武芸祭・一
「ちっ、うまくいかねえな……」
コロシアム近く、小高い丘の上に置かれた貴賓室扱いの天幕で主催者の男子生徒が不満げに試合を見ていた。
演台では、銀髪の少女が大柄な生徒を圧倒している。
低い身長の不利さを逆利用して下段狙いの連続剣。
相手が踏み込むと同時に足を払い、体勢を崩すことで常に先手先手を狙う。
既にその戦法で二人を打倒している。
彼女に賭けた人間はまさかの勝利に歓喜し、高額の配当金を何に使うかと嬉しい悩みを抱えていることだろう。
しかし、その悩みは杞憂に終わる。
このようなギャンブルの運営など、男子生徒はいままでやったことがなかった。
それ故にその運営は杜撰を極めていたのだ。
掛け金は言い値で、配当金は単純に倍、誰に賭けたかも自己申告……。
それ以前に運営資金すらロクに用意していなかったため、既に配当金を支払う余裕などなくなっていた。
当の男子生徒は笑って誤魔化せばいいか……ぐらいにしか思っていないので焦りすらしない。
彼にとっての悩みは試合の盛り上がりに欠けること。
家が九剣聖の一角であり、親の英雄譚を聞かされて育った彼はその一幕であった強者が集った「武芸祭」を再現したかったのだが、学生レベルで竜を狩るような勇者同士の決闘など起こりようがなかった。
「あれを投入するか……」
背後を振り向くと夜中に苦労して運び込んだ檻が複数、天幕に隠されていた。
一見、ぐったりとした大型犬にしか見えない。
だが腹がごっそりと削れ、中からピンク色の内臓が覗いている。
頭が半分割れている個体もおり、既に息がないことは明白だった。
だが奇妙なまでに身体に生気があり、その瞳が朱色に染まっている。
それは不死者と呼ばれる化け物が「休眠」している姿だった。
父親がどこぞから仕入れ、こっそりと地下に保管していたそれをこの不良息子は無断で持ち出したのだ。
不死者は力の源たる「黒霧」がなければ動けない……慎重に運用すれば安全なはずだった。
「銀髪のお姫様が、怪物との決戦……勝っても負けても盛り上がるぜ」
会場の歓声、それを主催した自分に対する称賛。
それを思えば、今から身体が震えるほどの歓喜を覚える。
「よし、やれ!!」
*****
「おい……正気か?」
三戦目の試合が終わり、今度もまた少女の勝利に終わった。
四戦目は……もうないだろう。
その小柄な身体に不似合いな苛烈な攻めを行った少女は消耗しており、もうまともに動けそうにない。
だが運営側はまだ続けたいのだろう。
何やら準備を初めたのだが、黒い霧のようなものを散布し始めた所で、ダラダラと観戦していたエルネストの身体に緊張が走る。
ぼんやりとした瞳はそのままだったが、身体が弾かれたように跳ね起きたのだ。
黒霧は常に血と悲鳴と共にあった。
大戦と言う名の島民が絶滅しかけた熾烈な戦争。
その中で不死教徒という者たちがいた。
元々は王家に反旗を翻した武装勢力が不死者を利用しようとしたことから始まる。
王家が腐敗していたため、反乱自体はおおむね受け入れられたが、利用した存在が悪すぎた。
三女神が神ならば、それに仇なす不死王もまた邪神と言う名の神。
神を人間ごときが扱えるわけもなく、復活の儀があった南部の中心都市グレイプニルは一晩で壊滅。
邪教徒は皆、喰われて文字通り消滅した。
神が人に配慮する訳もなく、その眷属たる不死者もまた同様。
まるで獲物に襲い掛かる猛獣のごとく、疾駆するエルネスト。
柵を乗り越え、演台に殺到する。
演技の邪魔をする不埒な者を制止する声は、そのあまりの俊敏さに言葉を失った。
だが遅い……霧散することなく演台に充満し、その場を支配するように固定された黒霧は不死者の目覚めを意味していた。
「今回、見せますのは大戦の再現……銀髪の勇者と魔犬の……」
口上が中途で尻すぼみになる。
檻から出された四体の屍はなく、ただ檻よりもなおも大きい巨大な肉塊があるばかり。
よくよく見れば、その肉塊から犬の足やら鼻先が突き出ているのが見える。
あるはずの物がなく、ないはずの物がある。
その不可思議に首を傾げたが、それもわずかの間だけだった。
まるで卵が孵るように肉塊から大人の胴ほどもある巨大な右の前脚が飛び出してくる。
次に遅れて左の前脚、二つの後ろ脚が同時に、最後に胴……犬としてあまりに不格好な三つ目の頭が表れた。
「あれ、あれあれあれ……」
それは堂々たる魔獣だった。
熊や虎とてこれの前では一撃のもとに屠られるだろう。
雄たけびの一つも挙げれば、それらしくもなるのだが、その魔獣はただ女神の眷属たる人族を喰らい殺すことにのみ執着する。
淡々と殺戮を繰り返すさまは生物というカテゴリーから外れる禍々しさを実感させるだろう。
その朱色の瞳が、銀髪の少女に照準を合わせた。
*****
不死者の本体とは屍のことではない。
それに取り付く亡霊のような存在が真の姿。
肉体などただの入れ物でしかなく、それを用途に応じて改造することになんの躊躇もない。
小さければ複数が合体して大きくなればよく、肉が足りなければ生命あるものから奪えばいいのだ。
不死者のランクは内在する魔力の多さと、その制御力。
今回は悪いことに四体の魔犬は傍目には同じように見えてその中に頭一つ抜きんでた高ランクの不死者が存在していたのだ。
結果、他の三体を統率して一つの肉体へと作り直した。
巨大な体躯は質量をも無視している。
黒霧を吸い込んで膨張したか、あるいはもはや不要となった生命維持に必要な臓腑も筋肉に変化させたのか。
観客席は大混乱に叩き落とされた。
悲鳴を上げて逃げ回る生徒はむしろ機転が利いている方に属した。
ほとんどの生徒は棒立ちになるか、腰を抜かしてその場から身動き一つ取れない。
(18、19……くそ、もう数えるだけ無駄か……避難誘導は無理だな)
エルネストには「見えていた」、そういうことができるのだ、彼の「偽りの頭」は。
彼は疾駆するまま、魔獣と銀髪の少女の間に割り込む。
少女は勇敢にも臨戦態勢に入っていたが、先の試合の消耗は隠しきれない。
もっとも、例え万全の状態であっても相手にならなっただろうが。
少女の剣技はしょせん、人間を相手にするレベルに留まる。
「動くなよ……そうすれば生きて帰らせてやるからな」
有無を言わさぬ断固たる意志を感じさせる低い声音。
少女の目が丸くなる。
その視線は自分を守るように立つ少年の背に注がれていた。
まるで嬲るようにゆっくりと向かってくる魔獣。
だがそれが……身体制御が完全でない不本意な行動であると、エルネストは経験から既に見抜いていた。
(次の段階に移る前ならば、まだ俺一人でもなんとか行けるか‥‥…そう思うことにする)
いつの間にか手にしていた神剣を正眼に構えるエルネスト。
それは奇しくも、かつて英雄譚の最初の一ページ……武芸祭で起きた「襲来」を再現していた。