依頼
ここは横浜市希望ヶ丘のとある建物。私は少し前から、ここで親友のエイプリルとアルバイトを始めた。
事の顛末を話すと長くなるけど、要は去年の秋、私の通う緑林高校にて怪現象が起きたのだ。で、学校から依頼されてやってきた北川さん達(拝み屋とか、小説家とか、その編集者さんとか)と一緒に調査をして……今に至る。
仕事自体は掃除とか簡単な接客とか、書類の整理をやればいいから楽なんだけど、どうにも楽すぎる。いや、これで時給がそこらのバイトよりいいのは凄い。凄いんだけど、北川さんは大丈夫なんだろうか。この前は「後ろ盾がある」って言ってたけど、後ろ盾とは一体なんなんだ。
なにより本格的な調査の依頼が全っ然来ない!
こぢんまりした可愛らしい外観だからか、カフェだと思って女子高生が来るわ、北川さん(ここの経営者)目当てに近所のおばちゃん達が来るわで依頼しに来た人なんて数人程度。しかも北川さんは仕事を選り好みする。
大体4ヶ月働いてコレって、大丈夫なんですか、ホントに……。一応「北川相談所」というシンプルな名前の為、金さえ払えば世間話しに来てもいいらしい。
こんなに毎日のように通ってるのに北川さんについて分かったこともないし。強いて言うなら意外と抜けてるくらいしか。
ああ、暇だなー。窓の外を眺めながら思う。今日はエイプリルが休みだし、お客さんは特に来ないし、掃除だって限界がある。北川さんに言っても別に何もしなくていいとのことだし……。
頬杖をついたとき、扉が内側に開いてシャラシャラと音を鳴らす。お客さんだ!
「ご依頼ですか?」
入ってきたのはスーツを着たダンディな雰囲気の男性。50代ぐらいだろうか。男性は私を見て少し不安そうな表情をすると、すぐに消し去ってにっこりと頷いた。
「少々お待ちください」
北川さんを呼ぼうと思ったら、行くまでもなく声に気が付いて顔を出した。その視線でお茶を出すように言われる。
「お待たせいたしました。お掛けになってくださいまし」
私は聞き耳を立てながらお茶を入れていた。あたたかい紅茶をとぷとぷとカップに注いで、お盆に乗せる。
「……それで、食べ物がよくなくなるのですね」
「はい。それと……庭にさくらんぼの木があるんですが、奇妙なことに実が全部取られているんです。へたの部分がありますでしょう? あそこだけ、こう器用に残されていてーー子供の仕業かと思いましたが、あそこは子供がいないので」
会話の内容を盗み聞きしつつ、邪魔にならないタイミングで出てって「どうぞ」とお茶を出す。北川さんは何やら考え込んでいる様子だ。
「ご依頼内容はどうされますか? 除霊だけでも調査だけでもできますが」
そんなことできるんだ、初耳。
「まずは調査だけで依頼して、問題があれば後から追加で除霊もというのはできますかね? もちろんお金は払います」
「可能ですわ。では日程はいつにされますか?」
「そうですね……」
なんといきなり調査が決まったらしい。もうはや日程と金額の話までしている。どうすればいいのかと視線をうろつかせていたとき、北川さんが振り向いた。
「園田さんは大丈夫でして?」
「へっ?」
「日程ですわ。着いてきてください」
「は、はい!」
北川さんが言う日程はまだ春休みの中。うん、大丈夫。残念ながらまだエイプリルは休暇(家族と旅行の為)なので行けないけど、これがバイトを始めてから初の調査だ。なんか、緊張する……。
数日後、私は初めての調査へ行くことになった。
衣服を詰め込んだスーツケースを後部座席の足元に滑り込ませる。後部座席からトランク(北川さんのは座席の空間と繋がってるから、本当はバックドアらしい)には調査に使う機材達と除霊に使う道具がぎっしり。これはエイプリルもいたら大変だっただろうな……。そう思って助手席に乗り込んだ。シートベルトをつけた頃に北川さんも乗り込んで来る。いつもよりきつめに縛った髪の毛と、動きやすそうな服装に、なんだかこっちまで緊張してくる。そりゃ調査なんだから当たり前なんだけど、やっぱりもしもの事態に備えてなんだろう。
