第10話 盟主の初仕事(後半)
神鷹教を一網打尽にしてやろうとしたその時、
「百仙功!」
シュルシュルと音を立て、凄まじい軽功で割って入る者がいた。
飛雲功とは大きく性質の異なる軽功だが、負けず劣らないだろう。
「そこまでだ!」
「神鷹教の者は退け。」
皆が驚き「教主!」と呼んだ者を見てみれば、俺の知っている男だった。
「神鷹教教主の墨と申します。」
「鏢局の方々、私の指導が行き届かず信徒がご迷惑をお掛けしました。」
「大変申し訳ありません。」
彼は、深々と下げた頭を上げると、俺を見て驚きの表情を浮かべる。
「李鏢頭?」
何と、彼は三峡寨の副寨主、墨小風だった。
「墨殿!」
一体、何がどうなって教主となったのか分からない。
とにかく、せっかく再会できたのだ。
後のことを楊宣娘に任せ、墨に酒を酌み交わそうと誘う。
初めは遠慮していた彼だが、どうしてもと言うと首を縦に振った。
しかし、山中には店の一つもない。
そこで、神鷹教の本拠地、九鬼宮に招待されることになってしまった。
彼が教主ということもあり、心のどこかでは鯛や平目の舞い踊りを期待していた。
だが、それははかない夢というものだった。
舞い踊りどころか、神鷹教は女人禁制の教団だったのだ。
「それにしても、まさか教主になっているとは。」
「あれから何があったんだ?」
彼の話によれば、前教主の曹无求は、月蛇教の教主である夏夢柔に成敗されたと言う。
夏夢柔は、林掌門の妾だそうだ。
妾と言っても月蛇教の教主、だからかどうか分からないが、林掌門は雪梅夫人と分け隔てなく接しているらしい。
曹教主が成敗されたと聞きすがすがしい気分だが、少しだけ引っ掛かる部分はある。
やり方こそ間違っていても、民が全員平等の世界を作るという目的を持っていた。
現代で言えば間違いなく悪の塊だが、この時代で果たして全てを悪と言い切れるのか。
いくら考えたところで、答えにたどり着けるとは思えなかった。
「墨教主、今日はとことん飲もう!」
そう言うと、憂鬱な気分を晴らすように飲み明かした。
翌日、彼に誘われ腕試しをすることに。
乗り気ではなかったが、断り切れず対峙することになったのだ。
俺の獲物は剣だが、彼は徒手で戦うと言う。
ならばこちらもと徒手で挑もうとしたが、どうしても互いが得意な戦い方でやると聞かない。
さすがは、教主を名乗るだけのことはある。
「では行くぞ、八法殺法!」
向かってくる墨教主に対して、剣で迎え撃った。
徒手の相手だからと手心を加えたが、それは傲慢というものだった。
「何と不思議なことだ。」
「俺の攻撃が読めるのか?」
つい質問してしまったが、それもそのはず。
俺が突きを放つのか払うのか、どこを狙うのか、彼はお見通しとしか思えないように巧みにかわしているのだ。
「だが、墨教主の攻撃も当たらないのでは、俺には勝てない。」
「飛雲功を最大出力にしても避けられるかな?」
「もっと本気を出してもらわなければ困るぞ。」
そう、彼は内功を抑えて戦っているのだ。
すると、墨教主は笑みを浮かべた。
「俺にも百仙功がある。」
「李鏢頭こそ、手を抜いていては勝てないぞ。」
黒玄との戦いで目にした、あの軽功か。
それもそうだな、ここは一気に決着をつけるか。
「ならば、奥義の李家十剣を御覧に入れよう。」
俺は内功をめぐらせると、第一の剣である突きを放つ。
「百仙功!」
墨教主の体は柳が風になびくように、シュルシュルと音を立てる。
そして、俺の突きを涼しい顔でかわした。
こんなに簡単にかわされたのでは、奥義と言えない。
「第二の剣!」
続け様に、流れるように払いを放つ。
何と、これもかわされた。
百仙功、恐ろしい軽功だ。
そうは言っても、さらに速度と威力を増した第二の剣に、彼は驚愕の表情を浮かべている。
次で終わらせる、懐から斬り上げる第三の剣だ。
「百毒邪教!」
そこで彼が見せたのは、禍々しいまでの内功だった。
「何!? 李家十剣を…」
到底理解できないが、彼は徒手で奥義を受け止めてしまったのだ。
「ここまでにしよう。」
そう言うと、墨教主は禍々しいものを引っ込める。
「毒掌など使ってしまい、すまない。」
「李家十剣は、それほどの剣法だった。」
「敵でなくて良かったと思うくらいだ。」
「十剣と言うくらいだ、続けていればさらに速く重い剣になるのだろう?」
こちらこそ、百毒邪教ほど重厚な内功はそうそうお目にかかれない。
林掌門の易筋経にも、匹敵するのではないだろうか。
「そうだ、だが第三の剣を使ったのは墨教主が初めてだ。」
「それより、どうして謝る?」
「もし世間の目が気になるなら、放っておけばいい。」
「それだけの内功があるのだ、胸を張るべきだ。」
つまり、世間で毒は邪派だが、悪事に使わなければ気にしない。
俺はそう言っているのだ。
彼は、信じられないといった表情を浮かべる。
「お前のような男は、江湖にそうはいない。」
「俺は百毒邪教のせいで、虐げられて生きてきたからな。」
「もし良かったら、友になろう。」
墨教主の言葉に、既に俺たちは友だ。
そう言ってがっちりと抱擁し、九鬼宮を後にした。
鏢局大会編 完




