祝賀会・六
「あり得ないから……」
それはロゼが七歳ごろの頃。
朝食でのテーブルマナーが悪かったという理由で彼女は蔵に閉じ込められていた。
夏の暑い日、石造りの蔵の中は灼熱の空気が充満していた。
意識が朦朧とする中、昼食の時間が来ても扉が開くことはなく。
遥か高みに設置された窓の外から流れる風の冷たさが唯一の生命線だった。
結局、開けられたのは昼食が始まって十数分経った頃。
開けたのはロゼを閉じ込めたランドルフの後妻ではなく、遊びに来ていたセシリアだった。
開けられた途端に、ロゼは這って進み、朝食での無礼を詫びたが、セシリアの顔はひどく渋い。
―――テーブルマナーなんて関係ない、口実がただ欲しいだけ。
―――どんな些細なことでもいい、自分が虐待する正当な理由があれば、自分が悪者にならないような理由があればそれでいい。
ポツポツと話された真実に、しかし朦朧とするロゼは理解している様子はない。
それを見抜いたセシリアは兎にも角にも彼女を背負って涼しい場所に移動する。
当主ランドルフは何かに怯えるように結婚と離婚を繰り返した。
一方的で手前勝手な彼の離婚の際、大貴族の権力を使って不倫の捏造すら行うこともなり、「妻」としてそれはたまらない。
しかし逆らえないので、鬱屈した憎しみは預けられっ子であるロゼに向けられた。
代々の妻の内、一時の契約と割り切って贅沢を満喫していた妻はまだいい。
わずかでもランドルフに好意を持っていた者、あるいは大貴族の妻として野心を抱いていた者。
裏切りにも感じるランドルフの酷薄さに憎悪をたぎらせる。
期待や思いが強い分、反転した時もまた凄まじい。
ロゼが虐待されていることはランドルフも知っていたが、「妻の憎しみが他で発散されるのならば安堵できる」と見て見ぬふりをしていた。
当時の妻はランドルフの幼馴染の分家出身の元メイド長、セシリアの母親だった。
ロゼにとって最悪の部類に入る。
夫への愛情と同時に野心を持ち、使用人も掌握していたからだ。
時たまヒステリーを起こし、ロゼに怒りをぶつけた。
「障害が残らないように」とのランドルフの戒めも守るかどうか怪しいほどに激しく陰湿な虐め。
だがこれ以降、「母親」と義憤にかられた「娘」セシリアとの対立が生じた。
時には大声で言い合うこともあり、セシリアへ対抗するために「妻」の虐めは目減りした。
ランドルフは今回も無関心だったが、その息子のスヴェンは当時からセシリアを気に入っており、その後押しもあって意外にもセシリアは健闘する。
また「妻」は己の野心旺盛な性格が仇となっていた。
後から来た存在に妻として上に載られることを家臣らは内心では不愉快に思っていたのだ。。
結局、二年後に「妻」は家を半ば追い出される形で出ていき、それ以降さすがに反省したのか、ランドルフは結婚することがなくなった。
以後の六年間、ロゼにとって比較的平穏な生活が続くことになる。
―――「姉」が「妹」を助けるのは当たり前
セシリア・ノールが代わりにバウムガルデン家に住むようになったのだ。
*****
不死竜にセシリアの身体が完全に飲み込まれた。
それを会場の面々はなすすべもなく見守る。
一瞬の事だった。
エルネストでさえ動けなかった。
油断がなかったとは言えない、だが人外の化け物の動きを完全に把握することなど不可能だ。
停止する時間……その中で誰よりも早く動き出したのは銀髪の少女だった。
「何をするつもりだ!!」
「引きずり出します……止めないでください!!」
ロゼが不死竜に特攻しようとするのをエルネストはすんでの所で抑え込む。
背中からはかいじめにされたロゼは必死に暴れるが、エルネストの腕はビクともしない。
「親友なんです……恩人なんです」
「だがもう……」
ロゼの右の翠眼が左の朱眼のように赤く染まっていた。
浮き出た血管、目尻には涙が、透き通るような白い肌は逆に血の気が引いて石膏像のようだった。
焦燥に駆られたその表情は、徐々にだが自分を抑え込むエルネストへの怒りに代わっていく。
それを見かねたエルネストは、不死竜へ視線をずらす。
聖光をまとった糸に絡みつかれていた不死竜は既に糸を力任せに振り切り、再び翼を広げつつあった。
(糸がまだ光を放っている……まさかまだセシリアに意識があるのか)
タフだな……。