もしもの事態――。
つい頭の中で繰り返して気分が沈む。危ないことが起きなきゃいいけど。
「園田さん、今回も秀さん達を呼んでいますの。あたくし達が今日到着するとして、次の日には着くそうです」
「分かりました……って、いつの間に連絡先を?」
「この間お聞きしました。確かに秀さんと気は合いませんが、同業者できちんと除霊ができる方は珍しいんですわ」
「ほとんど偽ってことですか」
「ええ。それにもしも一人で太刀打ちできない相手だった場合、経験を積んだ方がいた方が心強いでしょう」
「それ、私じゃなくて秀さんに言った方が喜ぶと思いますよ」
北川さんはちょっと嫌そうな顔をした。こういう表情の変化が見て分かるようになったのは大きな進歩だと思う。それでなんとなく何考えてるかが分かるしね。
「出ますわよ」
「あ、はい」
車が動き出した。事前に聞いた話では、大体1時間ぐらいで着くらしい。
場所は山の方――なんか、閑静な場所。見た目は住宅街なんだけど、実際に住んでいる人はわずかで、大抵は別荘だという。要は金持ちの住むエリア。依頼に来た男性、札田崇さん(いかにも金持ちそうな名前)もそれっぽい上品な人だった。
依頼内容は、最近家にある食べ物がよく無くなるから調査をしてほしいというもの。仏壇に備えてあったお菓子、ちゃぶ台に置いてあったみかん、庭のさくらんぼとか。
札田さん夫妻は最初、空き巣を疑った。そりゃあこれだけの材料で幽霊を連想する人は中々いないだろう。
しかし玄関近くに防犯砂利を撒いたり、人感センサー付きライトを設置したりもしたのに、なにも引っかからないのだ。戸締りもしっかりしているし、窓を割られた形跡もない。もちろんどこの鍵も閉まっている……。流石に不気味になってきた札田さん夫妻だったが、次は自分達が呆けたのだと考えた。もちろん二人はしっかりしていて、呆けていたはずがない。
ついに最近、それを裏付ける決定的な出来事が起こったのだ。
息子さん夫婦が家に来た時、それは起こった。
その日は出前で寿司を取っていた。テーブルを囲む4人の大人。明るい部屋。言うまでもなく戸締りもしっかりしている。
そんな中で、ふと全員が目を離した瞬間、さっきまであったはずの寿司が忽然と消えたのである。
これには全員が戦慄した。先日まで両親に「ボケたんじゃないか」と軽口を叩いていた息子さんですら……。
その日からは度々食事が消えるようになったという。それどころか冷蔵庫から食材を出し、残りも取り出そうと一度背を向けた瞬間に食材が消える。だからまともに料理もできないのだ。今のところ解決策としては、家に食料を置かず、外で食事を済ませてくることのみ。
なんとも気持ち悪い話だった。それで信頼できると評判の拝み屋を探して来てくれたのだから驚きだ。私の知らないところで、北川さんはきっと実績を積み上げてきたんだろう。
ふと、車らしからぬいい匂いがすることに気がついた。なぜかこの香りは嗅ぎ慣れていて、今まで気づかなかったんだ。
「北川さん、香水つけてるんですか?」
「あたくしはつけていませんわ」
「『は』って……」
視線を彷徨わせると、エアコンに付いた長方形の何かに目が止まった。鼻を近づけるとそこから甘い匂いがする。
「アロマディフューザー? でしたっけ」
「これそのものに香りはついていませんわ。手持ちの香水を吹きかけて使うんですの」
「へー、これ確か前はなかったですよね」
北川さんがちょっと黙る。え、あったとか?
「頂き物の香水の消費方法を考えていたんですが、偶然エイプリルさんの手持ちと同じことが判明しましたの」
あっ、だからか。なんか嗅いだことあるって思ったもん。
「人からのプレゼントを譲るわけにもいきませんし……。こうすることにしましたわ」
プレゼントかぁ……、誰にもらったんだろう。
「なんか、エイプリルも一緒に着いて来てるみたいですね」
北川さんは「そうですわね」と微笑む。その表情を見せてくれたのが嬉しくて、ここで働いて良かったと思った。