決断の日・上(昼)
「……と言う訳で、人と会う約束ができたから夕食は三人で楽しんでくれ」
トイレに行ってくると称してハインリヒと会って来たエルネストは、こともなげにそう言った。
現在、昼。
今から半日後にランドルフとの会合がある。
「だ、誰とお会いになるのですか?」
「悪いが言えない……食事にしようか」
ロゼの絞り出すような声、風邪かな? とエルエストは心配する。
ロゼ、セシリア、オフェリアの三人の驚愕も……彼は特に気にも留めない。
そうこうするうちに料理が並べられた。
果実を入れて焼いたパンに、柔らかく煮込んだ牛肉のシチュー。
彩り豊かなサラダ、高級品扱いの蜂蜜をふんだんに使った漬け果実。
香草を腹に詰め込んだ魚を丸ごと使った香草焼き。
どれもこれも高級品で、庶民ならばハレの日でもそうそう食すことはできない。
25年前ならば王族でもそうそう出されない食卓の内容に、現在の豊かさを感じ、エルネストは感慨深く見つめる。
食欲が彼にとって強い欲望であるが、思春期真っ盛りの少女三人はそうではない。
エルネストが「苦しい言い訳?」を駆使して女がらみの店に行くと三者一致で決めつけた。
「人に言えない相手と会う」とはつまりはそう言う事だろう。
出来立ての香草焼きを美味しそうに頬張りつつ、他の料理とシェアしたら無作法かとエルネストは暢気に考えていた。
*****
ただいま、作戦タイム中。
無理やりな理由をひねり出してエルネストを遠ざけて、喫茶店近くのベンチで女三人座っている。
ちょっと離れた所で、少し寂しそうにエルネストがデザート代わりに屋台の揚げ物を口に含んでいた。
「これは由々しき問題です……まさか女癖が悪いうわさが真実だったとは」
「……ここは断固阻止すべき。私の予想ではここで止めねばズルズルとのめり込むと見た」
「よ、良く分からないのですが……何をどうすればいいのですか?」
一人、分かっていないロゼに、二人が懇切丁寧に説明する。
このままではエルネストがどこか遠くへ行ってしまう。
なんとかして繋ぎ止めなければ。
「や、やはり剣とか神剣とか修練を重ねて認めてもらうのは如何でしょう……武芸祭、学園襲撃、祝賀会と私は大して役に立っていません。エルネストさんの隣に立てるようにやはり修練するしか」
まだ理解しきれていないロゼがおずおずと宣言する。
だが当然と言うか、二人からの反応は芳しいものではなかった。
「修練を積んでも隣に立てるまでに何十年かかるの? それだけの実力差がエルネストとはあるわよ。まあ、今の若さを維持しつつ五十年くらい修練を積めば足元には近づけるかもしれないけど」
「そのけなげな精神は素晴らしいと思うけど、義妹よ……今求められているのはそれじゃない」
どこか憐れむような眼でロゼの頭を撫でようとするセシリアをロゼが迎撃する。
しかし振り払われた形だが、セシリアは未だニヤニヤと笑っていた。
「子供扱いしないで下さい!!」
「子供扱いなんてしてないよ……どちらかと言うと義妹かな……?」
「私は子供扱いしているかな。なんかお腹いっぱい食べさせてあげたい」
二人のあんまりであんまりな態度にロゼが激高する。
「もう、怒りました……決着をつけましょう」
「望むところだよ……ならばこちらは切り札を切ろう。決戦はあそこだ!!」
セシリアがビシリと指差した先には二階建てのそれなりに大きい店舗があった。
一階が居酒屋……二階が宿のオーソドックスな宿泊施設。
いかがわしいことに使われることが多い場所だが、看板も用途に相応しい怪しいものだった。
「……メイド喫茶?」
「そう……学園のBクラスが出店感覚で出店した、ザ・思い人を落とすための特別施設」
「Bクラスって本当に勉強していませんね」
ロゼが呆れたようにBクラスのオフェリアを見やる。
オフェリアは明後日の方向を見て誤魔化す方向だ。
「と言う訳で、私たちが魅了して今晩のエルネスト女がらみを阻止するんだ!!」
「分かりました……ちょっとまだ理解しきれていないですけど、頑張ります!!」
気合十分のロゼ。
それをセシリアは邪な笑みで、オフェリアはどこか警戒するような顔で見送った。
エルネストが女がらみなど半分くらい二人は信じていない。
