第1話 本当の気持ち(前半)
趙景を抱えると、飛雲功で真っすぐ林掌門の屋敷へ向かった。
もう夜明けだが、彼女を救えるとしたら張掌門か林掌門しかいないと考えたからで、林掌門の屋敷の方が近かったのだ。
「これは、まずい状況だな。」
「矢じりに毒が仕込んである。」
「しかも、複雑なものだ。」
そう言うと、急いで林掌門夫妻が内力を注ぐ。
すると、彼女の意識は戻り持ち直したように見える。
「その場しのぎにはなるだろうが、長くは持たない。」
「梅家荘に華先生という神医がいるから、そこへ連れて行こう。」
道順を聞くと、まだ話しかけている林掌門をよそに、趙景を背負い走り出した。
梅家荘のある西湖が見えるところまで来ると、またも襲われることになった。
「逃げ切れるとでも思いましたか?」
そう言うのは、鎧を身にまとい鉄鞭を持った男だ。
鉄鞭とは、剣の刃が鉄の棒で出来ている打撃用の武器である。
少なくとも暗殺者には見えないが、役人にしては若く十代に見える。
「呼延鈺と申します。」
「高衙内様の屋敷で盗んだ書物を渡して頂きましょう。」
盗んだのは高衙内の方だ。
呼延鈺は悪い人間に見えないが、どうあっても奥義書を渡すわけにはいかない。
「反抗されるとあれば、手段は選びません。」
「女子がいようとも、任務ゆえ覚悟されよ。」
やはり、この男は好漢だろう。
それにしても、彼は強そうだな。
勝てる気がしない。
「飛雲功!」
俺が選んだ作戦は、もちろん逃げの一手だ。
飛び上がると、空中を蹴って島へ一直線に向かう。
その島は狐山と言い、ここに梅家荘があるのだ。
「敵に背を向けるとは、それでも男ですか?」
「それに、簡単に逃げられると思われないことだ。」
そう言うと、呼延鈺も軽功で水面を走り追ってくる。
役人でこれほど見事な軽功ができる者など、そうはいないだろう。
「どうにか狐山には着いたが、趙景を背負っていてはここまでか。」
どのみち、このままでは梅家荘まで付いてくる。
それでは、華先生に迷惑をかけてしまうのだ。
仕方ない、勝てるか分からないが戦うか。
「呼延鈺殿、俺は強くないが腰抜けではない。」
「お相手頂こう。」
趙景を背から降ろし座らせると、俺はこっそりと匕首に手をかける。
「いいでしょう。」
「では、参ります!」
そう言うと、彼は得物を捨て向かってきた。
こちらが徒手であるから、公平にしようということだろう。
何と真っすぐな男か、高衙内の手下でなければ良き友となれたはずだ。
「すまない、ここでやられる訳にはいかないんだ。」
そう言うと、俺は匕首を手に取る。
その時、呼延鈺の体が吹き飛ばされた。
「一体、どこからいつ現れたんだ?」
彼の横には、女子が立っていた。
妓楼の女将をしていた、楊宣娘だ。
「あなたのような若造では、知らないでしょうね。」
「これは神仙術。」
「人知を超えた術だから、抵抗するだけ無駄よ。」
呼延鈺は無言で鉄鞭を拾った。
悔しさをかみしめるように俺を一瞥すると、臨安府の方角へ帰って行った。
「助かりました。」
「それにしても、あなたがどうしてここに?」
楊宣娘は、優しく包むような笑顔で答える。
「偶然よ。」
「西湖を通りかかったら、李公子が追いかけられていたから。」
それにしても、神仙術など聞いたこともない。
どんな術か気になるが、それよりも趙景だ。
見てみれば、また気を失っている。
俺は慌てて彼女を背負うと、梅家荘へ急いだ。
「華先生、どうでしょうか?」
梅家荘に着くと、挨拶もそこそこに彼へ迫った。
「林掌門の内力がなければ、ここまで持たなかっただろう。」
「しかし、この毒は複雑で、特定できないものも混じっている。」
「つまり、治療法がないのだ。」
「少し考えさせてくれ。」
そう言うと、華先生は奥の部屋に引っ込んでしまった。




