あまりにも君が怖い顔をしていたものだから。こんなに美人なのに、君は睨むより笑った方がいい。」
「これは隣国のアレド皇太子殿下。わたくしの事等、構わないで下さいませ。」
アレド皇太子は隣国から留学に来ている美男で有名な皇太子だ。
カイル王太子が金髪でキラキラしている美男なら、アレド皇太子は黒髪碧眼の落ち着いた感じの美男である。
アレド皇太子はステフィニアに近づいて、耳元で囁く。
「あんな男、見限って俺の妃になれ。ステフィニア。俺はお前一筋に愛してやるぞ。お前以上の女は帝国にだっていない。」
ステフィニアはアレド皇太子からスっと離れて、
「わたくしはこのシャイール王国を愛しております。」
「王国を愛しているのではなくて、あの男だろう?あの無能の王太子。」
「カイル様は無能ではありませんわ。民の事を考え、常に心をこのシャイール王国の為にくだいていらっしゃる素晴らしいお方ですのよ。」
「しかし、お前という婚約者がいながら、あんな平民の女と親し気に付き合って。無能以外の何物でもあるまい。この王国は側室や妾は認められていない国なのだろう?お前との婚約を解消してあの平民を選ぶ可能性だってある。あの様子ではな。」
ステフィニアはきっぱりと、
「そこまで愚かな方ではありませんわ。わたくしを婚約者にした意味を、わたくしこそ、この王国の王妃にふさわしいと、あの方は解っていらっしゃるはず。」
「だったら……もし、カイル王太子がステフィニアを見捨てたら、俺の元へ来てくれるか?」
「まさかとは思いますけれども、あのファニーという女。貴方の差し金で、カイル様に近づいたのではないでしょうね。」
アレド皇太子はにんまり笑って、
「まぁ、そのようにしてお前を手に入れてもよかったんだが。俺だったらそうだな。あんな平凡顔の女を使わずに、もっと魅力のある女性を使うぞ。何故にカイルはあんな地味な女に惹かれたんだ?」
ステフィニアにはカイル王太子がファニーに惹かれた気持ちが解る気がした。
貴族令嬢は皆、派手で、気が強く、そしてツンとすましている。
それに比べて、市井の者達は、飾り気のない者が多いのだ。
時にファニーという女性はステフィニアと比べると正反対である。
派手な顔立ちのステフィニアと比べ、地味な顔立ちでまったく飾り気のないおとなしい女だ。
だから、カイル王太子は新鮮に感じたのだろう。
でも、それでも…ステフィニアは思う。
政略抜きにして、自分はカイル王太子を愛してきたのだ。
それなのに…
自分を選ばなかったら…婚約解消をされてしまったらどうしたら…
ステフィニアは不安になった。
だから、殺してしまおう。あのファニーという女を。
ステフィニアはそう思ったのだ。
自分は未来の王妃になる為に生きてきた。公爵家なら邪魔者なら消す。
そう、ステフィニアは思って生きてきたのだから。
嫉妬もあるけれども、これは必要な事なのだ。
しかし、翌日、ステフィニアが公爵家の者に頼んで手を下すまでも無く、ファニーは亡くなったという事を学園で聞いた。
昨日の帰りに馬車にひかれて亡くなったそうだ。
ステフィニアは思った。
さぞかし、カイル王太子は気を落としているだろうと。
だから、王立学園の教室で声をかけてみた。
「カイル様。おはようございます。」
「やぁ、ステフィニア。今日もいい天気だね。」
カイル王太子はまるで何もなかったかのように微笑んだ。
ステフィニアは思い切って聞いてみる。
「いつもカイル様と一緒におられた方。お亡くなりになったのですって?」
カイル王太子は頷いて、
「亡くなったのなら仕方がないさ。また、代わりの暇つぶしを探さないとな。」
「暇つぶし?」
「え?そうだよ。暇つぶしだ。どうせ君と結婚する事が決まっている。だから、暇つぶしにあの女性と話をしていただけだ。何か問題でもあったのか?」
「あまりにも親しそうだったので…わたくしはてっきり……」
「馬鹿馬鹿しい。私が王太子になれたのも、君が婚約者になってくれたお陰だ。それを解らないで、君以外の女性と結婚するつもりはないが?」
「申し訳ございません。」
ステフィニアは心が冷えていくのを感じていた。
自分には向けた事のないあの笑顔。
ファニーという女は幸せそうだった。それなのに、カイル王太子は暇つぶしの相手だと言ったのだ。
婚約者である自分より、ファニーの方をいかにも愛しているという態度を取って、親しく付き合っていたのだ。
嫉妬に狂ってファニーを殺そうとしていた自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。
カイル王太子との婚約は国王陛下の命で結ばれたものだ。
今さら解消出来ない。
そして自分はカイル王太子殿下を愛しているはずだ。
でも……
一人で悩んでいるとアレド皇太子が声をかけてきた。
「ステフィニア。俺だったら、カイル王太子との婚約を解消する力を持っている。帝国に来い。俺と結婚してくれ。」
「わたくしはカイル様の何を見てきたのかしら……政略でもわたくしはカイル様に愛されたかった。でもあの方は人の心を持っていらっしゃらないのだわ。飽きたからきっと、あのファニーという女を殺した。わたくしは…わたくしは…」
崩れていく…全てが…