正直なところ、遊んでいるだけなのだが……二人にしてみれば身内以外の特定の男性に興味を示すこと自体が非常に稀なことであった。
*****
「ご、ご奉仕競争……だと」
エルネストは三人の提案に引きつった笑みで応えた。
完全にドン引きしている。
年頃の女子の考えなどこういうものなのか、と自分を誤魔化すの必死だった。
「最高点数を稼いだ一人が今夜はエルネストを独占と」
「いや、今日の夜は人と会う約束が……」
「若い娘の方がいいと言う事を教えてあげるよ」
「いや、だから……」
セシリアとオフェリアに両手を拘束され、背中をロゼに押されながらエルネストがメイド喫茶に向かう。
まるで屠殺場に引きずられる牛のようだった。
だがその場所に向かうにつれて引きつったエルネストの顔が幾分、持ち直す。
知らない場所ではなかったからだ。
「懐かしいな……ここは二年前。いや、27年前か……では逃がし屋をやっていたんだ」
「よく知っているね。バウムガルデン家の後ろ暗い事情を屠る場所だったんだけど……」
「昔、友人の母親が別居するのを手伝ったことがある」
「あれ……人妻に手を付けたんですか?」
警戒心を強めるセシリアに苦笑しつつ、エルネストはつい幼子にやるように頭を撫でようとする。
しかし途中でその無作法に気づき止めるが、右手がセシリアに奪われた。
強制的にナデナデさせられる。
「息子公認だよ……月に一度帰るか帰らないか分からない父親はあまりに酷いってさ」
ナデナデはまだ続く。
勘弁してくれと言わんばかりに右手を成すがままにさせる。
クセが強いとはいえ、その触り心地が良かったのと、撫でるたびに髪からいい匂いがしていたから止めるに止められなかったことはエルネストの心だけに留めた。
「これは……思っていたより一大事かもしれませんね」
後ろで怖い顔をしているロゼを、エルネストはあえて無視した。
*****
「では、着替えてきます……」
元気よく店の中に消えていく三人。
これから起こる大惨事に戦々恐々するエルネストは、しかしどうにかして有耶無耶にする所存だ。
友人であるランドルフとの会合は何をもってしても参加したい。
目先の欲に本文を失う阿呆はアンヘルだけで十分なのだ。
あいつのような馬鹿な真似はすまい……そう固く心に誓う。
「どの子が好みだい?」
店主らしき五十代の女性が話しかけてくる。
「この店の二階は宿になっていてね……登校時間になったら起こしてやるよ」
「学院は乱れ切っているな。ウチの姫さん……規律に厳しいジークルーネ女王陛下が聞けば顔面蒼白になるぞ」
「そういう時期なのさ……いずれ振り戻しが来る。その前に愉しんでおけばいい」
「相当な商売人だよ、あんたは……」
降参とばかりに手をひらひらさせるエルネスト。
そして一人目がやってきた。
それはオーソドックスなメイド服姿のセシリアだった。
真っ白で先がヒラヒラしているエプロンに頭にはカチューシャ、もといホワイトプラム。
スカートはロングで裾が足首までの長さ。
赤毛のポニーテールが動くたびにぴょこぴょこ動き、健康的な印象を強くさせる。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
貴族の子女としての教育の賜物か、姿勢が非常にいい。
スカートの両端の裾を両手で持ち上げて、お辞儀する様はまさしく物語のメイドさんだ。
夢見心地になりそうなその光景に、思わずエルネストは唸る。
「どうぞ……お茶です」
紅茶が注がれて、そこに種子のようなものが投入される。
甘い香りが鼻孔をくすぐり、エルネストは促されるままに手を付ける。
甘い……糖分のせいか頭が少しクラクラする。
「マイナス多めで数十点というところかねぇ」
「手厳しいですね、店長」
五十代後半ほどの女性……店長の厳しい採点にセシリアは余裕の表情で対応する。
だが次の瞬間、その余裕は脆くも崩れた。
「エルネスト・シュタイナーは南部出身。体質上、その媚薬は効果が薄いよ」
「……盛ったのかよ、お前」
エルネストがビビる。
毒を盛られるのは彼にとって少しトラウマなのだ。
「……ははは」
「調べが足りなかったね。盛るんなら北部の香草にしな。恐らく摂取したことがないから身体に耐性がない」
「……今度は気を付けるよ」
