消える食べ物
「ペットボトルは持って来ていますわね? あたくしに言う必要はありませんから、喉が渇いたら好きに飲んでくださいまし」
「トイレに行きたくなったら早めに言うんですのよ。これから少なくなりますわ」
初対面からは考えられない気遣いに、嬉しいながらも心の中で少し笑ってしまう。身内と認定したら甘いタイプなのだろうか。
というか、あの言い方はなんか、お母さんみたいだ。でもそれを言ったら怒られそうなので言わないでおくんだけど。
車の中ではたまに北川さんから話しながらも、もっぱら喋っていたのは私だった。LINEを交換したとはいえ、臆病なのでバイトに関係ないことなんてとっても話せなかったし、普段は業務中だから雑談はできない。だからここぞとばかりに話しかけた。小言を挟みながらもちゃんと受け答えしてくれるところが優しい(普通か)。
だんだんとコンクリートから上品な石畳風の道路へと移り変わり、道に傾斜がつく。上り坂の左右には明らかに高そうな家がずらりと並んでいる。
「この辺りですわ」
北川さんはさらりと言った。
「す、凄いですね……」
ひええ、こんな金持ちばっかのところに住んでるの? 全然人いないし。
視界の端にちらりと犬の散歩をする人が見えた。おおきくて真っ白の綺麗な毛並みで、飼い主のすぐ隣を優雅に歩いている。
車は家々の間を通り抜けて少し山に入りかけた。まだちらほら家が見えるけど、これは住宅街と言えないレベルの少なさだ。
しかし、急に地面がややでこぼこしたコンクリートに変化した。その瞬間空気が変わる。
……なんか、見られてるような?
「祠ですわね」
「祠?」
「見えませんでしたの? 古びてはいましたが、立派でしたわ」
祠……、山、幽霊。何か繋がりがありそうな文字列に、胸の奥が重くなった。
それから会話もないまま、車が右折して左右に竹林のある道を突っ切ると、ぱあっと目の前が開ける。
そこにはどっしり構えた豪邸があった――。
表札にはしっかりと「札田」の文字。竹林に囲まれているのに相応しい和風の家だ。私の身長より高い塀が家をぐるっと一周しており、ただ一箇所玄関前の門で途切れている。……なんか、ものすごーく場違いな気分。服だって動きやすいやつしか持ってきてないし、浮いている気しかしない。
北川さんが車をとめて着々とシートベルトを外す。慌てて私も同じ動きをして車から出た。
かろうじて車から降りるのは待っていてくれたものの、私が降りたのを確認すると、北川さんはさっさと進んでしまう。
「ま、待ってくださいよ!」
「早くしてくださいまし」
スーツケースを取り出してから北川さんの後を追う。息を整える間もなく、北川さんはインターホンを押した。
「北川相談所の北川美保と申します。ただいま到着いたしました」
向こうから声がしたけどよく聞き取れない。急に門が開いて、玄関まで連れられた。
するとすぐに扉が開いて女性が顔を出す。綺麗な長い白髪を揺らして、全身から上品なオーラを漂わせていた。奥さんかな?
「時間がかかったでしょう、どうぞ中へ。私は妻の咲です。そちらの方は助手さんかしら?」
「バイトの園田です」
パッと口にしちゃった……けど、大丈夫ですよね? と北川さんの方をちらっと見ても何も感じ取れないから、多分大丈夫なんだろう。
「いらっしゃい」
中に通されたので、「お邪魔します」と言って足を踏み入れる。つやつやのフローリングの綺麗な玄関。咲さんは「お茶菓子も出せなくってごめんなさいねえ。食事は最近外でしてるのよ」と、申し訳なさそうな様子だ。
「それを解決しに来ましたから、お気になさらないでくださいまし」
「頼もしいわ。明日は男性が3人いらっしゃるんですって? 一応男女で別の部屋は取れるのだけど、狭くないかしら」
秀さん田中先生西園寺さんの3人か。田中先生が特別デカイ点が心配だけど、その分秀さんがちっちゃいから平気だろう、多分。
「あの3人なら大丈夫でしょう」
北川さんも同じことを言う。
「あらそう? ならいいんだけど」
咲さんはニコニコしたまま、私達の荷物を預かってくれた。次いで札田氏のいる居間に通された。
「いらしたわよ」
「本日はわざわざお越しいただきありがとうございます。そちらの方にはご挨拶がまだでしたね。札田崇と申します。寝室と風呂はうちのを使っていただいて構いませんが、その――食事がですね、ここ数日は3食全てを外で済ませていまして、お二人もそうなってしまうかと思うのですが――」
「問題ありませんわ。まだ危険性が分からない以上、今日の時点で除霊はできないことをご了承ください」
「かしこまりました。どうか、よろしくお願いいたします」
「謹んでお受けいたしますわ」
