留まっているのか、出られないのか
「ごめんねー、ほんとはもうちょっと早く戻ろうと思ってたんだけど、予想外にいい情報掘り当てちゃって」
そうだ、結局暗くなってから二人は帰ってきて、その車から降りないまま私達を乗せてってくれることになったのだ。だから田中先生がどんな情報を入手したのか、私達はまだ知らない。もっとも、西園寺さんは聞いたのかもしれないけど……。
「車で話すんだろ? 早く本題に入れよ」
秀さんの刺々しい物言いにも怒る事なく応じると、田中先生は話し始めた。
「皆はうたちゃんから聞いたでしょ、この山に鬼が出るって噂。どうもこの辺、昔は全然栄えてなかったらしいの。今でこそ住宅街だけど、昔――それこそ江戸時代辺りは農村だったみたい。で、その頃に飢饉があった」
そこで一旦口を噤む。
「そんな物凄いものではないけど、細々と弱らせていくように、それはそれは長く続いたらしいよ。そうなれば当然養えなくなる人間も増えるわけで……。家族を捨てる判断に迫られる家もあった。そういうのは大抵子供か老人だったんだよ。働き手にもならず、飯を食うだけ――そうやって思われてたのかもしれない。そんな時、今よりずっと険しい場所だったこの山は、村人達に目をつけられた」
それはつまり、ここに人が捨てられたということ……。
「きっと、弱った体じゃ山を降りられないんだろうね。みんな山で死んだ……。だからじゃないかな、山から出られないのは」
視界が開けて車が山を出る。やけに静かな車内。
ふと視線を感じて振り向いたけど、暗い静かな山があるだけだった。
「地縛霊だって言いたいんだな、お前は」
「外に出られないんだから、そうじゃないの?」
「否定はしねえよ。ただ、あたしが言いたいのは、山に留まる必要があるのかってことだ」
「……普通、そこで死んだんだから、そこの幽霊にならないんですか?」
秀さんは重々しく、
「例えば旦那に不倫された女がいたとする。そのことを家の食卓で問い詰めたら、逆上した旦那に殺された――この場合女が幽霊になったとして、旦那と『場所』のどっちに憑くと思う?」
「それは……旦那の方ですかね」
「必ずしもそうとは限らないが、あたしもそれが多いと思う。なぜならその女は、旦那に強い想いを残して死んだからだ。現実なら不倫相手に憑く事だって考えられるけどな」
つまり山で死んだからと言って、必ずしも山の霊になるわけじゃないってことだろう。納得していると右隣から声が上がる。
「確かにその話だと人に憑くかもしれませんが、例えば女性の方が不倫現場を突き止め――仮にそこをホテルだとしましょう。ホテルから出てきた旦那とその不倫相手に突撃していって、逆上した旦那に殺されたのなら――旦那ではなく『場所』に憑く可能性も十分ありますわ。もし二人が出てきた現場を写真に撮って、それを自宅で見せて殺されたとしても、『場所』に憑く可能性はゼロではありません。その場合の『場所』とは、自宅ではなくホテルの前ですが……」
「んなこた分かってるよ。要はその人物にとって怨みがこもってるとか、思い入れのある方に憑くんだ」
「ええ、そうですわ。ですから、地縛霊であることを否定する必要もないと思いますの」
やんわりと険悪な雰囲気が漂い始める。これを喧嘩するほど仲がいい的な話ではなく、普通に毎回やってるのはマズイと思うんだよなあ。北川さんも色々言う癖に、こういう無駄は省かないんだから。
「だって親に捨てられたんだぞ? まず怨みが行くのは親なんじゃねえか」
「そうとも限りませんわ。人間を捨てるほど追い込まれていたんですから、親の方も極限状態だったはずです。もちろん怨みを持つ子もいるでしょう……が、幼い子供も、意外と人を見ているものです」
「はあー? どういうことだよ」
「それぐらい自分で考えられませんの?」
うぐ、なんて酷い物言いをするんだ……。私までちょっとムカついてくるじゃん。北川さんはそれっきり知らん顔を決め込んで、何を言われても軽くあしらっている。二人に挟まれて喧嘩されて、肩身が狭いのはこっちなんだよ。
