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決断の日・下(夜)

「……少し、集中が途切れ始めたな」


 なんやかんやで三人の買い物で疲れたせいか、長時間の沈黙で意識が薄れていたようだった。

 時刻は夕暮れ。

 現在、エルネストは王城のある旧市街の一端にある屋敷に赴いていた。

 王家が力を失い、九つの剣聖家が力を持つに至って圧政で制約されていた平民出身の商人が作った新市街。

 繫栄する新市街に寂れていく旧市街。

 だが昨今の剣聖家の殺し合いから来る混乱から、閑散な旧市街に居を構える者も少なくない。

 剣聖家も同様……そこはバウムガルデン家当主であるランドルフ・フォン・バウムガルデンの隠れ家であった。


「悪いな……少し時間がかかった」

「こちとら、なんでか知らないが不満を訴える三人を振り切ってここに来たんだぜ。一時間以上も待たせるなよ……茶の一つも出さないし」

「そう言うな……ランドルフは病気でな、あまり活発に動けない。まさかこの場に介護人という第三者を招くわけにもいくまい」


 エルネストの不平を、アンヘルが苦笑しながら受け流す。

 この屋敷に現在三人しかいない。

 エルネスト、アンヘル、そしてランドルフ。

 かつての大戦で肩を並べた親友三人、そして大戦後に陥れられた一人と、陥れた二人という立場でもある。


「先に言っておく……25年前に俺を姫さんと組んで嵌めた謝罪は聞かない。どうせ許すつもりはないしな。ただし報復の意思はない。どうせお前らに命令した姫さんの後ろに黒幕がいる。復讐はそいつにする。何よりも今お前らを殺したら娘のロスヴァイセの人生は絶望的な物になるしな」


 足音をかき消す柔らかな床。

 それでもなおエルネストは「彼の」来訪を察知した。

 今エルネストは偽頭をつけている。それに頼らずとも分かるのだ。

 鍛え抜かれたその鋭敏な感覚は奇襲の類を悉く看破する。

 もっとも集中していなければ行使できず、つまりは一時間程度ならばギリギリ集中は途切れないという事だった。


「そう言ってくれて助かるよ」


 重厚な扉をアンヘルが部屋の内側から片手で開ける。

 現れたのは大貴族にしてみれば質素な服装をした「老人」だった。

 夏の季節と考えれば厚着が過ぎると言えば妙だが、気にかかるのはそのくらいだった。


「毒か……」

「そうだ」


 引きちぎれば千切れそうな白髪、肌には潤いがなく香油で補ってもなおも乾燥が目立つ。

 落ち窪んだ眼窩は髑髏のようで、刻まれた皺はまるでヒビのよう。

 何よりも墨汁を垂らしたような斑点が顔の各所にある。

 見る人が見れば分かる。

 不死者の毒に内側から蹂躙されつくされた哀れな姿だった。

 恐らく……いや間違いなく服に隠された四肢も枯れ木の様に衰弱していることだろう。

 ランドルフは死にかけていた。


「25年ぶりか……お前にとっては一瞬のことだろうがな」

「久しいな、戦友。あの時より大分貫禄が出てびっくりしているくらいだ」


 身体の衰退とは相反するようにランドルフの目には強い意志があった。

 大貴族の当主と言う威厳はまだ存分にある。

 だが寿命が間近に迫っているのは間違いない。

 まだ四十を少し超えたばかりだと言うのに。


(全てはスヴェン次第か)