エルネストは素直に称賛する。
自分ならば、意識は保っていても神剣の操作する余裕などない。
「実際に」そうだった。
「飲み込まれたのならば、数分で吸収される。今は不死竜自体が弱まっているうえに防御に思考を割かれているから消化されていないが、それも時間の問題だ」
「そうなのですか……?」
「経験談だからな」
エルネストとしては死にかけてと言う半ば自嘲であったのだが、ロゼはそうは取らなかったらしい。
発言の失敗を知ったが、放たれた言葉はもう取り返しがつかない。
「飲み込まれても自力で生還したことがある……と」
「ま、まあ……」
ロゼの瞳に希望の光が宿る。
だがそれも一瞬の事だ……すぐに翳ったその意味をエルネストは正確に把握していた。
「俺相手に遠慮は不要だぞ……一応は身内だ。自殺しろっていう訳じゃないんだから」
そう言ってロゼの頭を撫でようとするが、出した手は彼女の両手に包まれる。
愛おしそうなその顔は、どうにも母親に縋る幼子のようだった。
「お願いしても……いいですか?」
(こういうところも母親に似ているな、相手は俺じゃなくて父親だが……同じ顔をする)
クズな父親、そのせいで王族貴族仲間からは爪弾きにされたロゼの母親のジークルーネ。
周囲からの迫害は、いつしか歪んだプライドを彼女に作らせた。
己が優位な時にしか他者と接することができない。
相手を叱責するときのなんと愉しそうなこと。
事情を知っている身内は許容できたが、それでもちょっと付き合うにはキツい相手であった。
そんなジークルーネだったが、どういう訳かクズな父親には最後まで希望を持っていた。
自分の事を見てくれるのではないかと。
その希望は叶うことなく、父親は不死教徒に八つ裂きにされてしまった。
結果として生まれたのは、美化された父親と父親殺害の間接的な協力者である「あの男」に対する憎しみだけ
「私に誰の事を見ていたのですか?」
「い、いや……なんでもない」
不思議そうに見つめてくるロゼに、エルネストが狼狽える。
「ともかく……潜ってみる。だが連れ戻せる保証はないし、俺自身が戻ってこれるかも分からない。十五分経っても戻らなかったら逃げろ。それだけは守ってくれ」
「分かりました……」
言葉とは裏腹に本当に分かっているのか怪しいロゼ。
エルネストが戻ってくるまで逃げない可能性が高い。
訝しむ彼に、近づいてきたのはオフェリアだった。
「は、話はまとまった……?」
ぼんやりとした表情は変わらない。
だが目には動揺が走り、顔には疲労の色が濃く青ざめている。
「私たちは撤退する気なんですけれど……ギーちゃんの義姉を助ける方法があるのでしたら協力します」
「不死竜の気を逸らすためにとにかく攻撃を続けて欲しい、吸収に全力になられると闇耐性のハーフデッドの俺でも数分で骨にされる……と言うか、俺が命令してもいいのか?」
「そうなんだけどね……」
言い淀み、視線を逸らす。
その先には、同じく青ざめた正規軍の将校らしき中年の男が棒立ちになっていた。
しきりに頭をかきむしり、顔には「どうして俺がこんなことに巻き込まれたんだ」と言う絶望が描かれていた。
確かに判断を仰げるような状況ではない。
いかに正規軍とは言え、三流未満の部隊長に回される人間のレベルはこんなものであった。
続いてエルネストはスヴェンの方を見る。
こちらも茫然自失の体であった。
まるで糸の切れたマリオネット。
ハインリヒが何事か伝えているが、耳に届いている様子はない。
セシリアの「死亡」が精神に致命傷を与えてしまったらしい。
(まあ、無理もないがな……)
敵に対する恐怖、そして親しい者の戦死……慣れてない者には耐えがたい。
そして経験しなくていいのならば、経験しない方がいい事柄でもある。
ともかく両者とも指揮権を放棄している。
今、不死竜討伐の指示を出せるのはエルネストだけだった。
「分かった……」
エルネストは頷くと、振り返ることなく三度不死竜に特攻する。
そのまま、体当たりするようにぶつかった。
悍ましい感触と共にズブズブと身体が沈み込んでいく。
意図を察して弾かれるかと思われたが、やはり不死者には知性はないようだった。
―――バカな奴
誰かにあざ笑われたような気がした瞬間、エルネストの視界は闇に飲まれた。