「おいおい……今度はなしにしてくれよ」
悔しげにセシリアが呻く。
この低得点では、もはや他の大失敗を願わねば勝つことは厳しい。
「もしかして三人ともこんなんなのか?」
「冒険者文化が南部から流入して、今の娯楽の主流は恋愛だからね。これが普通だよ」
「これが普通かよ」
げんなりとするエルネスト。
そして二人目が登場する。
「……セシリア、意外と与しやすし。もはやエルネストの心はこちらのもの」
「本人の前で言うんじゃない」
二番目に現れたのはオフェリア。
こちらは漆黒のメイド服だった。
だが大きな違いは色だけではない。
先のメイド服が古風な館物の住人なら、こちらはスラムの抗争物か。
胸を強調したデザインにスカートは下着が見えそうなくらい短い。
それでいて、手は肘まで足は膝まで布で覆われているせいで、余計に胸や尻の露出が際立つ。
オフェリアはそのままエルネストの元に向かい、しなだれかかるように腕を絡めて、そのままエルネストの膝に座る。
「……お触りは禁止です」
「……そちらから触るのはいいのかよ」
腕にはセシリアほどではないが豊かな感触がもたらされ、太ももには柔らかな尻の感触が脳を刺激する。
正直、エルネストの本来の顔は真っ赤なのだが、偽頭をつけているせいで傍目には分からない。
セシリアの指摘から、首筋には大きめのチョーカーを巻いているため赤面したかも分からない。
それで隠ぺいは済んだ、後は声が震えなければ動揺はバレない。
エルネストは「最善手」の応用で身体を制御し、オフェリアを迎え撃つ。
「……こういった戦法はセシリアの専売だと思ったが」
「セシリアは意外と臆病……スヴェンみたいに絶対に自分を嫌わない相手じゃないと大胆には責められない。さて……判定は」
「俺は下品なメイド服は嫌いだ……クラシカルな方が好みでな」
と言うが……実の所、エルネストはメイド服なら何でも好きであった。
あえて露出が少ない方を好むのは、かつて冒険者に煽られて見栄を張った手前、引っ込みがつかなくなった事情がある。
友人のアンヘルですら知らないエルネストの最重要機密であった。
「高得点……すごくドキドキしている」
「……ク、クソ」
オフェリアはエルネストの胸辺りをさする。
外面を取り繕っても身体は嘘をつけない。
心臓の鼓動で性的な興奮は明らかだった。
「これはもう勝負がついたかもねぇ」
早くも店長が判定を(エルネストを無視して)出しかけるが、そこで三人目が待ったをかける。
ドアが乱暴に開けられ、突撃するようにエルネストの前に立つのはロゼ。
ちなみに空気を読んだのか、オフェリアは同時に離れている。
ロゼの服装はセシリアと同様のクラシカルなメイド姿。
右手にはバスケット……中には干しベリーが山と入っている。
「食べさせるだけじゃ弱いよ、ロスヴァイセ」
「わ、分かっています……!!」
揶揄するようなセシリアに、ロゼの顔が真っ赤になる。
彼女は小さく口を開ける。
わずかに見える口内は綺麗なピンク色をしていた。
そこにベリーが入れられる。
「……ま、まさか」
「おぉぉぉ!!」
驚くオフェリアに、歓声を上げてはやし立てるセシリア。
ロゼは突撃を再開する。
椅子に座るエルネストに乗りあがり、そのまま顔を近づけた。
……。
ゴクリと喉が鳴る。
エルネストではなく、ロゼの。
口移しで食べさせようとしたロゼだったが、勇気のポイントが途中で尽きたようだった。
ベリーはそのまま彼女の胃の中。
結局、彼女はエルネストの唇の端を舐めるだけで終わった。
キスと言うには微妙で……仮に認められればエルネストにとっては初めての経験となるが、エルネストの表情は硬い。
彼はそのまま顔を傾けてロゼの耳元に口を当てる。
「俺が逃げられないように使ったな……「支配」を。神剣がなくてもある程度使えるとは、さすがは王族と言うところか」
「お、怒ってますか……」
「とっても……」
エルネストの右手が自身の脇腹近くを触っている。
そこが波のように波紋しているのは空間魔法を使って神剣を抜こうとしたから。
反射的に斬ろうとしてしまったのだ。
そうなればロゼはただでは済まない。
心配させてしまったことへのお仕置きが必要だった。
「もう一回使え……いますぐに」
「は、はい」
