異変
空が血のように赤く染まっている。窓から差し込む光すら毒々しくて、黒い影とのコントラストをくっきり作っていた。
今私は崇さんの運転する車に揺られている。運転席に崇さん、助手席に咲さん、後部座席に私と北川さん。私は咲さんの後ろに座った。
お礼やら何やらを一通り言い終えた車内はやけに静かで、まるでこれから何かが起きるような不穏な空気がする。昼頃に来た時はこんなこと思わなかったのに……。
さっき北川さんからもらったお守りをぎゅっと握りしめた。札田家を出る前に思い出したように手渡されたのだ。それは崇さんもだった。
色は赤色で小さくて、よくあるお守りの形をしている。ただ違ったのは、長い紐が付いていて首にかけられるということ。常に持っていないと意味がないかららしい。これからは食事だから首にはかけていない……けど、さっきポケットの中に入れておいた。
来た時と同じ道を戻ってるだけ。違うのは乗ってる車と時間ぐらい。それなのにどうしてこうも雰囲気が違うんだろう。
考えても仕方ないか……。そう思ってため息を吐く。一旦こういう思考になってしまったら、中々切り替えられないものだ。私は窓の外を見るのをやめて、北川さんの方を向いてみた。
北川さんもじっと外を見ていたけど、私の視線にガラスの反射で気づいたのか、振り返った。
何か言われるかと思っていると、少し上体を動かして北川さんの隣にあるガラスを指差す。
「……?」
シートベルトを手で伸ばしながら体を寄せ、その先に目を凝らした。ガラスの外側についた白い小さな跡。……あれは、子供の手?
でもそれはふっくらした健康的なものではなく、やけに線が細かった。まるで、動物のものかと見紛うような……?
なんですか……これ。
そう言おうとしたけど、言う前に無言で肩をすくめられた。そっか、仮に「分からない」と言うだけでも、札田さん達は気になるわけで……。こんな狭い空間で不安な思いはさせられないよね。それにそういう話をする雰囲気でもないし。
体勢を直して、一旦このことは忘れることにする。北川さんは私の方を向いて少しだけ微笑んでくれた。良かった、この選択は合ってたっぽい。
と、左右の木々がまばらになって、急にぱあっと視界が開けた。
そこから一瞬で高級住宅街へと突入したわけだけど、圧迫感がさっきとは(別の意味で)桁違いで安心する。しばらく家々の間を走ると、グラデーションのように石畳風の道路からコンクリートの道路へと移り変わった。どうやら大きな通りに出たようだ。
車通りが物凄く多いわけじゃないけど、すれ違う車を見るたび現実に引き戻されたような気分になる。いつの間にやら空は紫がかっていた。……それじゃあ、帰る頃には真っ暗かな。
暗い中、街灯もない山道を辿ってあの家に向かうと思うとぞっとする。でも札田さん達はこれを毎日やってるんだよなあ。仕方がないとはいえ、尊敬する。
曲がりくねったり、道がやたら細いところに行ってしまったり、色々ありながらも無事某ファミレスに到着したのだった。
それから食事を済ませて、帰宅した頃。
「二人ともお風呂入ってきていいわよ」
お風呂から出てきた咲さんがそう言ってくれる。
「はあい、北川さん、どっち先入りますか?」
北川さんは何食わぬ顔で、
「一緒に入りますわ」
「……一緒に?」
嫌ではないけど、距離感おかしいんじゃないか、この人。
「園田さん一人よりは危険じゃありませんでしょう。本当は一人で入って欲しいですが……。それに、話したいこともありますし」
かなり面倒そうな顔をしていたと思ったら、急に声をひそめてちらりと咲さんの方を見た。確かに風呂場なら二人は近づかないだろうし、話を聞かれる心配もないだろう。それに私一人じゃ危ないのも分かる。
「どうしても嫌なら結構ですが」
「あっ、嫌なわけじゃないです! 入ります!」