憔悴した様子の崇さんに比べて、北川さんはいつも通り凛としている。それを見ると不安な気持ちが少し晴れた。私にとってこういう調査はうちの学校以来だけど、あのときは無知な私でも北川さんの凄さがなんとなく分かったんだ。結局、かなり田中先生や西園寺さんをいいように使っていたけど……。
「ちょうど皆さん揃われていますし、詳しいお話をお聞かせ願えますか。どのくらいから妙だと思い始めたか、現象が変化し始めたのはいつ頃なのかを特に。正確でなくて構いませんわ。それと……録音をしていても構いませんか?」
「ええ、もちろんです」
北川さんの視線が横にいる私を捉える。多分私も聞いてろってことですよね。札田さん夫婦は遠慮がちに私達の方を見ると、まず咲さんが話し始めた。
「私達、最近ここに引っ越してきたの。と言っても去年の12月だけど……多分、その頃からだったんじゃないかしら。ここに来てからずっと違和感があるのよ。それは私達が気づいていなかっただけで、最初から異変があった証拠なんじゃないかと思って。自分達の呆けを疑い始めたのは今年に入ってからね」
咲さんの後を継いで崇さんが、
「それで、1月の後半ぐらいだったかな? 2人でみかんを食べながらテレビを見ていたんですが、面白い番組がやっていましてね。思わず二人で見入ったんです。ふと手元を見ると、みかんはどこにもありませんでした。あまりに不気味だったもんですから、空き巣かネズミかと家中を探し回りましたが、何もなく……。それ以外のなにかが原因である可能性は無意識に排除していました。ひとまず空き巣のせいということにして、そのことは忘れることにしました。しかし……まあ、度々似たようなことが起きるのです」
北川さんはいつも通り熱心にメモを取っている。横目で覗くと、綺麗な文字がずらっと並んでいた。札田さんの話は続く。
「仏壇に備えたものが消えると言いましたが、もはや水も米も目を離した一瞬で消えてしまうのです。これも以前お伺いした際にお話ししましたが――庭のさくらんぼがひとつも実をつけません。いえ、正確には取られている と言った方がいいのでしたね……。うちの桜はソメイヨシノなのですが、どうやらおかしいようで、まだ雪が降る時期に咲き始めたかと思えば早々に葉桜になりました。ならそろそろ実をつけ始める頃かと思っていたのですが、全く実っておらず……ヘタだけはあるのです。果実だけがありませんでした」
「近所の子供が取っていったわけじゃないんですか?」
思わず私が突っ込むと、北川さんが冷たい視線を投げかけてきた。
「品種が違いますから、市販のさくらんぼと同じ物はソメイヨシノの木になりませんわ。実がなっても苦味が強く、とても食べられるものではありません」
「そ、そうなんですか?」
北川さんの視線が冷たーい。咲さんは笑いながら「私もこの間までそう思ってたのよ」とフォローしてくれる。うう、すみません。
「確かに、食べられないわけではないんですよ。いつだったか食べてみたことはあるんですが、強烈な渋みでした。しかし鳥とか狸は食べるようですし……それに、子供が興味本位で取っていったと考えることもできます。
ただ、実がなくなるのは一度や二度の話ではなく……当然、あれは子供に好かれる味ではありませんから、子供ではないはずです。そもそも子供がこの辺りにいませんし、庭に勝手に入ってくるような幼い子なら手が届きませんからね。狸は木登りができますが……まあ、この辺りでは見ないので、可能性は低いかと」
崇さんは結構考えていた様子だ。ここまで一つのことに色々考える人なら、北川さんに依頼するまで相当大変だっただろう。憔悴するのも頷ける。咲さんは結構おっとりした印象で、崇さんより思い詰めていなさそうだ。
「この頃から人感センサー付きのライトを設置したり、防犯砂利を撒いたりしました。砂利を撒けない場所にはライトという様に分けたのですが、それがどうも妙で……。夜中にじゃりっ、じゃりっ、という音がしたと思ったのに誰もいなかったり、玄関のライトがついたのに誰もいなかったり……。息子達が来たのは、この辺りでした。そうして一瞬目を離した隙に、寿司が容器ごと全て消えたのです。数日後に山で寿司が入っていたパックが見つかりましたが、一緒の物なのかは分かりません。以前から息子には相談をしていたのですが、どうせ呆けたんだろうと笑われていました。しかしこの件で息子も血相を変えまして、どこかへ依頼した方がいいと言い出したのです。私は依頼をした方がいいと思いつつも、実は明日になったら全て元通りになっているんじゃないかと言う淡い希望を抱いていました。もちろんそんなことほなく、余計に酷くなったので意を決して依頼に伺ったというわけです」
崇さんが言葉を切った後、ガサ……という音が響いた。誰も、鞄に手をかけていなかった。