怒られている手前、逆らうことなくロゼが「支配」を使う。
どことなく嬉しそうなのは、許されたからからではなく、怒られたから。
ロゼはどうにもどんな形であれ、エルネストに自分を見てもらえることに執心だった。
「では、行きます」
ロゼの髪で隠された左の朱目が輝いたような気がする。
その瞬間を狙い、エルネストは自分の胸を力強く揉んだ。
心臓がある左ではなく、右の胸。
「あ、ひゃあ」
瞬間、ロゼが自分の胸を押さえて素っ頓狂な声をあげて床に転がる。
なんとか立とうとするが、足から力が抜けたのか、ペタンと足と尻を床につけたまま蹲る。
両手を股に挟んで俯きながら、小刻みに震えていた。
顔は先程よりもさらに真っ赤になっている。
「「支配」の能力の弱点だ……相手の神経に干渉する関係上、痛みなども同時に受けてしまう。しかもどういう理屈か何倍にもなって。痛覚がない不死者相手ならともかく、対人だと使いどころが難しいんだ。そして支配の弱点を知っている人間は決して少なくない」
やんわりとした言い方だが、その実エルネストはロゼの未熟さを責めているのだ。
その意図を正確に聞き取ったロゼが反省するように頭をさらに下げる。
彼女はまだペタンとしたまま、もじもじと身体を揺り動かしたままだ。
「どうした……心臓がある左は避けたはずだが」
「……もうちょっと待ってください。もうちょっとしたら治まりますから」
「……?」
結局、ロゼは治まらなかった?らしく、セシリアとオフェリアに肩を貸してもらい、フラフラとした足取りで着替えのために店の奥に消える。
その姿をエルネストは心配そうな顔で見送った。
*****
「で……どの子で今晩は遊ぶんだい?」
「いい加減、分かっているでしょう店長」
うんざりとした顔でエルネストは告げた。
「今晩は貴方の息子に会いに行くんですよ」
「おや……さすがに気づいていたか」
店長……イルメラ・フォン・バウムガルデンが懐かしそうな顔をする。
27年前、エルネストは彼女の息子であるランドルフと協力して夫であるローベルトとの別居に成功していた。
「懐かしいね……あんたは紫色のカツラをつけてノリノリだったね」
「つまらない理由で喧嘩したくせに……深刻に悩んでいたランドルフは言い面の皮だ。しかも意地を張って25年以上も帰らないとは」
「別居二年目に復縁の使者にあんな……リアちゃんと言ったかな。小さい子供を派遣してくるから悪いんだよ。「奥様が帰らないと私はクビになる」って怯えてて、やり方が卑劣過ぎるよ、まったく」
「そりゃ多分、アンヘルの入れ知恵だな。まあ、ローベルト様も本人が行くかせめて自筆の手紙でも出せば良かったのに」
エルネストが可笑しそうに笑った。
どうせ数週間で帰ると思ったからエルネストは別居に手を貸したのだ。
それが年単位となってしまったとは予想外だった。
ちなみにこの事はローベルトには言っていない。
さすがにヤバいと思ったからだった。
「奥様にはかないませんな。自由奔放で羨ましい」
「いや、今は後悔しているさ……若かったとはいえ、つまらない意地でアレにも迷惑をかけた」
「お、おぉ?」
エルネストが衝撃を受ける。
彼女の表情はいつの間にか悔恨に沈む老婆と化していた。
エルネストの認識では彼女はワガママな奥様だった。
最も15年以上離れた夫のローベルトが甘やかしたのも原因なのだが。
「ワガママ奥様も変わったようで」
「丸くもなるさ……私ももう60近い。もう身辺整理を済ませなくちゃいけない歳だ。現金な物だろう、死ぬと分かると今までの横暴がどうにも気になって仕方がない」
この島での女の平均寿命は60代半ば、男はそれより十は早い。
「たまにはあの子に顔を見せるように言っておいてくれ。アレがいなくなってからまったく会いに来なくなったからね」
「別居後、父親の目を盗んでちょくちょく会いに行っていたランドルフが……変わるもんだな」
寂しさに身を切られている老婆にそれ以上は何も言えず、エルネストは退店した。
向かうはランドルフとアンヘルが待つ隠れ家。
三人から逃げる形だが、奥様がなんとかしてくれるだろうと確信している。
まさしく疾風のように早く、それでいて静かに走るその様はローベルトの三奥義が一っ「最善手」の免許皆伝の動きだった。




