仄暗い底の先
(意外に過ごしやすいな……)
濁流のような世界をエルネストは流されていく。
かつて大戦時……不死者に飲み込まれた時の事を思い出し、その差異に少々戸惑っている。
あの時は傷口に塩を塗り込まれるような激痛を全身で感じていた。
まさしく本当に消化されているという感じだったのだが、ここらはまだ薄目を開けていられるほどに緩い。
言うなれば寒空で冷水を浴びせられたほどの苦痛か、あるいは鈍器で全身を殴られている程か。
エルネストは今にも切れそうなセシリアの糸を伝って彼女を探す。
程なくして、ぐったりと漂う半裸の女子が見つかった。
すぐに見つかったのは千切れたコートが淡く光っていたからだった。
耐魔加工をした服は破損しても短時間だが着用者に加護を与える。
とはいえ、そういった効果のある物はかなりの高額だった。
大戦当時で1000万単位。
25年間で技術が進歩して単価が安くなったとしても、大貴族でさえ購入するのが躊躇するレベルだろう。
それを自分にではなく「愛人」に着せるとはスヴェンも酔狂な、それか余程大事であるらしい。
(これがモテる秘訣か……)
そんな場違いな事を考えながらエルネストはセシリアを抱え込む。
「……」
その時、彼女が何事かを呟く。
反射的に耳を寄せたエルネストは「それを」聞いた。
「……どういうことだ?」
その言葉の意図を図りかねる。
だが深く考えている暇などなかった。
濁流に突如として流れが生まれたのだ。
まるで胃に押し流される咀嚼物のように二人は流されようとしている。
ここは不死竜の異空間……どこかに行くことなどありえない。
しかし、何か危険な状態に陥っていることだけは理解できた。
必死に流れに逆らうエルネストは偽頭の索敵能力を全開まで稼働する。
どこかに出口はないものか。
結果はゼロ……この異空間に逃げるチャンスなどない。
(このままでは打つ手なしか……ならば)
エルネストの偽頭が霞のように薄れていく。
索敵特化の作り物の頭が消えて、本来の頭が出現。
接続……。
白髪の長い髪、朱色の両目。その顔はひどく幼く見え17という年齢よりも1,2年は下に見える。
だがその顔には童顔にそぐわない獰猛な笑みが浮かんでいた。
異空間に収納されていつも使っていないはずの表情筋だが不思議と衰えていない。
実質、仮面をつけているも同然なのだが、仮面の下で怒ったり叫んだりしているためだ。
構えるは神剣。左脇にセシリアを抱えているため、剣を振るうには不自然な格好だ。
しかし動きが制限されるということは、制限された部分の「最善」を考えなくても良いという事。
元より左腕などないと思えば問題ない。
常にエルネストはそうして己に制限をかけて戦ってきた。
偽頭の索敵能力は索敵を精査している分、思考のリソースが割かれる。
何よりも偽頭越しに触覚を除いた四感を感じることになるため、感触が大分鈍る。
それでもそれを使用するのは同胞を守るため。
大戦の頃、彼は不死王打倒など目標になどしていなかった。
ただ親衛隊の仲間と戦いの日々という日常が続けば良かった。
ある意味、エルネストは親衛隊の仲でもっとも不純な動機を持って戦っていた背教者だったのかもしれない。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚……四感を閉じ、体内の鼓動に思考を傾ける。
イメージはいくつもの懐中時計。
刻む早さも長さもリズムすらも違う時計たち。
通学路でスヴェンの時に披露したそれに比べ、時計の数は倍を軽く超える。
増えた分は「神剣の鼓動」。
己以外の物質の鼓動を、五感のいずれにも属さない何かで感じ取る。
そして侵食される身体の痛みに頓着することなくエルネストは時計たちが同じ時を刻む瞬間をつかみ取った。
振るわれる刃は空間の虚空を斬る。
浄化の付与がない神剣の一撃は不死者にとってただの斬撃に過ぎない。
不死者の長所はその融通無碍な生態にある。
例え弱くとも、流れる水のように不確かな存在をエルネストの剣では斬れない。
だが不死竜の「製作者」はそれを理解できなかったようだった。
エルネストははっきりと不死竜の中枢を、決して破壊されてはいけない大事な急所を両断した。
その感触を確かに捉えたのだ。
崩壊する空間。
獲物を消化する胃袋は今や真の意味で腐敗する臓腑になり果てた。
飲み込んだ獲物に体内を切り裂かれ、悶絶する巨大な猛獣。
次々と開く微細な穴から光が差し込み、それは次第に大きくなっていく。
「……?」
そんな光とは別に初めから開いていた巨大な穴。
エルネストとセシリアを流そうとしていた先。
奈落とも言うべきそれがエルネストの目にはっきりと映る。
まるで巨大な鍋のような石造りの建造物。
中には白骨死体とわずかに残った衣服。
地獄の釜とも言うべきだろうか。
そこは不死竜が二人を転移させようとした場所。
(王宮……?)
