中の人(2)
すべての非リア充、陰キャ、ボッチ気質、インセルの人々に捧ぐ
北九州は、高度成長期に重工業の工業地帯として栄えたエリアだ。かつては、製鉄業とそれに関連した製造業が街を支えていたが、製造業が人件費の安いアジア諸国へ生産拠点を移転し始めた頃からずっと地域の雇用と富を失い続けている。人口は、一九八〇年頃から人口は一貫して減り続け、国勢調査の結果が出るたびに、地元のニュースが今回も日本一の減少数だったと伝える。
製造業が去って残されたのは、広大な工場跡地、廃棄された工場設備、職を失った労働者たちだった。製造部門の縮小や工場閉鎖により本社の管理部門のエリート社員はいなくなったが、行き場のない現業労働者はこの地に残り続けた。
そして、製造業の職場がなくなっても職工たちが作り上げたブルカラー的な気風はそのまま残った。競馬、競輪、競艇の三つの公営ギャンブル場がある地方都市は、ここだけだろう。駅前には、スナックやクラブ向けの雑居ビル群が数百メーター続く。かつては賑わっていただろう建物は、今では空きテナントが目立ち、入口を閉鎖しているビルも少なくない。駅裏には、今は九州唯一となったストリップ劇場が細々と営業を続けている。
地域活性化の名目で、第三セクター方式で建てられた大型ビルが市内に数棟あるが、たいていは民間のテナントで埋めきれずに、ハローワークやシルバー人材センターなどの行政関連機関を入居させてお茶を濁している。ここで金まわりのいい連中は、公共工事がらみの案件を受注できる地元の建設業や工務店の経営者のようだ。
地元の不動産業者や建設業者によって作られたコワーキングスペースは結構な数になるが、そこを利用する知識集約型産業の起業家やスタートアップが増えたとは聞かない。
北九州がネット上で「修羅の国」と呼ばれているのは、数年前まで暴力団が活発に活動していたからだ。俺が小学生の時に、暴力団員の入店を拒否したクラブに手榴弾が投げ込まれた事件があった。幹部のプレーを拒否したゴルフ場の支配人が刺殺されたこともある。十年くらい前まで、みかじめ料の支払いを拒否した建設関係者などが銃撃される事件があいついだ。二〇一四年に逮捕された暴力団のトップに死刑判決が出たのは去年のことだ。県警が暴力団撲滅と治安向上に力を入れたこともあって、今は街を歩いても筋者の姿を見ることはない。
しかし、街には殘り香のように暴力の匂いが漂っている。俺は学生時代、ここから出ることばかりを考えていた。文化的な刺激がないのと、いまなお街に漂うほのかな暴力性に馴染めないからだ。
だが、また戻って来た。東京に地縁も血縁もなく、これといった才能もない俺は、東京で生き延びられなかった。だから、主人公は東京で殺した。