第7話 不正な銀子の流れ(下)
「あなたたち、どうしてまた来たりしたの?」
「少し考えれば、危険だと分かるでしょ。」
そこに現れたのは、妓楼の女将だった。
「陳蓉蓉は無事か!?」
俺の問いに、呆れた様子の女将が答える。
「私の名は楊宣娘よ。」
「何とか命は取り留めたから、安心して。」
「それより、私の話しを聞いているの?」
俺が答えようとしたその時、二人の表情が曇る。
「囲まれているわね。」
口を開いたのは趙景だった。
楊宣娘も頷く。
建物の陰から現れたのは、ざっと20人ほど。
覆面で全身黒ずくめの男たちだ。
昨日と同じ、恐らく高俅の手下だろう。
奴らは楊宣娘には目もくれず、襲い掛かってきた。
「私に任せなさい!」
そう言うと、趙景が迎え撃つ。
任せろと言われても、20人もいるのだ。
俺まで守ることは難しいだろう。
しかも、黒ずくめの連中は手練れ、彼女自身も無傷で済むかどうか…
「若様、お待たせしました!」
そこへ割り込んできたのは、蘭歌と梅舞だ。
助かったとばかりに、俺は彼女たちの背後に隠れる。
とは言え、蘭歌と梅舞は俺を守ることを最優先しているため、攻撃に転じることができず、なかなか決着がつかない。
そんな中、戦いの均衡を破ったのは、ある一人の男だった。
巧みな棒術で、簡単に蘭歌と梅舞をあしらったのだ。
「この殺し合いの場に棒とは、とんだ命知らずだな。」
俺の言葉に、趙景が反論する。
「馬鹿なの?彼は禁軍教頭の王進よ。」
「棒で助かったと思いなさい!」
「それにしても、高俅とは馬が合わないと聞いたけど、こんなことをさせられるなら当たり前だな。」
俺は中国人じゃないんだ、情勢に疎いのは当たり前だが、そんな言い方はないだろう。
そして、王進は続け様に趙景へ向かって仕掛けた。
「なめるなよ!」
そう言うと、趙景は剣を振り上げる。
王進の方は、地面を蹴ったかと思えば、既に彼女の目の前まで迫っていた。
振り上げた肘を棒で突かれると、そのまま彼女の剣が宙を舞う。
「飛雲功!」
趙景が棒で突かれる瞬間、俺は同時に飛び出していた。
だが、王進の周りには風が巻き起こっている。
まずい、必殺の一撃を放つつもりだ。
「ぐはっ!」
彼女を抱えて、彼の素早い攻撃を避けられるはずはない。
背中に一撃を受け、激しく吐血した。
「こんなところで、やられてたまるか!」
そう言うと、趙景を抱えたまま空中を二度、三度と蹴り、飛雲功で一目散に逃げだした。
いかに禁軍教頭とは言え、こんな技は見たことがないはず、簡単には追いつけないだろう。
しかし、どういう訳か王進が追ってくることはなかった。
宿に戻り、そのまま俺は気を失った。
目が覚めると、そこは寝台の上だった。
寝台に顔をうずめ、趙景が眠っている。
「若様、目が覚めましたか!」
「傷口は浅いですし、内傷もありませんから、ご安心ください。」
そう話すのは蘭歌だ。
彼女の声に、趙景も目を覚ます。
「全く人騒がせなんだから。」
「でも、助けてくれてありがとう。」
そう言って微笑みかける。
この時、俺は初めて彼女の笑顔を見た。
えくぼと八重歯が可愛らしい。
思い返せば、今まで一緒にいて一度も笑顔を見たことがなかったな。
もっと笑えば良いと思うが、彼女の人生には何か事情があって、そうさせているのではないか。
そんなように考えていた。
「王教頭は、初めから手加減していた。」
「我々を殺す気など、毛頭なかったのだ。」
ならばやはり、やむなく高俅に従っていると言ったところか。
禁軍教頭が現れたことで黒幕ははっきりしたわけだが、どうしても楊宣娘と王進のことが気掛かりだった。
二人とも、悪い人間には見えなかったからだ。
皆に頼みこみ、もう一度だけ妓楼へ足を運ぶことにした。