入ってはいけない
「いくら園田さんがいたからとはいえ、常識が無いにも程がありますわ」
「あーはいはい、悪かったよ」
秀さんの悪びれない態度に、どんどん北川さんの機嫌が悪くなっていく。……まずいぞ、ここには3人しかいない。揉め始めたら私が割って入れる余裕など少しもないだろう。八つ当たりされて私までイラつくだけだ。
「すみません、止めなかった私が悪かったです」
「園田さんは悪くありませんわ」
こういう時に限って! 北川さんは何がなんでも秀さんに反省して欲しいっぽい。いつもなら私にもグチグチ言うはずなのに……。そろそろ秀さんが反撃したくなってくる頃だ。
ど、どうしよう、こんなところで喧嘩なんてしないでよー!
秀さんが口を開きかけたタイミングで、誰かのスマホが鳴った。険悪な雰囲気が一瞬緩まる。
「あたしだ。……西園寺から」
秀さんが荷物からスマホを取り出すと、電話を受ける。
「西園寺? ……あ、なんだよそれ、あたしやり方知らねえよ」
「とうしました? もしかしてスピーカーとか」
「そう、それだ。西園寺がそれにしろって」
「代わりにやりますよ」
秀さん、機械苦手なんだ。私も人のこと言えないけど……。
画面を見せてもらって、スピーカーのボタンを押す。多分これがよく分かってないんだろう。北川さんも近くに来てもらって、「できました」とスマホに向かって言ってみた。
「あっ、園田さんですか。ということは北川さんもいますね?」
「いますが……何か収穫がありますの?」
「ありましたよ、収穫……。どうもですね、『この山には入るな』と、昔から言い伝えられていたそうで」
この山に? それって出るとか、そういう感じの……。じゃあそんな地になんで九条さんは家を建てたって言うんだろう。
「この辺に住んでる人にそれとなく聞いてみたんです。最近引っ越してきた人のふりして、『あそこの山は土地が安かったけど、どうしてなんですか?』って。僕と同世代の人からは明確な情報は引き出せませんでした。でも皆思い出したように言うんです。『そういえば、子供の頃親に入るなと言われていた』って……」
「女児の行方不明事件のことは聞かなかったのか?」
「流石にそこまでは。デリケートな内容ですし、こんな余所者にそこまで教えてもらえるとも思わなかったので。でも、言わなかったおかげでいいことがありましたよ。話好きな主婦の方に、親の教えを今でも熱心に信じている信心深い人がいました。その人が言うには、あの行方不明事件は、山に入ったかららしいんです」
山に入ったから……。頭の中に響きが残る。そんなこと言ったら私達は足先から頭までズブズブだ。まさかタブーを犯してしまった、とでも言うのだろうか。
「あそこの山――いえ、皆さんはいるんでしたね。ここの山には、鬼が住んでいるんだそうです。山に入ってしまったが最後、鬼に食われて二度と戻って来られない――その方は親に教えられました。特に子供は弱いから格好の餌食なんだそうです。そう考えると園田さんが狙われたのも少し分かる気がします。まあ、今日のところはこれぐらいですかね。今先生と図書館で合流しましたから、諸々が終わったら車で戻ります」
「お疲れ様ですわ。明日もよろしくお願いします」
そんな会話を交わして、電話が切られた。秀さんがどかっとソファに腰を下ろす。
「鬼ねぇ……、園田の話を聞く限りじゃ、例のボスが鬼っぽいけどな」
「はい。あれなら鬼だと思うのも分かります。黒い影達はとても鬼とは思えませんし」
そいつの話をするたびに、あの恐ろしい顔が脳裏に浮かぶ。私は助かったけど、行方不明になった子は……。
考えたくない。下手したら私も同じことになってたんだ。鎌で喉を切り裂かれ、首から血抜きをさせられ、あの幽霊達に服を脱がされ、貪り食われる。しかもあの日はたまたま鎌があったから持ち出したのだ。凶器がないのなら、他の人はどうやって殺されたのだろう。生きたまま人間の歯で噛みちぎられるのはどれほど痛いんだろう。きっと怖くて、痛くて、辛かっただろうなあ……。ああ、嫌だ。小さい子がそんな目にあってた可能性があるのですら、吐き気がする。
肩をぽんと叩かれ、私はびっくりして顔を上げた。
「園田さん、大丈夫ですわ。気分が悪くなるのなら考える必要はありません。考えるのはあたくし達の仕事です」
悪い夢から醒めたような気分だ。北川さんの堂々とした感じ、安心する。
「そう……ですよね。でも私のことじゃないんです。行方不明になった子、小さいんですよね? そんな子が痛い思いをしたんだと思うと……」
「それはまだ分かった事ではありませんわ」
秀さんの軽い調子の「そうだな」と言う声。
「何も本当に幽霊がいるからって、噂の鬼と同一人物とも限らない。例えば鬼に化けて子供を攫う変質者かもしれねえし、山が危険だから子供を脅して入らせないようにしたのかもしれないだろ」
「まあ、確かにそうですね」
「噂と霊の発生時期がいつかにもよるんだよな。もし噂の方が先走っていた場合、鬼云々は無視していいだろう」
……ただ。飽くまでも二人は、考えられる別の可能性を挙げているだけに思えた。
私が見た通称ボスは、ボロボロの着物を着ていた。それが何を示しているかと言うと、おそらくは時代だ。要は着物を普段着に着る時代に幽霊になったということである。今でも秀さんみたいに普段着にしてる人はいるけど、昔と比べると少数派だ。うちのおばあちゃんですら洋服に変わっている。
気を遣われてるんだろうな。実際こんなにデリケートでやってけるのか分からないけど、せっかく気を遣われてるんだからありがたくいただきます。
「そういえば、札田さん達はいつ頃帰ってくるんですか?」
「夕食までだ。帰るっつーか、あたしらで向こうまで行く。お前んとこの車は後部座席乗れねえだろ? 明久ので全員乗せてくぞ」
北川さんが割って入ってくる。
「待ってくださいまし。4人まででしょう?」
「そうだけど、後部座席には一応真ん中の席あるし、5人乗れる」
ん? 待てよ、このメンバーだと確実に……。
「これって体格的に、後ろに乗るのは私と北川さんと秀さんですよね?」
「そうなるな」
「えー、秀さん真ん中乗ってくださいよ!」
「嫌だね、お前が真ん中乗れ」
「狭いじゃないですかっ。秀さん1番ちっちゃくて痩せてるのに」
「じゃああたしが真ん中乗ったとして、あいつは嫌がるぞ」
確かに北川さん、すごく嫌そうな顔をしている。そうだよなあ、そうなるよなあ……。
「北川さんやっぱり嫌……ですか?」
「園田さんと隣の方がいいです」
「もー、そうやって……。いいんですか、私が真ん中だと狭くなりますよ?」
「別に気にしませんもの」
秀さんはというと、すっかり勝ちを確信している。
「確かにあたしの方が身長は小さいが、たった1センチの差だろ? お前が乗ったところで大して変わらねえよ」
「いやいや、そうかもしれないですけど、肉付きが違うじゃないですか!」
「園田さんは十分細いですわよ」
「今そんなフォロー求めてませんっ」
「両側に拝み屋だぞ、安心じゃねえか」
「狭いんですよ!」
結局私が真ん中に乗らされることになった。北川さんとは肩がピッタリだけど、秀さんの方は隙間がある。やっぱり秀さんが真ん中に座るのが良かったんじゃないですかね。
なーんて口に出せるわけない。
「シートベルトした?」
田中先生の問いかけに、皆口々に返事をする。それに田中先生が答えて、車が動き出したのだった。