ステフィニアは悲しかった。
アレド皇太子はステフィニアの肩に手を置いて、慰めるように。
「俺ならば、お前を不幸せにはしない。泣かせはしない。どうか、俺と結婚してくれ。」
ステフィニアは頷くしかなかった。
隣国のジュデス帝国は、シャイール王国と比べれば大国だ。
シャイール王国の国王は、アレド皇太子の横槍での、ステフィニアと婚約をしたいと言う申し出を受けるしかなかった。
それに納得しなかったのが、カイル王太子である。
「ステフィニアとの婚約を解消ってどういうことです?」
父であるシャイール国王に食ってかかった。
「ステフィニアは帝国から望まれたのだ。こちらとしては拒否をすることは出来ない。ステフィニアもお前との婚約解消、そしてアレド皇太子との新たなる婚約を承諾したと聞いている。」
「しかしっ…ステフィニアはシャイール王国の王妃になることを楽しみにしていたのです。」
母である王妃は扇を手に頷いて、
「ええ、ステフィニアは楽しみにしておりましたわ。そして、貴方の事を深く愛しておりました。」
「だったら、ステフィニアが嫌だと言うのなら……」
王妃は眉を顰めて、
「だまらっしゃい。お前が大事なのは自分の王太子としての立場でしょう。ステフィニアに愛を囁いたのかしら?婚約者として大事にしたのかしら?いかに政略とはいえ、国王陛下はわたくしの事をとても愛して下さいますわ。ステフィニアの事を貴方がもっと大切にしていれば、今回の事はなかったかもしれませんね。」
「だって、母上、ステフィニアは私と結婚することが決まっていたから……」
「諦めなさい。」
シャイール国王も頷いて、
「ステフィニアは承諾したのだ。もうどうしようもない。お前はササリデルク公爵家の後ろ盾を無くした。第二王子テテリスの婚約者は大公家の娘だ。これは、王太子を代えねばならないかのう。」
カイル王太子は頭を抱えた。
どこで間違った??
自分はただ、市井の女性ファニーの話が新鮮で面白かった。
だから、色々と話を聞きたかっただけだ。
しかし、そろそろ話を聞くのも飽きてきて、ファニーが変な事を言うようになった。
「あの私……王太子殿下の事が好きです。」
この王国は側室や妾は認められていない。王族だって例外ではない。
それなのに…
自分にはステフィニアという、公爵令嬢の婚約者がいる。
その事は有名なはずなのに…
この女が邪魔になった。だから、王家の影に命じて殺させた。
ただの暇つぶしだったのに、何を間違えたのだ?
後にカイル王太子は、王太子でなくなった。
ササリデルク公爵家の後ろ盾が無くなって、第二王子のテテリスが王太子になったからだ。
第二王子テテリスの婚約者の家は大公家で、後ろ盾としては十分だったから。
ただの第一王子になったカイルは、一年後、ジュデス帝国の皇太子妃になったステフィニアと再会した。
アレド皇太子と共に外交の為に訪れたステフィニア。
それはもう、銀の髪に濃紺のドレスがキラキラしていて、美しくて美しくて。
諸国の評判も良い優秀な皇太子妃で。
カイル第一王子は、シャイール王国の王宮でアレド皇太子とステフィニア皇太子妃を、国王夫妻や、テテリス王太子夫妻と出迎えながら、悔しくて仕方がなかった。
公式の行事が終わって、皇太子夫妻が広間を下がった時に、廊下まで追いかけて行き、カイル第一王子は叫ぶ。
「ステフィニアっーーー。」
ステフィニアはアレド皇太子と共に、こちらを振り向いた。二人を警護する近衛兵達が何事かと、二人を警護するように前に進み出る。
ステフィニアは警護兵たちに手で制して、
「何用でしょうか?カイル第一王子殿下。」
「私は反省したのだ。君をないがしろにしてすまなかった。」
ステフィニアは扇を手に、微笑んで、
「過ぎた事です。それでは……」
カイル第一王子は、後に知ったのだ。
ステフィニアがファニーの殺害を考えていた位に、嫉妬をしていたことを。
政略なのに愛なんておかしい。
その時はそう思った。
でも……失ってみて初めて解るステフィニアの素晴らしさ。美しさ。
新たな婚約者をと探してはいるけれども、どうしてもステフィニアと比べてしまって。
ああああ…時が戻るならもう一度……今度は市井の者なんかに目を奪われない。
君だけを大切にしよう…
愛しているステフィニア……
ステフィニアはアレド皇太子と、廊下を歩く。
アレド皇太子が囁く。
「あの男も未練がましいな。」
ステフィニアは冷えたような眼差しで、
「あの方は自分だけが可愛いのですわ。あの方には人の心が無い。わたくしの事なんて、これっぽっちも愛していなかった。」
アレド皇太子はステフィニアの腰を抱き寄せて、
「俺は違うぞ。お前だけを愛している。」
「わたくしが未来の皇妃として、役に立つ女だからでしょう?」
「ハハハハハ。それもあるが……まぁいい。思いっきり溺愛をして、お前の心を溶かしてやろう。」
ステフィニア皇太子妃はアレド皇太子と仲睦まじく、後に二人の皇子を産んで、それはもう幸せに暮らした。
カイル第一王子は、新たに伯爵令嬢と婚約したが、自分にふさわしい女ではない発言をし、怒った伯爵家から婚約は破棄され、彼は結婚をすることなく、それでも王族としてシャイール王国の為にひたすら働く一生を送ったとされている。