 この瞬間にエルネストはこの会合の目的を察した。

 現状、ランドルフが舵を取れば、三家に責められている現状は打開できる。

 だが打開するまでに、その途上でランドルフが死ぬ可能性も高い。

 政争中の当主死亡による混乱はバウムガルデン家にとって致命傷となる。

 ならば未熟な子息だとしても、健康な体を持つスヴェンを据えた方がまだ安全だ。

 リーダーの死亡に伴う、継続する意思の欠如は組織にとってあまりにも大きい障害だった。


「俺を陥れた罪悪感に漬け込む様で悪いが、先にこちらの要望を受けてもらう。ロゼの婚約を破棄して欲しい」


 エルネストはまず初めにロゼの政略結婚に言及した。

 政略結婚に関しては口に出す気はない。

 それは王侯貴族の義務だと割り切っている。

 だがスヴェンの言う……婚姻後の幽閉生活に関しては無関心とは言えない。

 正直、異常とさえ思う。

 嫁を監獄に押し込んで監禁させる。

 セシリアが愛人と言うならば本当に愛する者を守るためと理解できるが、それが実妹と分かればそれも成り立たない。

 容赦のない態度にランドルフは気圧されたようだった。

 だがすぐに持ち直し、淡々とその事情を話す。


「婚姻自体は、あの腐れ切った王宮からロスヴァイセを避難させる口実に過ぎない」

「では婚姻自体が意味のないこと」

「そうだ……スヴェンが関心を持つのはロスヴァイセが罪人であるという一点だけだ」


 ランドルフの発言に、アンヘルの顔に動揺が走る。

 制止を寛恕する意思は、しかし顧みられることなく……ランドルフは先を続けた。


「わしに劇薬を持ったのはロスヴァイセ……正確には彼女は仲介に過ぎないがな」


 淡々とランドルフは話し出す。

 およそ十年前、薬と騙されてランドルフの食事にロゼは毒を持った。

 本人としては、後妻に虐められている自分を助けてくれない当主に悪戯したかった程度。

 だが彼女を利用したのは王党派、店員に成りすました彼らは人体を破壊する劇薬をロゼに偽って渡していたのだ。


「ロスヴァイセの凶行には俺にも責任があるし、何よりも利用されていただけ。彼女に何か罰を与えようとは思わないが」

「スヴェンは違う」

「この事実は隠していた……まさか暴かれるとは思わなかった」


 ランドルフはどこか誇らしげだった。

 息子が自分の隠ぺいを破ったことに素直に嬉しいのだ。

 対してエルネストは、毒を盛った盛られたの事実に大きな反応は見せない。

 どこまでが本当でどこまでが嘘か。

 図りかねているのだ。


(悲しいね……俺は根っこの部分では二人を疑っている)


 信用に欠ける人物の言葉は、それだけで信じるに値しない。

 そんな乾いた関係となってしまったことに、エルネストは内心吐きそうだった。


*****


「じゃあ、婚約は破棄で構わないな」

「無論だ……我が息子スヴェンとロスヴァイセの婚約は破棄する。すぐにでも宣言しよう」

「いや、証文を書いてくれればいい。破棄自体は今のゴタゴタが終わってからの方が望ましい。とりあえず婚約を結んでいる状況なら、他の婚約は回避できるしな」


 現在のロゼは政治的に無防備な状況、バウムガルデン家次期当主の婚約者と言う隠れ蓑は必要。

 でなくば、早晩他家による争奪戦が始まってしまう。

 彼女は腐っても一応は王族。

 王室廃止で価値は下がるが、下級貴族や平民から見ればまだ輝かしい。


「そうか……かつてと違って慎重だな」

「俺も成長するってことだ」

「バカを言え……その程度で成長とは笑わせる」


 いつの間にかアンヘルが食事を運んできていた。

 パンに、魚介と炒めたコメ料理、ローストビーフにサラダ。

 さながらバイキングのような風情だ。


「毒は入っておらんぞ。どうせその偽頭には毒を察知できる機能はついているのだろう」

「それだって完璧じゃない……毒見役は任せたぞ、アンヘル」

「毒は入っていないと言っただろう……せいぜいビクビクしながら食事するがいい」


 軽口を叩きつつ、エルネストは一番にコメ料理に手を付ける。

 前言をあっさりと翻した行動にアンヘルが呆れたような顔をしたが、気にも留めない。


「婚約破棄を伸ばすのであれば、ちょうどいい少し助けてくれ。今のバウムガルデン家は危険な状況だ」

「だったら今、俺の価値が上がっているらしくてな。バウムガルデン家の誰かと婚約して一時的に身内として働こう。ほとぼりが冷めたら婚約破棄して出ていく」


 一瞬、ランドルフは顔を歪める。

 政略結婚が家と家の結びつきであり、婚約破棄が断交と宣戦布告に等しい重大事と考えている彼からすれば信じられない発言だったのだ。

 だがすぐに思い直したようだった。

 どことなく、あいつはバカだから仕方がないと納得しているかのようだった。


「何も一時的ではなく、本気で結婚してもいいのではないか?」

「……俺は親にもさじを投げられて奴隷市場行きになった男だぜ。結婚とか相手が嘆くどころの話じゃないぞ」

「茶化すな、馬鹿者……お前はだらしないからな。しっかりとした女に首根っこを押さえられた方がマシな生き方ができるだろうさ」


 アンヘルが説教するかのようにエルネストを責め立てる。

 エルネストはにやりと邪な笑みを浮かべた。


「人の事を言えるのか、アンヘル……女遊びが激しすぎて恋人に縁を切られたお前が。確か名前はリアだったよな」

「……お前はそれを知らないはずだが」

「……うちの姫さんに聞いたんだよ。デートをセッティングしたのが姫さんだからな」


 アンヘルの25年前の恋人。 

 大人しい、綺麗な黒髪が印象的な女の子だった。

 平原での決戦で辛うじて不死王を退けた連合軍は歓喜に包まれてお祭り騒ぎだったのだ。

 アンヘルも浮かれていた。

 活躍した親衛隊の一員として特に称賛された身。

 翌日がデートだと言うのに、すり寄ってきた美女らと朝まで騒ぎ、結局寝坊して恋人を半日ほど待たせることとなった。


「当時17歳……若気の至りだったのだ。功績さえあれば女は選びたい放題。デートに遅れても高価なプレゼントを渡せば許してくれるだろうと」

「平手打ちの一つでも飛ぶかと思ったが、黙って会釈して去っていったな」

「やめろ……25年経ってもあの時の事はオレのトラウマだ」


 アンヘルが胸に手を当てて苦悶の声をあげる。

 プライドが高く、常に余裕を持った態度を心掛けている彼にしては珍しい。

 それほど深刻な衝撃を当時受けて、その傷は未だ癒えていないらしい。


「で……リアちゃんは今?」

「流行り病で数年前に亡くなったよ……元々、身体があまり強い方ではなかったからな。そう言えば、お前もリアに御執心だったそうじゃないか、嫌われてたらしいが」


 アンヘルが反撃するように恨みがましい視線をエルネストに送るが、彼はどこ吹く風だ。


「ローベルト様が出ていった奥さんとの復縁のために派遣した使者がリアちゃんだ。当時15歳。結局、復縁が適わず八つ当たりで軍をクビになったが、あまりに酷過ぎだったんで、親衛隊の末席に無理やり雇用させた」」

