ロスヴァイセ
チリと化していく魔獣。
その最期をエルネストは銀髪の少女を抱きかかえながら眺めていた。
自身で回復不可能なレベルまでの衰退。
そして周囲に黒霧を発生させられる上位個体の不在。
危機は去った……この場がもう安全であることは確実だ。
実はエルネストの黒髪の頭は本物の頭ではない。
かの万能の天才たるベルンハルトが作り上げた索敵に特化した魔法アイテムなのだ。
エルネストは生まれながら、首と胴が肉ではなく空間魔法で繋がった首無騎士である。
それは同時に空間魔法の使い手という意味でもあり、本物の頭は別空間にしまっている。
常に大量の魔力を供給しなければならない魔法アイテムの常時使用のため、あえて首の上に件の魔法アイテムを「接続」しているのだ。
大戦時に、不死者の上位個体が得意とする空間転移に対抗するためのそれは苦肉の策だった。
「助けていただいてありがとうございます……ですが、その」
少女をいわゆるお姫様抱っこのまま演台から外に歩いていくエルネスト。
もう放して良かったのだが、いくら弱体化したとはいえ不死者の近くに「腰が抜けている」状態で置くのがはばかれたのだ。
無論、少女の名誉のため、そんなことは口には出せないが。
(とはいえ、自分を丸呑みしかねない怪物を相手に腰を抜かす程度で済ませたのは上出来だと思うけどな)
腕の中で少女は暴れて逃れようか悩んでいるようだが、今のところはなすがままになっている。
腰が抜けていることをバレないように必死であった。
その容姿は在りし日のジークルーネに瓜二つ……違うのは身長が大分低いぐらいことと風貌が幼いこと。
学院生ならば16~18歳のはずだが、それよりも年齢は低めに見える。
その顔は羞恥に赤く染まっていた。
頭上のエルネストの顔をチラチラと見つつ、時折直視してしまい勢いよく顔を戻す。
それを延々と繰り返していく。
もっともエルネストの方も正常とはいいがたい状態であった。
抱きかかえているのは石や樹木の類ではない。
その柔らかな感触に、その匂い……頭がクラクラとして思考が乱れがちであった。
思わず白い肌に目立つ赤い唇に目をやる。
偽物の頭には顔を紅潮させる機能はない……それを今は感謝しているくらいだ。
少女が身じろぎする。
ようやく腰に力が入り始めたようだ。
その感触を感じ取ったところでエルネストはゆっくりと地面に足から下ろしてやる。
少女はおっかなびっくりでかかとから降り立ち、生まれたての小鹿のように身体をフラフラさせながら立ち上がった。
両手でしきりに膝の裏や背中……エルネストに接していた部分を触って確かめている様はひどく初々しい。
何を言おうか迷っており、頭を振って雑念を追い出さそうしているようだが、残念ながらそれは失敗したようだった。
彼女に助け舟を出したのは、意外にも周囲の人々。
武装した騎士と教師陣、そして風紀委員の集団がその矛先を「部外者」たるエルネストに向けている。
「「武器を捨てて投降しろ!!」」
まるで犯罪者のような言いぐさだが、大きく二パターンに分かれたその声音にエルネストは苦笑する。
一つはいかにも傲慢に命令する者たち。
数の優位を自覚し、絶対の立場からむしろ無駄な抵抗をして楽しませろと言わんばかりな出で立ち。
もう一つは恐怖で蒼白になり、懇願を通り越して悲鳴に近い者たちだ。
後者は先の戦いを見ていたのだ。
自分たちをまとめて虐殺してもまだお釣りがくるであろう魔獣を難なく倒したその武勇。
その力が自分たちに向けられればどうなるか想像して腰が引けている。
「お前が乱暴しようとしている彼女が誰か分かるか……バウムガルデン家次期当主であられるスヴェン・フォン・バウムガルデン様の婚約者であり、第一王女であるロスヴァイセ様だ」
「バウムガルデン家に弓弾くその行為……その罪を少しでも感じるのならば跪いて許しを乞え!!」
前者の人間が口々に罵る。
どれだけ王家が軽んじられているか、そして九剣聖と言う名の上級貴族がそれに成り代わりつつあるのか分かりやすすぎる態度だった。
もはやこの国の支配者は王家ではなく、上級貴族連合・九剣聖へと移行している
銀髪の少女……ロスヴァイセは先ほどとは別の意味で羞恥に震えている。
あからさまな侮辱に、だがその顔は鉄面皮で取り繕われていた。
言われ慣れているのだ……そして抗議は無意味であることも理解している。
「また会ったな、エルネスト・シュタイナー……武芸祭で狼藉を働いたとの報告があったが、それは本当か?」
教師や風紀委員の群れを掻き分けるように現れたのはスヴェン。
仏頂面の顔に、今は憎悪が乗っている。
「肝心な時にはいないくせに余計なことばかりすると吹聴されたくなければ、もうちょっと情報は精査するんだな……俺は周囲の生徒とお前の婚約者を不死者から守った大恩人だぜ」
挑発的な物言いに周囲は色めきだつが、スヴェンは乗らない。
ただ大剣を持つ右腕に力を入れるが、さすがに抜剣とまではいかなかった。
「事情聴取をしたい……来てもらおうか」
「茶と茶菓子は出せよ……動き回って喉がカラカラで腹はペコペコだ」
皮肉を放ちつつも、エルネストは素直に連行される体だった。
何もむやみやたらに反抗する男ではないのだ。
ただ、歩こうとしたところで、背後から気配を感じる。
服の裾を引っ張る何者かはロスヴァイセだった。
何か言いたげな顔でエルネストの表情を伺っている。
「貴方はエルネスト・シュタイナーなのですか?」
「そうだが……ジークルーネ姫の私兵団「親衛隊」のエルネスト・シュタイナーだ」
その声を噛みしめるようにロスヴァイセは何度も頷き、しかし結局何も言わずに掴んでいた服の裾を話す。
どうにも煮え切らない態度だったが、何かの葛藤を抱えているのが伺え、あえて悪くは取らなかった。
「また、後でな……」
そう言って、別れの挨拶代わり軽く頭を撫でるエルネスト。
つい小さな子供扱いをしてしまい、勝手に髪に振れたことで怒られるかとも思ったが、彼女はむしろ少し嬉しそうだった。
口元がほころんでいる。
妙に印象が良いことに疑問を持ちつつ、今度こそエルネストはスヴェンの後を追い始めた。
(あいつ……婚約者に一瞥も向けなかったな)
興味がないとも思えない。
スヴェンは婚約者であるはずのロスヴァイセと会話どころか、目も合わせなかった。
ロスヴァイセが不死者に喰われそうになったというのに。
無関心と言う訳ではない……被害者と言う関係者だ、風紀委員ならば詳細を聞くのが当然。
あえて無視したのならば、それはむしろ非常に執着していることの裏返し。
どうにも仲がよろしくなさそうなロスヴァイセとスヴェン。
エルネストは嫌な予感を抱きつつあった。