第8話 八字軍の支援
臨安府へ戻りひと月が経った頃、息を切らせて竹琴がやってきた。
火急の知らせだと言う。
「若様、岳飛将軍から任務の連絡です。」
「八字軍と金軍の戦いが長期化していますが、物資の不足で危険な状態とのこと。」
「急ぎ兵糧や武器を供給して欲しいそうです。」
八字軍とは、侵攻する金軍に対抗してできた義勇軍のことだ。
「赤心報国,誓殺金賊」の八文字を入れ墨していることから、そう呼ばれている。
頭目は王彦と言う男だが、それ以上は俺も知らない。
「そうか、南斗司の任務ではあるが、荷は虎門鏢局で運ぶことになるな。」
「目的地はどこだい?」
竹琴は乱れた息を整えると、俺の質問に答える。
「雲台山の渓谷で陣を張って、待機するそうです。」
雲台山ということは、開封府へ向かって行けば良いはずだ。
しかし、渓谷と言っても結局は山だ。
このところ、目的地が山ばかりで嫌になる。
「分かった。早速、準備に入ろう。」
「楊副鏢頭を呼んでくれ。」
楊宣娘に準備を頼むと、虎門鏢局の旗は掲げずに向かうよう指示した。
今回は南斗司の任務だから、他の標局に知られるなどの不都合を回避するためだ。
雲台山までの道のりは、盗賊にも出会わず順調に進んだ。
渓谷も素晴らしい景観で、エメラルドグリーンの川に目をやれば、旅の疲れが吹き飛ぶほどだった。
「南斗司の李海です。」
「岳飛将軍の指示で、物資の供給に参りました。」
俺が礼をすると、髭を貯えたがっちりとした体形の男が前に出た。
「王彦と申す。」
「遠路はるばる感謝する。」
「戦の最中ゆえ粗末な天幕で申し訳ないが、ゆっくり休んでくれ。」
こちらは南斗司、義勇軍と比べれば随分と立場は上だが、見下した物言いが気にかかる。
相手は年長者だし、多少は我慢することにしよう。
「積荷も無傷のようだな。」
「なかなか、やるじゃないか。」
そう言う王彦を見ていると、悪い人間ではないように感じる。
上からの物言いも、きっと悪気はない。
「それはもちろん、我が虎門鏢局が運びましたからね。」
そう言うと、隣にいた趙景があまりに仰天したのか、口を半開きにして放心状態だ。
さらに、驚いたのは彼女だけではなかった。
「鏢局だと?」
王彦は怒り心頭の様子だ。
「鏢師など、民より腕っぷしがありながら金軍と戦いもせず、荷を運んで大金をせしめている。」
「好き放題やっている不逞の輩ではないか。」
とんでもない言い方の上に、大きく誤解しているぞ。
「魏勝、この腰抜けに手合わせしてやれ。」
王彦がそう言うと、細身で整った顔立ちの青年が前に出る。
どうしてそうなる?
そして、我に返った趙景がささやく。
「まさか、鏢局を名乗るとは思いもしなかったわ。」
「李海、世間を知らないにもほどがある。」
「こうなったからには、あんたが手合わせに付き合うしかないわよ。」
考えてみれば、義勇軍は正規の軍ではないから、普通は官軍の援助を期待できない。
それだけではなく、商人が義勇軍のために銀子を都合することもないだろう。
つまり、鏢局が彼らに対する輸送の依頼を受けることはないのだ。
そうなれば、金の亡者と思われても不思議ではない。
それにしても、趙景には何度もこういう扱いを受けているが、俺は中国人じゃない。
情勢に疎いのは当たり前なのだ。
こういうことがある度に、彼女にタイムスリップのことを話したくなる。
信じてもらえないだろうけど。
「誤解があるようですが、仕方ないですね。」
「それで気が済むなら、お相手しましょう。」
俺が言うと、魏勝は何も誤解はないという様子の無表情で構える。
彼は徒手だから、同じように俺も構える。
一手、二手と交えれば、すぐにこちらが力は上と分かった。
俺には李家の内功があるのだから、当然と言えば当然であろう。
よし、次の一手で勝負を決めてやろう。
そう思った時、
「そこまでだ!」
男が割って入ると、見事な関節技で俺の三手目は不発に終わった。
「これが岳氏散手か!」
趙景が感嘆の声を上げる。
現れた男は、ここにいないはずの岳飛将軍だった。
「王殿、状況は切迫していた。」
「すぐに、確実に、面倒な手続きなく供給できる方法となると、これしかなかった。」
「私の顔を立てて、ここは収めてくれ。」
彼が言うと、仕方ないといった様子で王彦は頷いた。
しかし、顔を立てたのは敗れそうになっていた魏勝…
いや、頭目である王彦の方だろう。
無事に物資の供給を終えたが、俺たちは複雑な気持ちのまま雲台山を後にすることとなった。