「完全なコネ就職だな……反対が多かったんじゃないのか」

「押し通したさ」


 アンヘルが若干引いていた。

 大戦時のジークルーネ直轄の親衛隊は後の近衛師団であり、現在ではジークルーネをうまく見限り、正規軍として剣聖家に匹敵する権力を得ている。

 不死王を退けた……勝利ムードが出始めたあたりから親衛隊の地位や、そもそも入隊時点で過酷な権力闘争が起きていたのだ。

 末席とは言えコネ就職の凡人など引き釣り落とすターゲットとも言える。

 ジークルーネの側近のエルネストの引き立てだからその地位を維持できていた。

 事実、エルネストが封印されて親衛隊を去った後、すぐに解任されている。


「まったく……世間は狭いな。しかしそうならばお前はリアにとって恩人となるが」

「私を憐れんでいるのですか……と聞かれたから、そうだと答えたら嫌われたようだ」

「言い方ってものがあるだろう。お前は本当に……」


 アンヘルが苦笑する。

 友人の雑な性格に、どこか呆れているかのようだった。

 

*****


 その後も昔話が続く。

 エリーゼの切腹事件に、彼女とベルンハルトが結婚した時の事、ジークルーネの父ベオウルフが不死教徒に攫われた事。

 大戦の話題は避けられ、それ以前の家の事が中心となる。

 大戦はあまりに犠牲が多く、血生臭すぎたのだ。

 そうなると、どうしても大戦以後に親しくなったランドルフは阻害される形となる。

 だが彼はそんな二人の会話を、どこか微笑ましい顔で見ていた。

 それは末期を迎えた老人のそれに近い。


「そろそろ重要な件を話そう、先日お前が倒した不死竜の事だが解析が終わった。核となっていたのはやはり不死王の一部だった……「指」だな」


 エルネストが途端に顔を険しくする。

 切り替わりが早い。

 今の彼はもうはや戦場に出ている時と同様の緊張に包まれている。


「南部の中心、グレイプニルの決戦を覚えているか。打倒した不死王の遺骸は粉々に砕いて灰になるまで焼き尽くしたが、斬り落として瓦礫の下敷きになった「右手」は最後まで発見できなかった。どうもそれを数十年かけて掘り起こした輩がいるらしい」

「王党派か……馬鹿な真似を。25年前に不死教徒が復活と同時に食い殺された事をもう忘れたのか。不死王は邪神だぞ。自身の復活を助けたからと言って忖度するような物じゃない。そんな知性もないしな」


 吐き捨てるようなエルネストの呟き。

 大戦での不死王打倒は彼にとって聖域のような物。

 それを覆す人間は絶対悪なのだ。


「知性がないと言うのは本当だが……どうもそんな単純なものではないらしいぞ」

「どういうことだ」

「あれから研究が進んでな。それで……」

 

 アンヘルが途中で話を止めた。


「ランドルフ……?」

「バカな……もう薬が切れ始めたのか」


 服から予想されたように、枯れ木のような手が飛び出て、まるで砕くかのように頭を押さえていた。

 大量の脂汗が流れる。


「……エルネスト、今宵は悪いがここまでだ」

「どういうことだ?」

「発作だ……ランドルフは今では正気でいられる時間の方が短い。しかし早すぎる……後数時間は持つはずが。クソっこれもロゼのせいだ……母親も役立たずだが、娘も娘だな」


 かつての主君を、アンヘルは完全に見限っていた。

 その娘に対しても本心ではもはや他人だと思っている。

 エルネストがどこか悲しそうな顔をするが、アンヘルはそれを見逃した。


「俺には未練がある……女には恵まれなかった。俺を捨てて若い男に走った愚かな母。そうでない女性をお前に紹介するよ」


 発作には波があるのか。

 少しだけ余裕が出たランドルフがエルネストに弱々しい目を向けてくる。


「俺の事はいい……養生しろ」


 アンヘルに肩を貸され、ランドルフが引きずられるように部屋から出ていく。

 その後、数十分程経ったが、二人が戻ってくることはなく。

 もはや会合が終了したことをエルネストはようやく理解した。


「どの口で言うか……」


 毒ずくエルネストはうっ憤晴らしに目の前の食事に手を付ける。

 ストレスが溜まると、食べて飲んで動かなくなる人間なのだ。

 幸いにも毒は入っていなかった。

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