「なら早く準備してくださいまし。先に行っていますわよ」
「もうしてますから、待ってくださいよー」
足早に進む北川さんについて行く。風呂場の電気はついていて、むしろ昼間より安心感を覚えた。
中に入って扉を閉めて、服に手をかける。こういう時ってなんか緊張しちゃうんだよな。別に脱いじゃえばどうってことないのに、なんとなく相手が脱ぎ始めるのを待ってしまう。
そこら辺の心配は北川さんには無用だった。なにも思ってないみたいにてきぱきと服を脱いでは畳んで重ねて、私が半分脱ぎ終わる頃には浴室へ入っていった。早っ。
私はちょっと焦って全部脱ぐと、ポケットからお守りと飴を出して、畳んだ服の隙間に滑り込ませておいた。多分これなら盗られないだろう。
そうして、風呂場のドアに手をかける。早くも向こう側からシャワーの音が聞こえてきた。北川さんは早風呂タイプかなあ……。
「失礼しまーす」
ドアを開けると風呂場の熱気に飲み込まれる。この自分は濡れてないのに裸で所在無げしてる感じは、人と風呂に入った時にしか味わえないな。
「すぐ終わりますから、待っていてくださいまし」
振り向かないまま北川さんは言うと、顔をシャワーで流し始めた。メイク落としだろうか。ちょっとの間流していると、それが終わったのか髪の毛も濡らし始めた。すぐ終わるって言ってたじゃん!
髪が長いから結構時間がかかるのなんの。ようやく終わったのか、どうぞとシャワーを手渡された。その間ひとつしかない椅子をずーっと独占。いや、まあ、仕方ないっちゃ仕方ないんだけどさあ……。
特にメイクも何もしていない私は、さっと顔を洗って髪を濡らす。ちゃんと髪の根元まで塗らせたら、シャンプーを手に取る。
まあそんなこんなで特に会話もなく体を洗い終えた私達は、浴槽に入ったのである――と言いたいところだけど、もちろん北川さんに先に入られた。
「ちょ……私入れないんですけど」
「入れませんわね」
ムカつくー……!
「入りますからね、私は」
(反抗として)私が入ろうとすると、北川さんはあからさまに嫌そうな顔をする。
「そりゃ二人で入ろうとしたらそうですよ。その伸ばした足畳んでください」
「別にあたくしが一緒に入ると言ったのは浴室のことであって、この中じゃ……」
無視してお湯に足を突っ込むと黙った。ムッとした表情をしている。そんな顔したって知らないもん。
「……話があるんじゃなかったですか」
「言われなくても分かっています」
そう言いつつも中々言わない。機嫌悪くなっちゃったんだろう。
ふーっと一度ため息を吐いて、
「園田さん、釘の件について説明したこと、覚えていますでしょう?」
話し始めた。私は頷く。
「あながち、崇さんの言っている『屋根裏に誰かがいる』という説は間違っていないと思いますの。でも、それは最近の話だと思うのですわ。なぜなら崇さんが屋根裏を見たのは最近のことで、その時に天井板を外された痕跡はなかったからです」
「完全に同じではないと……?」
「はい。崇さんは、その件以降いつでも屋根裏を覗けるように、一度外した釘を付け直さなかったんですの。あたくしが考えているのは、元々家の中にいた何かが、屋根裏という選択肢を見つけて上がってしまったんじゃないかということですわ」
恐れていたことを確認するつもりが、かえって向こうにこちらが恐れていたことをさせてしまうような……残酷な話だ。
「だから何者かが天井にいるはずなんです。園田さんにこのことを伝える為に、ここを選んだ理由が分かりますか?」
「あっ、天井が違うからですか」
そこで初めて微かな笑みを作ると、
「その通りですわ。外に出るという手もありましたが、もう暗くなってからわざわざ外に出るなどかえって危険ですもの。一応ここで内容の整理と、明日の予定だけ立てておきましょう」