第8話 少林寺の盗難事件(下)
「趙景、あの絶技を見せてやれ。」
俺が言うと、彼女は恥ずかしそうにうつむいてしまった。
「何してる、どうしたんだ?」
どういう訳か、いつもの趙景らしくない。
すると、仕方ないと言った表情で彼女が口を開いた。
「情花曲剣法は夫婦剣だ。」
「私一人では会得できない。」
夫婦剣と言うからには、夫婦でなければ会得できないのだろう。
そんな剣法がこの世にあるとは。
しかし、少林派の強者相手に、絶技なくして勝てるのか。
「ここまで役に立っていないからな、俺に任せてもらおう。」
そう言って前に出たのは林掌門だ。
「林掌門が相手でも、手加減はしませんよ。」
正智がそう言うと、三人が構える。
「それでは、少林派の前ではお目汚しですが、易筋経でお相手させて頂きましょう。」
お目汚しと言ったのは、易筋経が少林派の絶技だからだ。
林掌門が徒手で飛び出すと、それに応じるように三人も迎え撃つ。
十数手交わすが、戦いは拮抗しているようだ。
ただ、三対一というのは卑怯ではないだろうか。
「やはり、林掌門は桁違いだな。」
「勝負はすぐに着くぞ。」
趙景だ。
彼女がそう言うなら、間違いないだろう。
よく見れば、林掌門は涼しい顔で戦っている。
「ふんっ!」
彼が右足で地面を強く踏み込むと、内功により地面はへこみ、三人は吹き飛ばされた。
「さすがだ、簡単にはいかないな。」
三人は棒を手に取ると、再び体勢を整える。
「これはどうですかな。」
「三金剛陣!」
林掌門の表情から余裕が消える。
そして、彼が剣を抜くと同時に雪梅夫人も刀を抜いて戦いに加わる。
正智、正定、正音は、林掌門夫妻を囲むと、円を描くように回り出した。
林掌門夫妻は、背中合わせになると、何やら小声で話し合っているようだ。
神妙な表情で趙景が口を開く。
「三人の内力は全くの互角。」
「恐らく、そうでなくては成立しない陣だろう。」
確かに、隙がないように見える。
俺には飛雲功があるから何とかなりそうだが、それでも逃げるだけで精一杯だ。
さて、林掌門はどうするつもりなんだろう。
「梅花剣!」
「林家刀法!」
互いに逆側へ飛び出し、林掌門は下から斬り上げるように、雪梅夫人は体を回転させながら斬りつける。
二人の武芸は達人の域だ、あえて一点を突かないという作戦も良いだろう。
「おぉ、三金剛陣を破ったぞ!」
少林派の弟子は、尋常ではない驚きようだ。
何と、鋭い音と共に、林掌門が電光石火の早業で陣を突破したのだ。
重厚な内功が基礎にあるからこそできる、人間離れした武芸と言えるだろう。
三金剛陣が破られると、正智、正定、正音の三人は無言のまま引き下がる。
「さあ、方戒和尚の偽者を引き渡して頂きましょう。」
林掌門が言うと、偽物は観念したような様子を見せ、変装を解いた。
正体は竹琴たちよりも若い、十代の可愛らしい女子だった。
ただ一つ違う点があるとすれば、南国の出身なのだろう、褐色の肌で顔立ちがはっきりしている。
「同じ霊宝派なのに、どうして私の邪魔をするの?」
そう言う彼女に対して、梅舞はこれまでの経緯を話し、新しい人生を歩むように促した。
彼女と梅舞は良く知る間柄のようだ。
「若様、彼女が小桃です。」
「これからのことは、どうしましょうか?」
梅舞が言うと、横から林掌門が口を挟む。
「なぜ、絶技を盗み出したのだ?」
小桃が言うには、高衙内の命に従ったということだった。
高衙内とは、高俅の養子である。
実は、開封府が陥落した後、高俅は病でこの世を去っている。
今となっては、高衙内が権力を笠に着てやりたい放題なのだ。
それにしても、またもや奴の名前が登場するとは、とんでもない悪人だ。
「李鏢頭、梅拳は彼女と全く同じ変装術を会得している。」
「これも何かの縁。もし良ければ、我々に引き取らせてもらえないか?」
林掌門がそう言うならと、申し出に従うことにした。
とにもかくにも犯人は見つけられたが、残念なことに奥義書は彼女の手元にはなかった。
ちょうど、次の獲物を狙っているところだったのだ。
そして、林掌門は帰り際に、俺だけにそっと耳うちした。
男たるもの、女子に守られてばかりではいけない。
腕を磨きなさい…と。