その場所に見覚えがあった。
たった一回だけ訪れたことがあった。
不死王への反抗作戦を決定し、兵たちに宣誓したその日。
没落王族として蔑まれていたジークルーネが子供のように喜んでいたのを鮮明に覚えている。
不死竜は吸収した人間を王宮に転移させていた?
疑問を浮かべたのもつかの間。
エルネストと、彼に抱えられたセシリアは吐き出されるように通常空間へと帰還を果たした。
*****
全身から真っ黒い血を噴出させて不死竜は仰臥する。
瀕死の病人が往生する瞬間のようだった。
エルネストはそんな竜の腹部分から突如として出現する。
空間の穴から出てきたのだが、傍目には腹を突き破ったように見えたかもしれない。
ぞんざいに振るった神剣で肉塊を払って進む。
王者の行進のように威厳のある歩みだが、何のことはない。
力を消耗して走れなくなっていただけだ。
さらには邪気を帯びた血の雨を浴びて、残り少ない体力がゴリゴリと削られていく。
運がいいことに、今の不死竜にそんな無防備な背中を攻撃する余力はなかった。
すぐに駆け寄って来いよと心の中でエルネストは愚痴る。
連度の低い三流未満部隊は、不死竜の崩壊を呆然と眺めているだけだった。
「エルネストさん……」
最初に反応できたのはロゼだった。
一目散に駆け寄ってくる。
抱き着こうとしたが、すぐに状況を理解してエルネストの右肩に肩を貸す。
次に動いたのは正規軍のオフェリア。
こちらは女子にしては身長が高いせいか、エルネストに合図して小脇に抱えられていたセシリアを受け取る。
半裸姿を見られないように自分の制服を上から着せる気の付きよう。
「後は任せた……」
疲れ切ったエルネストがそういうと、正規軍とバウムガルデン私兵が飛び上がるように命令を順守する。
もはや指一つ動くのもやっとの不死竜を囲み、集中砲火を再開させる。
不死竜も化け物と言うべきか、それでも再生して迎撃態勢を整えようとしているが、再生が間に合わない。
これならば、冒険者ギルドだかの援軍が到着するまで足止めは可能だろう。
トドメをさせるかは分からないが……。
「やっちまっいやがった……あんた、本当に何者だ?」
「後にしてくれ……今は眠くて仕方がない。そこで仮眠するから」
「それはいいけど……その顔?」
「おっと……」
エルネストが何事か唱えると白髪頭が消えて、いつもの黒髪頭が首の上に現れる。
白髪頭は血といろいろな物で汚れ長髪も乱れて酷い物だったが、黒髪頭も同様だ。
だが途中で自空間に仕舞ったため、黒髪の偽頭はまだマシな様相をしていた。
ちなみに長髪と汚れていたため、白髪頭の素顔は恐らく他者には見えていない。
その不可解な動きにハインリヒが疑問を浮かべる。
「なんで素顔を隠すんだよ……」
「王家の秘密だよ……」
などと誤魔化すが、隠す最大の理由は単純にそうした方がミステリアスで格好いいと本人が思っているからだったりする。
そういう子供っぽい所が彼にあり、主君のジークルーネが彼を恋愛対象から外した理由の一端でもあった。
「あれが本当の顔なんですか?」
嫌に興奮してロゼが寄ってくる。
顔を真っ赤にしている様は恋人への告白のようにも見えた。
「見せてください!!」
「選抜戦で勝ったら見せてやるよ」
「本当ですね、絶対ですよ!!」
尻尾があったらグルングルンと振り回していそうだと、エルネストは失礼な事を考える。
「さて、何かあった時のために俺はそこで寝ているから、せめて毛布ぐらいは用意してくれよ」
「その必要はないぜ」
ハインリヒがとっておきの悪戯を披露したかのように邪な笑みを浮かべる。
そしてエルネストに耳打ちした。
「少数だが、正規軍の一流どころが冒険者に扮して向かっている。時期に決着がつくさ」
「正規軍の一流どころは郊外都市にいると聞いたが?」
「何も騙し合いは剣聖家の専売特許じゃねえだろうさ」
「ふん、政治的なことは俺の興味範囲外だ」
本当に興味なさそうにエルネストは後ずさる。
「まずは風呂かな……」
「風呂はホールから出て左に曲がった突き当りだ。数十分ぐらい入ってていいぞ。出たころにはそれなり食べられる物をここに用意しておく」
え、ここで食事するんですか? とロゼが血臭と死体がゴロゴロ転がるホールを見渡すが、エルネストは気に留めなかった。
「魚とコメ多めな……甘いものは苦手だ、辛い物中心でよろしく」
「まかせたぜ」
ハインリヒの威勢のいい声に後押しされるようにエルネストは戦場から離脱した。
それより数時間後……いやに練度の高い冒険者による浄化によって不死竜は討滅された。
王党派のテロ、剣聖家の失態……新聞にはそう記載されたが、真実は関係者の間で留められることになる。