「子供でも感覚的に、『これは仕方がないことなんだ』と思うかもしれない……ってことだよね。だとしたら親に怨みは無いことになる。とはいえ子供なわけだし、寂しいに決まってるよ。お腹が空いて、山で一人にされて、きっと辛かっただろうな……」
最後の方は消え入るような声になりつつ、田中先生が呟いた。すると急に北川さんが復活する。
「きっと、捨てられた子供には憎しみも虚しさもあったことでしょう。でも生命の前にそれらが勝ったかというと――あの山に見える幽霊の数が、それを物語っているんじゃありませんこと? まあこれも一説ですから、調査を進めていくうちに新しい事実が分かるかもしれません。留まっている理由があるのか、出られない理由があるのかが大切になってきますわ」
出られない理由……。気持ち悪い響きだ。もし次あの山、あの家に入って、出られなくなったらと思うとぞっとする。
「あーあ、無駄な時間使っちまった」
「自分で決めたことでしょう」
「お前こそなんなんだよ!」
秀さんがかなり怒っている。左右からの圧によって、余計に狭く感じるのだ。
「はいはい二人とも喧嘩しないでね。うたちゃん寝てるから静かに」
「えっ、西園寺さん寝てるんですか?」
「疲れてるの。今日ちょっと機嫌悪かったでしょ、それもそのせい」
「そうでしたの。悪いことをしましたわね」
そーいうことは言うんだな。田中先生や西園寺さんを(エイプリルなんて特に)相手にしてる時は喧嘩腰にならないから、北川さんの口の悪さはムキになってるだけなのかも……しれない。だからなんだって話だけど。
「もうちょっとで着くけど、それまで寝かせてあげてね」
「はーい」
とりあえず話が中断されて北川さんの機嫌は持ったけど、秀さんがあまりよろしくない。明らかにムスッとしているのだ。拗ねてるのかなんなのか、口を真一文字に結んで窓の外を眺めている。心なしか背中が寂しい。
「そういえば田中先生、エイプリルと連絡取ってますか?」
「取ってるよー。ファンと作家っていうより、友達って感じで」
「エイプリル『頑張ってください』って言ってましたよ。私のとこに間違って送ったみたいですけど」
「そっかあ……、嬉しいなあ。お礼言っとくね、灯ちゃんもありがとっ」
田中先生はしみじみと言っている。そうだよね、この人からしたらエイプリルはいっぱいいる友達の一人なわけで。私のことじゃないけど心がチクチクして、生返事をして黙り込んだ。好きな人に「友達」って言われるのは凄く辛い。エイプリルには……言えないよなあ。
深呼吸のフリしてため息を吐く。背もたれにもたれかかると、秀さんの不機嫌そうなオーラが消えているのに気がついた。で、なんだか微妙な顔をしてこっちを見てる。視線があったら逸らされた。
「どうかしましたか?」
「……なんでもねえ」
「はあ……」
これ以上は踏み込まないでおく。とにかく、理由は分からないけどおさまったようで良かった。なんかしおれちゃったのが突っかかるけど。
車が細い道に入る。
薄いオレンジに紫とピンクを混ぜたような、可愛い空の色。これを見るといかにあの辺が異様な空気に包まれているかが分かる。そう、異様なのだ……。ふと目を閉じると、昔のあの辺りの風景が脳裏に浮かんだ。
血のような空の色に、逆光で真っ黒に見える山。どこまでも伸びる山の影には荒れ果てた田畑と民家が広がり、辺りには赤子の泣き声が響いている――。眠る子供を抱きかかえながら山の中腹ぐらいまで登ってくる村人の姿までが、瞼の裏にしっかりと映っている。まるで映画のスクリーンのように。……そして、捨てられた子供は一人になってから目を覚ます。真っ暗の山の中にたった一人。山は降りられないし、例え降りていった所で家には入れてもらえないだろう。
寒い。お腹がすいた。寂しい。辛い――。
泣き疲れて寝て、草や雨水を口にして延命する。しかしそれが長く続くはずもなく、寝たように命が尽きる。
そんなところに、ある一人の老人が現れた。




